日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎這って移動する(たまゆらの記㊻)23/9/22

〇1歳2ヵ月になる孫は少し歩き始めるようにった。

私のようによちよち歩きだがバランスをうまくとっている。

急ぐときはハイハイだがやがてスタスタ歩くようになるだろう。

私の場合はますます酷くなると思うが、対照的に孫は日々しっかりしてくると思う。

 

このところ私はものをとるときなど転倒しないよう移動に這うことが増えている。

87歳で死去された吉本隆明は人生の最後の10年ぐらいほとんど歩けなくなり、ずっと家の中を這っていたと、娘のよしもとばななさんはいう。

ばななさんは、難病に立ち向かう妻と家族の記録の米本浩二『みぞれふる空』の特別寄稿で次のように述べる。

 

《もう歩けるようにならない---そう思ったときは目の前が暗くなったけれど、やがて這う父に慣れた。そして這う父との幸せな思い出をたくさん作った。

病気になることは不幸なことかもしれない。

でも病気だからって不幸な人生になったわけではない。

ふつうの家族が直面しない様々な問題に出会い解決していくことで、全員の人生がどんどん変化していく。みんなふつうの人より強く優しく大きくなる。そしてゆるぎない思い出が積み重なっていく。》

 

今の私はどちらかというとやれやれという思いが強いが、少なくても這うことの面白さを味わっていきたいと思っている。

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米本浩二『みぞれふる空』は、2009年六月、著者の妻は「脊髄小脳変性症」を告知された。主に小脳の萎縮で歩行困難や言語障害を引き起こすこの難病の患者は全国で三万人超。根本的な治療法はまだ開発されていない。妻は「発病して五年以内に歩けなくなる」と言い渡される。

本書は、難病に立ち向かう妻の闘病を見つめ、介護する傍ら、思春期を迎えた二人の娘を育てなければならなくなった夫が綴った家族の記録である。

 

本書の「はじめに」妻が佐恵香さんの〈死ぬまで自分のスタイルは変えない〉の直筆メッセージが紹介されている。

その中に谷川俊太郎詩「生きる」が書かれている。

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参照:米本浩二(著)『みぞれふる空 脊髄小脳変性症と家族の2000日 』(文藝春秋、2013 )

「生きる」谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

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