日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎たまゆらの記⑫

〇「より良く生きたい」という気持ち

 先日、定期的な脊髄小脳変性症の検診でK医療センターに行く。

 MRI検査をしてもらい、特定医療費(指定難病)支給認定の更新手続きで主治医の意見書を依頼する。

 

 検診は、15分ほど手の動き、各種の立姿、歩行動作を確認し、主治医の見立てでは、症状はあまり変わっていないという。

 

 そして、MRI検査の画像を見ながら主治医は、「詳細ではないが、小脳の萎縮は見て取れるが大脳や脳幹にはまったく影響がないと思う」とのこと。

 今の段階では、バランス感覚はよくないので転倒だけは気を付けるようにと言う。

 

 MRI検査は4度目だが強力な磁石と電波を使って磁場を発生させて行うので、そこからの工事現場で出会うような何とも言えない騒音が伴うが、短時間(10分程)ですむのでそれほど苦にならない。

 

 そのようなキツイことでも、終わりがはっきりしていれば、ある程度耐えることはできるが、ウクライナで起きているような戦火では、終わりが見えないので大変だと思う。

 

 考えてみると、老化現象にもそのようなことはいえるのではないか。特に私のように難病を抱えていると、どのようになっていくのか予測できないし、よくなることは考えにくく現状維持を願うのみである。

 

 だが、老齢化や重い病気によって身体が衰えていくというのは自分で作り上げた一番良い状態の基準から見た思い込みであり、「身体」は生まれてから何れの時でも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしていて、まさにそれが生命活動である。

 

 本質的に、人間は良く生きたいという本能を強くもっていると思われる。どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、「より良く生きたい」という気持ちは簡単にはなくならないはずである。

 

 それに応えてくれるものが、ささやかながらも日常の暮らしにあるのではないだろうか。

 

 それをあれこれ模索している段階ではあるが、先ずは、このような状態をじっくり見ていきたいと思っている。