日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

孫の成長記録(姉5歳4ヶ月、弟3歳6ヶ月。妹1歳8ヶ月)遊びで育つ

〇遊びで育つ

孫三人を見ていると遊びを通して育っているのを感じる。

友人の「感動体験としての「遊び・教育」の記録や花野が来年学校に入ることなど、(学校)教育について関心を寄せている。

 

「学校」について次のような記事をよく目にする。

《英語で学校を意味する「school」は、ギリシャ後で「余暇」を意味する「schore(スコレー)」に由来している。「スコレー」は単なる暇な時間ではなく、精神活動や自己充実にかける積極的な意味を含む時間のことを指し、「遊び」そのものだと捉える人もいる。

学校が行くことが制度化されている現代の日本では、言語の由来になっている「自ら積極的に自由になる時間を使っていく」という意味からはかけ離れた場所になっているような気がする。

 

子どもは、学校教育に限らず、ほとんど遊びで、学び・育つのではないだろうか。

誰に教えられなくても遊びを覚える。ことばも日本語の文法規則もいつのまにか使えるようになる。面白いのだろう。

 

遊びの生成・感動体験によって子どもは育つとした教育学者の矢野智司は次のことを言う。

「――遊びによって子どもは体を丈夫にするとか、役割と規則を学ぶとか、社会的な人間関係を豊かにするとか、自然や社会についての認識能力を高めるとか言われてきた。なるほど、このような指摘は、遊びの効用として主張する限り、どれもまちがっていないのだが、教育的効果という有用性が前面に押しだされることによって、遊びが本来もっているはずの生成の力と奥行きとが削減されてしまう。遊びの中心は、そのような<経験>としての側面にはない。遊びはもともと有用性の秩序を否定し、エネルギーを惜しげもなく過剰に蕩尽する自由な行為である。遊びは遊ぶために遊ぶのであって、遊びを超えるどのような目的ももっていない。」

(矢野智司「贈与と交換の教育学」より)

〇日々の記録

2/4:夕方から孫たちとの会食。姉が夕食を腹いっぱい食べてから、「さて今日のデザートはなにかな」というので妻が「リンゴ、ヨーグルト、お饅頭がある」と言い、お饅頭にした。

三人ともよく食べる。後から娘が加わり、妹がまとわりつく。その後姉はゴムロープの縄跳び、弟は「地震だ」といいながら懐中電灯をつけたり消したりしながら私の顔を照らすなどワイワイやりながら遊び回る。

三人ともYouTubeのアンパンマンなどの動画はお気に入りである。ときにはチャンネル争いをするが。なんやかんやで賑やかな時を過ごす。

 

2/5:保育園では、おじぎをしながら「おはようございます」「さようなら」などをしているらしい。妹がわが家から帰るとき、おじぎをしながら「バイバイ」をしたのは微笑ましかった。弟も同じような時もあった。面白いので「まね」をするのだろう。

弟は保育園の節分で鬼がとても怖かったそうで、その後幾度か係の背中に隠れ、鬼のいないことを確かめるらしい。日頃わんぱくぶりが目立ってきたが、そういう面もあるようだ。

 

2/8:娘は小さな雛祭セットを部屋に飾ったそうだ。妹はひしもち飾りに注目したようだ。妻がひなあられを用意しようかと言ったことを、姉は目ざとく聞いていて、「あられ」がどのようなものか分からないが食べものだと感じ、妻に確認したそうだ。孫たちは食べものには敏感である。

 

2/11:熱はないが風邪気味で妹を預かる。初め泣いていたがすぐに切り替わる。最初絵本などに興味を示し、娘がいなくなることを言うと、こっくりとうなずく。分かるのだろう。

その後アンパンマンなどの動画に合わせて、身体を揺らしたりまねをしたり指差ししたりする。昼食後家に帰るかと言ったところ、アンパンマンをみるという。

 

2/15:妹は保育園でほとんど手がかからず、まわりをよく見て行動するので、保育士さんの中では吃驚する人もいるらしい。逆に1歳7ヶ月過ぎの幼児だったらもう少しわがままに発散するほうが良いのでは思う面もある。だが、その分居宅に戻ると発散しているようだ。知れているが。

上の孫たちの影響もありいろいろなことを出来るのが速い。言葉も「それ食べたい」などよく使う。

 

2/25:姉がママと買物に行くので、弟と妹は夕食をわが家でした。二人とも「食遊び」というか遊びながら食べている感じがする。

弟はあるものを、ごちゃごちゃに混ぜていて、そんなことをして美味しく食べられるのかとも思う。

妹は茶碗からスプーンで上手く取れなくてこぼしてしまう。少し前まではこぼれたものを手掴みで食べていたが、一端茶碗に戻してから食べている。ご飯は茶碗から食べるものだと思っているのか、何度もそれを繰返す。

一方五歳を過ぎた姉は美味しく食べるように味わっているので、二人とは違って落ち着いて楽しく食べているように見える。

 

※矢野 智司『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会、2008)