日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「関係のあり方・質」を問う(是枝裕和監督映画『万引き家族』より)

〇『万引き家族』は、樹木希林演じる初枝の年金をあてに集まり、万引きで足りない生活費を補いながら暮らす“家族”の絆を描く。

 

「血縁でつながっていない『共同体』というモチーフを、ここ10年追いかけてきた」という是枝氏の、「犯罪といわれるものでつながった、この家族が何でつながっているか?」を問いかける作品となっている。

 

 あるインタビューで次のように語っている。

〈「血縁が無い中で人って家族が作れるのだろうか?」という問いについて考えてみたいということでしょうか。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。〉

 

「家族を家族たらしめるもの」は、「血のつながりか、一緒に過ごした時間か、共に体験した喜怒哀楽か」という根源的な問いである。

 

「家族とは何だろうか」「血縁とは何だろうか」「絆とは何だろうか」、という問題提起をしながら、家族のみならず共同体、社会における人と人の「関係のあり方」「関係の質」を問いかけているように思った。

 

 その厳しい問題提起を、寒色で表現したじっくりした映像と各役者の息遣いが伝わってくる好演と編集の巧みさが溶け合って、素晴らしい作品となっている。

 

※物語は〈高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦らしき二人と、息子らしき祥太、祖母の血縁らしき若い亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの暮らしは、この家の持ち主である初枝の年金を軸に、足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。〉

 

〇「FASHION PRESS」に是枝裕和監督へのインタビュー記事が掲載されている。

「是枝裕和監督にインタビュー」記録から抜粋。

・新作『万引き家族』はどのようなきっかけで作られましたか。

直接的なきっかけは、既に死亡している親の年金を、家族が不正受給していた事件を知ったことです。「犯罪でしかつながれなかった」というキャッチコピーが最初に思い浮かびました。

 

・どのようなテーマで作ったのでしょうか?

「血縁が無い中で人って家族が作れるのだろうか?」という問いについて考えてみたいということでしょうか。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。

家族とは何かと考える話でもあり、父親になろうとする男の話でもあり、少年の成長物語でもあります。

 

・今回の『万引き家族』は、社会に対する違和感や憤りのようなものが強く表れていたと思います。

作っている時の感情の核にあるものが、今回は「喜怒哀楽」の内の「怒」だったんだと思います。怒りの感情で作られた作品は、やはり強い作品になりますよね。

 

 あとは、 安藤サクラさんの芝居が僕の考える以上に、良い方向でエモーショナルだったから切実に見えたのかもしれません。サクラさんに対して意識的に、感情が表れるようなシーンをいくつか作ったところはあります。

 

・具体的にはどのようなことでしょうか?

 普段はアドリブを要求するようなことはあまりないのですが、台本に何も指示を書かないまま撮影したシーンがあって、キャストには役としてその場で考えて答えてもらうようにしました。

 例えば、取り調べのシーン。刑事役の池脇千鶴さんや高良健吾君には、ホワイトボードを使って「こういうことを聞いてみて」とその場で伝え、それに対して受け答えるリリー・フランキーさんや安藤サクラさんは、次に何を聞かれるかわからない状態。刑事の質問に対して、役として考えて答えてもらいました。

 

・子役2人の自然でリアルな表情も印象的でした。どのように演出をされたのでしょうか。

 子供には台本を渡さずに、言葉のやり取りのみで演技をしてもらっています。子供に関しては、オーディションの時から台本を渡さない前提で選考を行っていて、台本が無い方が上手に演技できる子をキャスティングしました。ここ15年ほどはずっとそうしてきていますね。もちろん台本そのものは書いているのですが。 

https://www.fashion-press.net/news/36215

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参照:付随して山極寿一『「サル化」する人間社会』のことを思った。

 山極寿一は本書で次のように述べている。

〈(人間は〉どうしてそんなにお節介になるかというと、共感力を高めて作り出したシンパシー(同情)という心理状態がもとになっている。

 同情心とは、相手の気持ちになり痛みを分かち合う心です。この心がなければ、人間社会は作れません。共感以上の同情という感情を手に入れた人間は、次第に「向社会的行動」を起こすようになります。

 向社会的行動とは、「相手のために何かをしてあげたい」「他人のために役立つことをしたい」という思いに基づく行動です。人類が食べ物を運び、道具の作り方を仲間に伝えたのも、火をおこして調理を工夫したのも、子どもたちに教育を施し始めたのも、すべて向社会的行動だろうと私は思います。

 大昔から人類は家族のために無償で世話を焼き、共同体の中では互いに力を出し合い、助け合っていたのでしょう。認知能力が高まったから、このような思いやりのある社会が作られたというよりは、その逆で、向社会的行動が人類の認知能力を高めたのだと思います。(山極寿一『「サル化」する人間社会』p161~162)〉

 

 原初の人類の在りようから直ちに現社会や家族のあり方に結び付けることは留意する必要があるが、現在の家族を考えるうえで、その知見に学ぶことの多い山極寿一の見解だと思う。

 そして、人間の持っている普遍的な社会性について、次の三点をあげている。

(1)見返りのない奉仕をすること:人は自分を愛してくれる家族のもとで「見返りのない奉仕(献身的にしてあげる)」の精神を培い、その環境の中で「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが育っていく。その思いは家族の枠を超えて共同体にたいして、もっと広い社会に対しても広がっていく。

(2)互酬性(何かをしてもらったらお返ししたくなる):互酬性とは個人あるいは集団間で、贈与を受けた側が与えた側に何らかの返礼をすることによって、相互関係が更新・持続されること。人類学において,贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念。

(3)帰属意識:自分がどこに所属しているかという意識を、一生持ち続ける。その帰属意識がアイデンティティの基盤になり、そこにたって、自分自身の行動範囲や考え方を広げていけることになる。人は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合えるのはその基本に帰属意識があるという。

◎孫の成長記録(1歳5ヶ月)心をもつ者として

〇孫の成長記録①孫の能動性を大事にしながら

 よく利用するところがすべて閉鎖されていて、散策を兼ね、孫を連れて近くの芦屋公園によくいく。公園には、ブランコ、滑り台、砂場などがあり、そこを嬉々として遊びまわる。

 

 乳幼児にとって積極的に行動することで成長していき、(大人、子供も含めて)人間にとって能動的に行動したときの快感は、受動的な行動よりもずっと強いといわれ、その嬉しそうな表情を見るとなるほどと思う。

 

 だが、自分で体を制御するのはまだまだ不安定で、どこまでも妻が付き添って見守っている。

 孫も、妻が傍についていることで安心して動き回れるのだろう。私だとかえって危ないことも分かっているようだ。1歳5ヶ月ぐらいはそのような時期なのだろう。

 

 ある意味、痛い思いをして分かってくることもあるだろう。そして、孫の能動性を大事にしながら、どこまで手を添えるか、この辺の加減が難しいだろうが、そのあたり妻は心得ているように私には見える。

 

 以前から、乳幼児を育てていくときに特定の親にだけ託すのは酷だと思っていたが、孫の成長を見ていくのは並大抵ではないと思う日々で、娘も少しでも私たち(大方は妻)で見てもらうように声をかけてくる。

 

 私たちも出来る限り関わっていき、また面白いですが、見守りが終わると、妻は疲れるらしく、このようなことが続くのは楽しいが大変だなと感じている。

 なお、娘は近くの同年齢くらいの子を持つ親と協力し合っているなど工夫をしている。

 

 娘夫婦は仕事のこともあり、少しでも預かってくれるところがないかと保育所に申し込みをしたが、断われ続けている。介護施設と同様、社会的に極度に不足しているようだ。少子化が課題になっているが、この辺りの体制も心もとないと思っている。

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〇孫の成長記録②「〜として扱う」

 1歳5か月になると、いろいろな面で能動的になる。

 しきりに声を出し、そのことばは、よく分からないときもあるが、確かめながら身につけていくようだ。また、何か働きかけるようになり、こちらでこうしてほしいというときちんと応えてくれることが多くなるし、応えようとする意欲も感じる。

 

 昼間は孫を連れて主に公園にいく。娘が行けないときは私たちが連れて行く。部屋にいる時は靴下を嫌がり素足だが、出かけるとき、靴下と靴を履く。

 ある時、妻が履かせていたところ、娘が自分でやれるようにしていると言う。

 たどたどしいし時間はかかるが、娘の適度な声掛けで、結構やれるようになっている。

 

「たどたどしい」と見るのは、こちらの尺度であり、孫は精一杯体でやろうとして覚えようとしている。そこを大事にしながら、声をかけたり手を添えたりするだけだ。

 

 この時期になると、肉体的には幼児として扱うが、精神的には一個の人格として扱うことが必要だなと思う。娘親子を見ていると、コミュニケーションをとりながら心の交流をしているようだ。

 

 下條信輔『まなざしの誕生 赤ちゃん学革命』で、親が子を「理解する存在として」=「理解できる存在として」、あるいは「語りかける相手として」=「語りかけてくる相手として」扱うことの大切さを述べている。

 また、「心をもつ者」として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長するのだ。ともいう。

 

 それにしても動きが活発になるにつれて、転んだりぶつかったりするのも衝動も大きくなる。少し前まではナデナデしながら「痛いの飛んでいけ」ですぐに泣き止んだが、最近妻はグット強く抱きしめながら頭を摩る。なき声も大きいが、それでも切り替えが早い。

 

参照:下條信輔『まなざしの誕生 赤ちゃん学革命 新装版(新曜社、2006)

・鷲田清一「折々のことば」(朝日新聞2016年7月14日)から

「心をもつ者」として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長するのだ。下條信輔:乳児に、ペットに、「心」はあるか? この問いは間違っていると認知心理学者は言う。私が語りかけ、また私に語りかけてくれる者として相手を扱うことの結果として、「心」は生まれてくる。だから「心」は脳における神経生理的な過程として分析されるよりも先に、交わりという場面で問われねばならないと。

 

◎「記憶を失うと、その人は“その人"でなくなるのか?」

〇恩蔵絢子著『脳科学者の母が、認知症になる』を読んで。

 内容は、記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたり記録。アルツハイマー病になっても失われることのない脳の力を、脳科学者として、娘として考察していく。

 

 認知症に関して、家族や仕事でいろいろな方に携わり、現在も親しくしている友人がその渦中にあり、そのご家族から連絡などでその深刻さを知るだけで、その大変さが伝わってくる。

 

 この著に触れた限りでは、まだ初期から中期のはじめの段階だと思われるが、こういうものは比較するものではないし、当事者や家族にとっては不安な状況であると思う。

 また、父母に暮らしを支えられて、長年研究者として活動できているという特殊な境遇にあり、そのことで逆に、母の認知症により、困難を抱えるという面もある。

 

 この著の特質は、主に認知症という「病状・ケース」をみるのではなく、認知症になった「この人・母」に向き合って見ていく、ともすると忘れがちになる、基本的な態度にある。

 

 認知症に限らず高次脳障害など、誰しも起こる可能性のある脳の病状により「その人らしさ」がどのようになっていくのだろうか、母に寄り添いながら問い続けていく

 副題にある「記憶を失うと、その人は“その人"でなくなるのか?」との視線が一貫している。

 

 アレッと思ったこと、驚いたこと、困ったこと、イライラしたことなど具体的なエピソードと、脳科学者としての知識、研究成果を照応させながら展開していく。

 

「感情こそ知性である」と題された終章は味わい深い。

〈最初は、私も「母が母でなくなってしまった」と落ち込んでいたのだが、今は少し違う気持ちでいる。

「何かが効率的にできる」「論理的に物事が考えられる」「誰かのために何かがうまく実行できる」という能力だけが、母らしさを形成してわけではないのだ。「誰かのために動きたい」という感情は、いまでも変わらず残っていることに注目しなくてはならない。-------

 母は、私たちに対してたくさんの愛情を変わらずに持っている。認知機能の作る「その人らしさ」の他に感情の作る「その人らしさ」があるのである。

 感情は、生まれつきの個性であり、また、認知機能と同じように、その人の人生経験によって発達してきた能力であり、いまだに発達しつづけている能力である。

 アルツハイマー病を持つ人々は、体を通して、新しいことを学び続けることができる。彼らの経験は、意識的に取り出せなくても、体には積もっている。また彼らは、この病気になって「人生で初めて味わう悲しみ」も感じている。我が家について言えば、そのような悲しみとともに、これほど家族が一丸となったことはなかったのだし、母も「こうなって初めて感じた喜び」があることだろう。----最後まで「初めてのこと」は続くのである。

 できなくなっていくことと同時に、生物として大事な「感情」というシステムを使って、その人がどう生きるか、私はそれを見守っていこうと思う。結局母は生涯、母なのだ。〉

 

「理解力が衰えて、なお残っているものが、母が人生の中で大事にしてきたものなのではなかろうか」と著者は述べる。

 また、感情的判断は、地球に生物が誕生して以来、どういう状況にどういう反応をすると生き残ることができるのかという経験を、生物が代々積んで進化してきたもの。

 理性より感情の方が、ずっと長い過去から人間が培っていたものであり、老いて認知症になって理性がうすれても感情は強く残る。また、脳の中では感情の方が、いわゆる理性より安定していて、病気でも壊れにくい。人は感情の動物であり、感情がなければ、生きるための力が欠けると言われている。

 

 おそらくこの先、戸惑いや困難が増してくると思われる。それに向かっていくのに、この視点は大事だと思う。

 これについて、『ALL REVIEWS』に掲載されている、養老孟司氏による書評で、この著者を温かく見ているのも印象に残った。

 

〈人生には負の面がかならずあって、それを想像すると極端になりやすい。その治療はじつは簡単で、正面から向き合えばいいのである。著者は脳科学を武器として母親の認知症に向き合った。健気な戦いだと思う。この戦いには勝ち負けはない。ただ一つ、そこで得られるものがある。それは自分が成熟することである。その意味で人生は一つの作品である。著者という作品が完成に近づくことを期待する。〉

https://allreviews.jp/review/2726

 

※恩蔵絢子『脳科学者の母が、認知症になる:記憶を失うと、その人は“その人"でなくなるのか?」(河出書房新社、2018)

 

参照:PRESIDENT Online(2019/03/16)の著者自身の記事・「母が認知症になって脳科学者が考えたこと」から抜粋。

〈・アルツハイマー型認知症にできること

 病院に行ったら、具体的に脳のどの部位が萎縮し、活動が落ちているかがわかりました。

 母親の場合、記憶の中枢である海馬の萎縮が大きかった。

 海馬が萎縮すると、既に蓄えていた古い記憶には問題がありませんが、新しいことを覚えることが難しくなります。だから、さっき言ったばかりのことをまた聞くし、やると言っていたことをやらずにおいてしまいます。

 それから、その人が得意だったことができなくなってしまいます。私の母親は、今まで手際よくやっていた料理をしようとしなくなっていました。

 それはこのように起こります。

 おみそ汁を作ろうとして、水をいれた鍋をコンロに置く。そして大根を刻み始める。すると大根を刻んでいる間に、おみそ汁を作ろうとしていたことを忘れてしまうのです。なんのために自分が大根を切っているのかがわからなくなるので、作業を目的通りに遂行することができなくなるのです。

 当然、本人は、「私はなにをしようとしていたのだろう」「私はなぜここにいるのだろう」と不安になります。そんな不安は感じたくないから、自分の得意だった作業からも遠ざかってしまうのです。

 

・「目的」を思い出してもらう

 母親があまりにも簡単なことで失敗したり、勘違いしたりすると、慣れないうちは、家族も「なんでこんなことができないの?」と思ってしまいました。そのような発言や、まなざしは、すでに十分不安になっている当人を傷つけました。母親は、青白い顔をして、ソファに座ってばかりいるようになりました。

 簡単なことが覚えられなくなったり、得意だった作業ができなくなったりしたのは、海馬が萎縮したためです。それをはっきり認識したら、対策がわかりました。

 例えば私が、台所で母親の横に立てば良いのです。おみそ汁を作っているという目的を忘れてしまうなら、そのたびに母親に言って、思い出してもらう。母親は、包丁を使う技術を失ったわけではない。ただ「目的を覚えておく」ことができなくなったのです。

 実際、「これはなんで切っているんだっけ?」と聞かれるたびに、「おみそ汁のためだよ」と言って、思い出してもらうことを続けたら、母親は、やる気を取り戻してくれました。

「治す」ことはできなくても「やれる」ことはたくさんある

 アルツハイマー病は、何十年という時間を掛けて、ゆっくり進行する病気です。一朝一夕に、全ての能力を失ったりはしません。料理をする能力を失ったのではなくて、目的を覚えておくことができないから、しなくなっただけなのです。

 そのように細かく、母親の抱えた問題を明らかにしていくことによって、対策がわかり、母親の生活、家族の生活に活気が取り戻されていきました。「治す」ことはできなくても、「やれる」ことはたくさんあったのです。

 私は、細かく日常の中で起こった、母親の問題、家族の問題について日記を付け、科学的に分析をしていきました。

 もう一つ例を挙げれば、次のような特徴的な症状がありました。

 食卓に着いていると、母親が突然、「あれ? ちびちゃんはどこへ行ったの?」と言うのです。

 わが家には、小さな子供はいません。しかし、かなり頻繁に、母親は「ちびちゃん」の存在を気にします。

 このようなとっぴな発言に、最初は家族もぎょっとしていました。

 先に書いたように、海馬は新しい記憶を固定することに使われる重要な組織です。それゆえに海馬が萎縮すると、新しいことは覚えられなくなりますが、昔の記憶には問題がないことが多い。

 

・「能力」だけがその人を作っているのか?

 はじめアルツハイマー型認知症は、母親の人格を変えてしまう、怖い病気だと思っていました。しかし、診断から3年がたった現在は、そういう病気ではないと感じていて、安心して暮らしています。

 当初、母親を病院に連れて行くのに10カ月もかかってしまったのは、できていたことができなくなる、記憶を失っていくと、母親が母親でなくなる気がしていたからです。「母親が母親でなくなってしまうかもしれない」それが私にとっての一番の恐怖でした。

 しかし考えてみると、なにかができる/できないということ、つまり「能力」だけが、「その人」を作っているのでしょうか? また、記憶を失ったら、その人は「その人」でなくなってしまうのでしょうか?

 アルツハイマー型認知症を母親が患って、私は人間の根本を問うことになりました。「その人らしさとは何なのか」医学では問われることのない脳科学の問題に、私は挑むことになったのです。〉 

https://president.jp/articles/-/27987?page=3

 

◎語りなおしと、その〈伴走者〉(鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』から)

〇鷲田清一『語りきれないこと』から

 東北大震災以後に書かれた、鷲田清一『語りきれないこと』を読み返した。

「まえがき」で鷲田は次のように述べている。

〈被災地の人たちのからだの奥で疹いたままのこの傷、この苦痛の経験が、やがて納得のゆく言葉でかさぶたのように被われる日まで、からだの記憶は消えることはないでしょうし、また消そうとしてはならないと、つよく思います。 震災で、津波で、原発事故で、家族を、職場を、そして故郷を奪われた人たちは、これまでおのが人生のそのまわりにとりまとめてきた軸とでも言うべきものを失い、自己の生存について一から語りなおすことを迫られています。語りなおしとは、じぶんのこれまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおすということです。縫いなおせば柄も変わります。

 感情を縫いなおすのですから、針のその一刺し一刺しが、ちりちりと、ずきずきと痛むにちがいありません。被災地外の場所で、個々のわたしたちがしなければならないことは、まずはそういう語りなおしの過程に思いをはせつづけること、出来事の「記念」ではなく、きつい痛みをともなう癒えのプロセスを、そのプロセスとおなじく区切りなく「祈念」しつづけることだろうと思います。〉

 

 この著書について、「語る」ということに関連してみていく。

〈・「物語としての自己」、「〈わたし〉という物語の核心をなすもの」

「わたしたちはそのつど、事実をすぐには受け入れられずにもがきながらも、(中略)深いダメージとしてのその事実を組み込んだじぶんについての語りを、悪戦苦闘しながら模索して、語りなおしへとなんとか着地する。そうすることで、じぶんについての更新された語りを手にするわけです。」

「最終的にはいろんな決着のつけ方があります。(中略)わたしのいう語りなおしは、周りの関係も含んだものです。周囲にも新しいストーリーを受け入れてもらわないといけないのです。周囲のじぶんを見る目も、理解して変わってくるというプロセスを経ないと、本当の着地はあり得ないのです。」〉

 

 何か異常なことを体験した、たいへんな目にあったと思っていても、ある程度まとまって言葉として表現していく、あるいは、すぐに言葉にならないとしても、グッと心に宿るように煮詰めていく。それをしていかないと、結局薄れていき、無意識のなかに防衛機制として閉じ込めていくことにならないだろうか。

 言葉については、「もともと客観的に世界の事物があり、それを言語で呼んだのではなく、人間は言語で初めて世界を分節して、世界をいろいろな事物に区分した。」といわれている。

 いろいろな角度から考えるとき、どんなに記憶に鮮明さがあるとしても、漠然としているものに包まれていて、もやもやしている。その形のなきものに形を与えるものが言葉のはたらきであり、言葉にすることで、はじめて見えてくることがあるように思う。言葉を重ねて、私の物語をつくることで、言葉にならない心の奥にわだかまっていたものが、かすかに動きだしていく。

 一方、どこまでいっても言葉では充分には表現できない、結局言い尽くせないと言うジレンマにもおそわれる。意味するものと意味されるものの関係は常に不均衡なものだと思う。

 

〈・「言葉は心の繊維」、「言葉の環境」

「もし人が言葉を持たなかったら、じぶんを襲っている感情が喜びなのか悲しみなのか恥ずかしさなのか、そういう区別がつかない(ガブリエル・マルセル)」

「感情というのは確かに言葉で編まれていて、言葉がなかったら、感情はすべて不定形で区別がつかない。言葉を覚えることで、じぶんが今どういう感情でいるかを知っていく。語りがきめ細やかになって、より正確なものになるためには、言葉をより繊細に使いわけていかなければならない。心の繊維としての言葉をどれほど手に入れ、見つけていくかは、とても大事なことです。」「心を編みなおすための繊維の一つひとつになる新しい言葉、いままで使えなかった言葉、知らなかった言葉。大人が教えるのではなく、周囲で勝手に話している中から、フッと子どもが横取りできるような環境を作ることが望まれます。言葉の意味ではなく言葉の感触。その背後にある時間をくれているということ。そのなかに、話された内容とは無関係に人をケアし、支える真実があると思います。」〉

 

 私たちは言葉で思考し、言葉で整理する。言葉で癒されもする。〈心の繊維〉としての言葉は、繊維の本数(いわゆる語彙の数)が多ければ多いほどよいものではない。それぞれの小さな繊維を自分の心に編み込んでいかなければ、自分の心を形成してくれる繊維には決してならない。

「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたと言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独白する場合でも変わりません。 私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づげているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえいえるかも知れません。

 鷲田が言うように、語りなおしとは、じぶんのこれまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおすということ。縫いなおせば柄も変わる。 感情を縫いなおすのですから、針のその一刺し一刺しが、ちりちりと、ずきずきと痛むにちがいありません。

 辛い試みになることが多いとしても、そのような模索が、ともすれば負の要因である体験から、より一層よく生きていくことに繋がる何かをつかむことにもならないだろうか。

 

〈・「語りなおしと、その〈伴走者〉」、「語りを奪わず、ひたすら待つこと」

「じっと見守ってくれる人がいる、案じてくれているという感覚は、一番の支えになる。 けれども「がんばって」という言葉は、逆境のなかで挫けてなるものかとみずからを叱咤している人びとを後押しする言葉にはなりえても、時とともにいよいよ厚く重くのしかかる困難に、息も絶え絶えとなって、立っているだけで精いっぱいといった状況にある人には、むしろ苛酷なものとなります。」

「〈分かる〉というのは、おそらくその字のとおり、〈分かたれる〉ということです。話しているうちに気持ちが一つになる、同じになるというよりも、むしろ逆に、一つの言葉に込められたものの意味や感触がそれぞれに異なること、相手との差異・隔たりがいよいよ細かく見えてくるということです。〈分かる〉というのは、そのことを思い知らされることでもあるはずです。」〉

 

 ひとは他者とのインターディペンデンス(相互依存)でなりたっている。「わたし」の生も死も、在ることの理由も、他者とのつながりのなかにある。

 出産から葬儀、糧の調達から下水処理、介護や病気の世話まで、お金を払ってサービスを受けられるようになって久しいので、切実な課題になり難いが、そのことで、いのちの面倒を見る能力が失われてしまった。大震災のようなことに限らず、日常の暮らしの中で、人が困難に出会う可能性は、どの人にもある。

 最近の進化生物学は、ヒトは同胞とともに社会をつくり、助け合い、共存を図るという戦略によって、他の生物とは異なる特徴的な発展を遂げることに成功したようです。そうだとすると、人間の遺伝子や脳には共存に適した社会関係を維持するためのプログラムも備わっているのではないかとの仮説を提示している。

 この知見の信憑性は、何んとも分からないが、その可能性はあるかもしれないと私は思っている。鷲田氏に限らず、少なからずの人が、いざとなったときに助けてくれる人がいる、つかず離れずの距離を置いた、新たなネットワーク、相互依存、共同性の仕組みを模索し始めている。

「支援をする人・される人」の関係が固定したものでなく、随時「助ける人・助けられる人」と変わりながら地域が「同じいのちをもった人の支えあい」の社会になっていくように。

 

〈・「言葉の溝」、「語りの文化」

「震災直後、被災地の人たちと、被災の全貌を知ることができずに遠くから案じるだけのわたしたちのあいだには、どうしょうもない隔たりがありました。寸断された交通網も少しずつ復旧して、報道の人たちがようやく各地の被災の現場に行き、被災者の方々にインタビューする放送記者の人たちと当の被災者のあいだには、おそらくもっともっと大きな隔たりがあったと思われます。それはちょうど、介護施設でスタッフが食事のお世話をしながら「おいしい? 」と訊ねることと、ユニットケアの施設や、グループホ-ムでスタッフが入所者の人たちと同じ食べ物をともに口にしながら「おいしいね」と囁きあうこととのあいだの落差のようなものではなかったかと思うのです。」

「言葉の世話についてずっと語ってきて、ああ、根っ子のところがまだ語れていないという思いでいます。—-言葉がどうにも出てこないという経験のことです。語りきれないという前に、そもそも言葉が出てこない。何ものもどうしても言葉のかたちに置き換わらずに渦巻き、わたしたちのなかで内圧だけはどんどん昂じてくる。爆発するか硬直するか、火のように噴きだすか岩のように固まるか、そんな二つの途しか残されていないような、寸前のぎりぎりの状態です。」〉

『かたりきれないこと』には、東北大震災のような特殊な状況にかかわらず、人と共によりよく生きていくときの大事なことが書かれているのを感じている。介護など福祉関連の活動をしてきて、親たちの〈看取り〉をしてきて、後悔することも多々あり、随所に繰り広げられたことばが身に沁みてくる。

 そのような意味では、日々の暮らしの中で、意識していくことなのだろうと思っている。

参照:鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』(角川oneテーマ21)、角川学芸出版、2012)

◎九年目(2020年度)の東日本大震災の記録から

※「“中間貯蔵施設”に消えるふるさと~福島 原発の町で何が~」「“奇跡”の子と呼ばれて~釜石 震災9年~」の二つの記録を取り上げる。

 

〇7日にETV特集選「“中間貯蔵施設”に消えるふるさと~福島 原発の町で何が~」をみた。番組内容は次にようになっている。

〈福島県内の「除染」作業で出た“原発事故のごみ”は、東京ドーム11杯分。その全てを住民の帰還が困難な原発のそばに集めて保管する「中間貯蔵施設」の建設が進む。福島県外で最終処分するまで30年、仮置きする計画だ。予定地の地権者は2360人、すでに7割が土地を提供する契約を国と結んだ。事故で故郷を追われ、人生をかけて築いた大切なものを失うという厳しい現実に、どう向き合ってきたのか。3人の地権者の証言で描く〉

 

 原発はひとたび事故が起きると取り返しのつかない状況になること、その後始末に計り知れないエネルギーと時間がかかることなど思いながら見ていた。

 6年前、福島の知人宅を訪問したときに、漁業関連の仕事をしていた知人から震災時の話を伺った。近くに石油コンビナートなどもあり、小松左京の地球沈没のイメージだったそうで、明るい性格と話しぶりで、かえって迫力を感じた。

 次の日、いわき駅から第一原発のある広野を通って竜田駅まで常磐線が開通したばかりで、乗車した(今年3月に全線開通)。無人駅も多く、途中黒いシートに覆われた瓦礫、緑のシートに覆われた放射線量の多い瓦礫の山が遠近にあり、閑散とした街並みとあいまって寂しげな感じが残った。

 

 中間貯蔵施設予定地はテレビで見る限り(映像の持つ臨場感もあり)そのとき以上の様相を示していたように見えた。「除染」作業で出た“原発事故のごみ”を包む黒い袋がズラリと並ぶのは異常とか見えなかった。

 

 そんな中で、福島県飯舘村で暮らす前原子力規制委員長の田中俊一さんの「原発はいずれ消滅します」の発言があった。

 

〇「原発はいずれ消滅します 福島・飯舘村で暮らす、前原子力規制委員長・田中俊一さん」

 この記事が毎日新聞2020年3月6日東京夕刊に掲載された。これは放射能廃棄物の処理にまつわる「中間貯蔵施設」のことなど語っている。いろいろな見方はあるかもしれないが、自分のこととして真摯に向き合っている姿に共鳴するものがある。現状を伝える一つの記録だと思う。

 毎日新聞でも一部読めるが「地球倫理:GlobalEthics」に全文引用されている。https://globalethics.wordpress.com/2020/03/08/

 

  田中俊一さんの記事は〈東京電力福島第1原発事故から間もなく9年。あの人は今、何を思っているだろうか。事故後に設置された、原発の安全審査を担う原子力規制委員会の初代委員長、田中俊一さん(75)のことだ。2017年に退任後、「復興アドバイザー」として暮らす福島県飯舘村を訪ねた。【沢田石洋史】〉から始まる。

〈そんな田中さんに復興の進捗度を尋ねると、渋い顔になった。「なかなか進みません。少しずつ努力していますが、元々暮らしていた住民の多くが戻ってこない。避難が長期になり、新たな仕事をもったり、子どもの学校の関係があったりして、村外に家を建てた人も多い。特に、若い人は都会志向が強い」

 長泥地区を除き村の避難指示が解除されたのは17年春のことだ。震災前の人口は約6200人だが、現在暮らすのは約1400人。震災前、村内の小中学校には約530人が通っていたが、20年度は65人の見通しだ。「避難先の学校に子どもを通わせる親の多くはわざわざ村内の学校に戻らせようとしません。村には診療所が1カ所ありますが、開いているのは週2日。病を抱えている人は戻りにくい」〉

〈福島県は郷里でもある。東北大で原子核工学を学び、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)へ。原発事故前は日本原子力学会の会長や、内閣府原子力委員会の委員長代理を務めた。原子力ムラの中枢を歩んできたとの印象だが、本人は傍流だと自嘲する。

 「私は核燃料サイクルの実現は技術的に無理だと言ってきたので『村八分』の存在です。使用済み核燃料を再処理して高速増殖炉でプルトニウムを増やして、1000年先、2000年先のエネルギー資源を確保しようと言っているのは世界でも日本だけ。安全神話も私は信じていなかった。科学的に『絶対安全』はあり得ない。日本の原子力政策はうそだらけでした」〉

〈福島県大熊、双葉両町にまたがる中間貯蔵施設が15年に稼働後、飯舘村から約50万立方メートルの汚染土が搬出されたが、いまだ約150万立方メートル分が村内の仮置き場に保管されたままだ。農地に設けられた仮置き場では農業が再開できず、復興を阻害する要因になっている。

 県外に汚染土を受け入れる自治体がないとすれば、どう最終処分すればいいのか。これも国民的議論が必要な問題だ。〉 

 などなど、田中俊一さんにより、この間の経緯が詳細に語られている。

               ☆

〇14日にNHKスペシャル「“奇跡”の子と呼ばれて~釜石 震災9年~」を見る。

 番組内容は〈ラグビーW杯で注目された岩手県釜石市の「復興スタジアム」は、東日本大震災で破壊された小中学校跡地に建設された。学校が津波にのまれた時、生徒達はいち早く高台に自主避難してほぼ全員が助かり“釜石の奇跡”と報じられ賞賛された。だが、津波で親を失った子や友人隣人を失った子も多く、彼らは “奇跡”と“悲劇”の狭間で、震災の記憶を封印するように生きてきた。あれから9年、“奇跡”の子たちは大人になった。就職に迷う者、仕事の壁にぶつかる者、人生の岐路に立ついま、封印した過去とようやく向き合い始めた。東京の短大で学ぶミカさんは、親友リコさんの死を受け入れられず、今も“二人一緒にいる感覚”が続き苦しむ。二十歳の成人式を前に、ミカさんは、友の家族で唯一生き残ったリコさんの祖父を訪ねる。9年を経て、初めて語り合えたリコさんのこと。互いに封印してきた思いがあふれ出す。“奇跡”の子たちの震災9年の今を見つめる。〉

 

 見ながらグッと詰まることが多々あった。ミカさんやリコさんの祖父はテレビ撮影に戸惑う思いはあったろうが、現実ときちんと向き合う姿勢に感銘していた。

  番組内で次のことも印象に残った。

「奇跡」の子の一人、Nさんは震災直後中学の生徒会長を務めた。家は町の中心部にあり跡形もなくなった。一緒に暮らしていた祖母が津波で亡くなった。共働きで忙しい両親に代わり毎日食事を作り育ててくれた。震災の2年後、犠牲者の追悼式でNさんは悲しみを乗り越え前に進むと宣言した。今、秋田で公務員として働いている。震災直後から前だけを見て進んできたが、大学生の時、突然気分が落ち込み1年以上部屋から出られなくなった。悲しかった気持ちを涙ながらに家族に打ち明けようやく立ち直った。

 悲しみや心の痛みを封じるようにこの9年生きてきたという。

 

 「“奇跡”の子」という安易なセンセーショナルな表現というものに左右されながら生きていくことを強いる面があることを思った。

 

 また、番組は特定の何人かに焦点を絞って構成しているが、 「奇跡の子」といわれている一人ひとりに、来し方・人生があり、その身内の人も含めてそれぞれの成人式あるいは20歳の迎え方があると思う。

 

 そのような中、聴き手の菊池のどかさんの動きにも注目した。

 菊池さんは、当時のあの時の中学生の一人、鵜住居地区にできた津波伝承館で働き始めて1年。語り部として真実を伝える事の難しさを日々感じているそうだ。11日に朝日新聞で、その活動を紹介されている。

 

〇本当は違う「釜石の奇跡」 24歳語り部が伝えたい真実

 ネットで新聞の一部を読むことができる。  

 https://www.asahi.com/articles/ASN3B6RL4N36UJUB00F.html

 

 記事は次のように始まる。

 小中学生3千人のほとんどが助かり、「釜石の奇跡」と呼ばれた。鵜住居地区では中学生が小学生の手を取って避難したと称賛された。でも「全てが本当のことだったわけではない」。あの時の中学生の一人、菊池のどかさん(24)は振り返る。


《誤解があればできるだけその場で正すようにしていますが、十分わかってもらえたかどうか自信はありません。でも、震災直後に報じられたことと、私たちが体験した事実と違うことはたくさんあります。》


 県立大を卒業と同時に、「いのちをつなぐ未来館」に就職した。今度は助ける人になりたいと消防士や教師をめざしていたが、地元に防災教育の場ができると聞き、ぴったりだと思った。
《避難のお手本のように伝えられてきたので、来館者の中には「釜石の子どもは全員助かった」と思って来る人もいます。》

 

 有料会員以外、記事はここまでだが、ニュースサイト「CERON」に多くのツイッターが寄せられている。

〈私たちが助かったのは消防団員の的確な指示や近所の人の助言のおかげ。運や偶然も重なって生かされたんです。一般的な防災教育だけではだめだと思う。地形を知ること、ふだんから近所の人たちと交流しておくこと……。やるべきことは多いと思います。〉

〈実は私たちも最初から小学生の手を引いて逃げたのではなかった。いったんは自分たちだけ逃げたんです。これからはそういう真実も語っていかないと本当の教訓にならないと思う。〉などなど語られる。

 

 河本大地氏は次のことを述べる。  

〈「誰かにとって好ましいストーリー」が生まれていく。

 物事が単純化されて伝えられる。

「伝わる」ことは大事だから、全面的に否定はできない。 

 でも、リアリティはこういう取組があってこそ生まれる。(河本大地)〉

 

 事故当時中学生だった女性が語る真実を伝える難しさと、彼女の聴き手としての姿勢に共感するものを覚えた。 

 

〇鷲田清一『語りきれないこと』から

 東北大震災以後に書かれた、鷲田清一『語りきれないこと』の「まえがき」で鷲田は次のように述べている。

〈被災地の人たちのからだの奥で疹いたままのこの傷、この苦痛の経験が、やがて納得のゆく言葉でかさぶたのように被われる日まで、からだの記憶は消えることはないでしょうし、また消そうとしてはならないと、つよく思います。 震災で、津波で、原発事故で、家族を、職場を、そして故郷を奪われた人たちは、これまでおのが人生のそのまわりにとりまとめてきた軸とでも言うべきものを失い、自己の生存について一から語りなおすことを迫られています。語りなおしとは、じぶんのこれまでの経験をこれまでとは違う糸で縫いなおすということです。縫いなおせば柄も変わります。

 感情を縫いなおすのですから、針のその一刺し一刺しが、ちりちりと、ずきずきと痛むにちがいありません。被災地外の場所で、個々のわたしたちがしなければならないことは、まずはそういう語りなおしの過程に思いをはせつづけること、出来事の「記念」ではなく、きつい痛みをともなう癒えのプロセスを、そのプロセスとおなじく区切りなく「祈念」しつづけることだろうと思います。〉

◎共存そして希望を(渡辺京二『東日本大震災で考えたこと』から)

〇 渡辺京二は『東日本大震災で考えたこと』の「かよわき葦」で次のように語っている。

〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。(中略)

 人間が安全・便利・快適な生活を求めるのは当然である。物質的幸福を求めずに精神的幸福を求めよなどとは、生活の何たるかを知らぬ者の言うことである。—-私たちに必要なのは、安全で心地よい生活など、自然の災害や人間自身が作り出す災禍によって、いつ失われてもこれもまた当然という常識なのだ。—-人工の災禍という点でも、人間の知恵でそれから完全に免れるという訳にはいかぬと私は思っている。人間はそれほどかしこい生きものではない。それでもつねに希望はあるのだと思っている。

 このたびの災害で、日本という国は見直しされるのだという。—私には日本とか日本人という発想はない。私にはただ身の廻りの世の中とそこで暮らす人々があるばかりだ。その世の中が一種のクライマクス(様相)に達していて、転換がのぞまれるとは、むろん私も感じている。だがそれは、いわゆる3.11がやって来ようと来まいと、そうだったのである。〉(『3・11と私 東日本大震災で考えたこと』「かよわき葦」藤原書店、2012より)

 

 この文章の特に印象に残るのは、〈人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。〉で、ものごとを「共存」という角度から見てくことも大事にしたい。

 また、「かよわき葦」としても、どのような状況にあろうとも〈それでもつねに希望はある〉と思っている。

 そして、自分の暮らしている場はささやかな世界だが、それは地域社会、日本という国、さらに世界中のあらゆる出来事、宇宙自然界を含むあらゆる出来事とつながっていて、様々な影響を受けながら、自分の生活が成り立っているのも事実だと思う。

 そのようなことも抑えながら、その考える出発点として、どこまでも身近な人たちに寄り添い、日々の暮らしから向き合っていこうと考えている。

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〇今の情勢から新型コロナウイルス関連の報道が圧倒的に多いが、この時期になると東日本大震災関連の報道もよく取り上げられる。

 東日本大震災の特徴は、大きな地震、津波による災害であるとともに、原発事故に象徴されるように、いまだ経験したことのないような大きな文明災であり、私たちの身近な暮らしにつながっているものであり、今の実態をつかんでいくことはしていきたい。情報の吟味が欠かせないが。

 原発に関しては、順調に稼働していて事故が起きない限り、一度に大量に電気を経済的に発電する事が可能で、エネルギー確保のメリットがあるが、それが破綻をきたすと、修復が困難なものになり、損害が計り知れない。また、そこから派生する放射性廃棄物などにより長年にわたって環境汚染となる。さらに人々の心理面に不安をかきたてるものとなる。

 日本国内では、原発に私たちの暮らしに直結する電気エネルギーの多くを依存しているので、今すぐどうこうとはいかないものの、ものごとはいつも秩序から混沌へと流れていき、この度のようなことは必ず起きるので、代替案を産み出し縮小するあるいはやめる方向でみたいと思っている。

 

 東日本大震災の今について、【原発はいずれ消滅します 福島・飯舘村で暮らす、前原子力規制委員長・田中俊一さん】の記事が毎日新聞2020年3月6日東京夕刊に掲載された。これは放射能廃棄物の処理にまつわる「中間貯蔵施設」のことなど語っている。いろいろ批判はあるかもしれないが、自分のこととして真摯に向き合っている姿に共鳴するものがある。現状を伝える一つの記録だと思う。

毎日新聞でも一部読めるが「地球倫理:Global Ethics」に全文引用されている。

https://globalethics.wordpress.com/2020/03/08/ 

◎「誰もが安心して暮らせる」社会気風を(新型コロナウイルスについて思う)

〇新型コロナウイルスについて思うこと

 伝染病などによる感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。

 

 いろいろ調べて、次のことがいえるのではないかと思う。

・感染に関しては、発病するか否かは、宿主側との力のバランスによって決まる。ウイルスに限らないが、免疫力の低下した高齢者、病弱者などは病状が悪化する可能性が高い。

・新型のウイルスが人に感染すると、完全一致する抗体・免疫を持っている人は少ないため、急速に社会に広がっていく。

・持病のあまりない抵抗力の強い人にとっては、インフルエンザ等のウイルスに初回感染した場合と同じように、自己の免疫力により、一時体調に変化があっても重症化することなく、やがて自然治癒する。

・一方、高齢者や糖尿病などの厄介な持病のある人の場合は、重症化することがある。これは、若い頃から蓄積された免疫情報を利用して、ウイルスへの感染防御を行っている部分があるものの、新種のウイルスに対しては、一致する場合が少ないからだと考える。

・また、ウイルスに感染しても症状が出ない人から、抵抗力の弱い人へ伝わっていく恐れが高いので、注意する必要がある。

 

 このことを知ったからといって個人的にどうなるものではないし、またいろいろと切実な人も少なからずいるだろうが、私個人としては、散歩・掃除など適度に体を動かし、日々の体調を整えておき、個人的な免疫力・抵抗力を高めるおくことが大事で、こまめによく手洗いをすることなど留意する。このことを意識しながら暮らしている。

 

 社会の動きから、次のことを思った。

 今まで経験をしたことがない社会的災難には、蓄積された知恵が乏しいので、対策・政策など右往左往する。

 しかし、普段当たり前のようにしていることが、出来なくなることもあるなと思う。

 そのことに的確に対応していくことはむろん必要だが、人も社会もどんどん変化していくわけで、その変化に応じる力をつけていくことも大事ではないだろうか。

 私は、出来なくなることに焦点を当てるよりも、このような機会に、普段当たり前のようにしていることを見直すことや、工夫を重ねて出来ることを見つけることに焦点をおいていきたいと考える。

 

 さらにトイレットペーパーなど買い占めによる社会的混乱など、社会性を帯びた免疫力(この言葉でいいいのか?)が乏しいため、「自分さえよければ」の人たちが跋扈しだす。

 物が潤沢にある間や、いろいろなことがある程度順調にいっているときは気が付きにくいが、このような人が張り切りだす様相は結構根強くあるのではと思う。

 

 ほとんどのものはどこかに在庫があり、流通が追い付かないだけであり、最低限の確保は心理的にやむを得ない面もあるが、当座のこととして、知人、近所の人などと分かち合いをしていけばいいと考える。

 このような社会情勢のとき、ことさら不安をあおるような情報に惑わされないことが大事だと思う。

 総じて、一人ひとりの心の持ち方の総体が、ものごとをどのような方向に進めるかにかなり影響を及ぼすのではないでしょうか。

 社会・経済的なダメージについてはすぐにどうにかできるものではないが、個人としてやれることがあると思っている。

 

 阪神淡路大震災、東日本大震災や近来の大災害時に、少なからずの人たちが助け合いの気持ちで乗り切ろうと行動していたように(※だがこれも喉元過ぎれば熱さを忘れる部分もある)、「自分さえよければ」の風潮から、「誰もがそこそこ安心して暮らせる」社会気風をより強固にしていく機会でもあるのではないだろうか。

  

 また、人がこの地球上で生存していけるのは、大概の場合、新たにおこってくる疾病と共存することで可能になってきた。

 

 ちなみに、厚生労働省の人口動態統計によると2018年にインフルエンザで亡くなった人は日本で3325人だった。感染者は1万人をはるか超えているといわれる。

 新型コロナウイルスについては、武漢から短期間に急速に世界中に広まったので、ここを抑えることが第一義であるが、世界中の叡智を結集することで、いずれ収束し、あるいは共存していくだろうと思っている。

 

参照:3月上旬の段階で、私が触れた限り、簡潔に述べられていて参考になった記事。

NHK『あさいち』「新型コロナウイルス いま知りたいこと」

https://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/200302/1.html

 

◎「自己」と「非自己」から「死」に対する心構え

〇さまざま社会現象や知人、友人の近況に触れて、何がおこるのか、いつどうなってしまうのか分からないなということを改めて感じる。特に50歳頃肺気腫で1か月入院し、肺・呼吸系統は弱いので、新型コロナウイルスについて少し気にはなっている。

 

 近年、身近な知人や友人を見送ることが多く、昨年は長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を思うこともある。といっても差し迫っていると感じているわけでもないし、そこを考えるよりも、今やれること、生きていることをより大事にしたいと思っている。だが「死」に対する心構えは必要だなと考えている。

 

 考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立ってゐる」という言葉がいいなと思っていた。

「人は死ねば死にきりで個としては存在しなくなるが、大自然に包まれ、その自然はあざやかにきわだっている。」という意だと思っている。

(※高村光太郎の「夏書十題」のなかのひとつ、「死ねば」という表題が付された、亡くなった母を追慕した短詩(原詩は、二行立てで「死ねば死にきり。/自然は水際立つてゐる。」)

 

 最近触れた中で、五木寛之の「死」への考え方・心構えに面白いものを覚えている。

【人はつまるところ「大河の一滴」である。大きな河の流れに身をまかせて、おのずと海へくだってゆくのだ。その流れの上で、ピチピチ跳びはねたり、岩にぶつかったり、深い淵によどんだり、流れに逆らって渦を巻いたり、いろんなことをするが、結局は一滴の水として海に還る。死ぬということは、つまりは大きな生命の海に還ってゆくことだと考えたい。なつかしい海の懐に抱かれてしばしまどろみ、やがて太陽の熱と光をうけて蒸発する。そして雲となり、霧となり、雨となって、ふたたび空から地上へ降りそそぐ。】

 

 そして多田富雄の論や近来の免疫論を踏まえて次のように述べる。

 

【〈落地生根 落葉帰根〉という文句のおもしろさは、〈根に帰る〉という最後の部分ではあるまいか。人は去ってゆくのではない。還るのだ。どこへ? 生命力の流れの根元へ、である。みずからの出発点である非自己へ、命の水源に還るのだと考えたい。自己のふるさとこそ非自己ではないのか。老化を自己が崩壊してゆく過程、ととらえる見方もあるだろう。しかし免疫の混乱を自己の秩序の崩壊と考えるより、非自己へ帰るための解体作業と受けとめる立場はないものだろうか。】

(※五木寛之・斎藤 慎爾(著)『漂泊者のノート―思うことと生きること』より)

 

 多田富雄は『免疫・「自己」と「非自己」の科学』で次のように述べる。

【〈近代の免疫学は、免疫系とは、もともと「自己」と「非自己」を画然と区別し「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達したシステムと想定してきた。そんなに厳格に「自己」を「非自己」から峻別している事実があるとすれば、その判断の基準は何か。そして免疫系が守ろうとしている「自己」とはそもそも何なのか。というのが免疫学の問題の立て方だった。(中略)

 ところが、〈「自己」は「非自己」から隔絶された堅固な実体ではなく、ファジー(あいまいなさま)なものであることが分かってきた。それでも一応ウイルスや細菌の感染から当面「自己」を守ることができるのは、むしろ奇跡に近い。

 免疫学はいま、ファジ―な「自己」を相手にしている。ファジ―な「自己」の行動様式は、しかし、堅固な「自己」よりはるかに面白い。】

 

 多田富雄をはじめ、現在の免疫論の考えかたは、真の〈自己〉は〈非自己〉の延長線上にあり、その〈非自己〉との関係のしかたによって、〈自己〉が成り立つ、内なる〈非自己〉の存在なくして〈自己〉はありえないとする。

「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達してきたとされる免疫機能だが、実はその「自己」があいまいで、「非自己」との境界は後天的にシステム自体が作っていくものであり、自己免疫症のように自己を攻撃したり、癌やアレルギーのように過剰に非自己を攻撃したりするあいまいさを有している。

 免疫機能に限らず、自分のからだは、現実には私の意のままにならないことからも、意識でとらえた精神的な自己、人格的な自己も、つきつめて考えていくとあいまいなものではないのか。

 

 自己の体内を見ても、ミトコンドリアをはじめ腸内細菌など「非自己」なるものと共存し、他の生命をいただくことで生きながらえてきて、もっと大きな宇宙・自然界のさまざまな現象の影響を受け、育まれてきて、そこでいろいろな人と出会い、たくさんのことを味わい、やがて死んでいく。

 

 朝眠りから覚めると、当然のように私は私であると思っている。認知症など極度の老化が進むと、いずれそれすらもおぼつかないことになるかもしれない。

 いずれにしても、やがて来るだろう死の間際になったときにおだやかな気持ちでいたいと願っている。

 

参照:多田富雄『免疫の意味論』(青土社、1993年)、『免疫・「自己」と「非自己」の科学』(NHK出版、2001年)

・五木寛之・斎藤 慎爾(著)『漂泊者のノート―思うことと生きること』(法研、2002)

◎「共感力」と「共食」

〇共感力と共食から思うこと①

 NHKスペシャルの〈食の起源第5集「美食」〉で、「共感能力」が人々の「食」の成り立ちに大きな影響を及ぼしているとのことから、「共食」のことを思った。

 

 昨年3週間の入院から帰ってきて、普段ほとんど意識することはないが、妻と食事するのはことさら楽しいと思った。

 病院では一人でモクモクと食べる。普段と違ったメニューや味付けなどに面白さを感じ、限られている暮らしのせいか、味気ないことどころか楽しみではある。

 しかし、気の置けない人との「共食」は格別いいものだなと思う。

 

 孫と食事機会もあり、まだ1歳4か月なので、そのお相手をする妻はあわただしい様子で,自らの食事を味わうどころか、落ち着いて食べていないようだ。

だが、気楽に見ている私から見て、孫の旺盛な食欲には「おやまあー」と思うこともあるが、見ていて頼もしい。

 

 母や見守り手と子の関係は、乳を飲ませ、糞便・尿の始末をすることから始まる。やがて、世話をしながら共に食べ、そのための仕付けをしていく。その過程で、親密さと信頼という人の社会的関係の礎となるものが育まれると思っている。

 

〇共感力と共食から思うこと②

「天麩羅は揚げたてにかぎるなー、家で食べるのは何年ぶりかなー」

 10年程前、私たちが義父母(以下父・母)と暮らし始めて、父は同様なことを再三洩らしていた。九十歳を越えた二人での食生活は、近くのスーパーで惣菜を買ってくるか、福祉サービスの仕出し弁当に頼っての生活であり、母は調理するのが大層億劫になっていて、普段は簡単に済ましていたようだ。娘である妻の料理を、何かと父は「こんなのしばらくお目にかかっていないなあー」と、毎度の食事を楽しみにするようになりました。

 

 一緒に暮らし始めてから、父は他の人に迷惑をかけたくないとの気持が強く、娘である私の妻には早くから気を許していたが、私にはかなり長い間気を遣って遠慮していた。

 共に食事をしながら、いろいろな話を交わすことが、より打ち解けた関係になるのに大きな役割を果たしたのではないかなと思っている。

 

 食べることは、人が生きていくための核になるもので、栄養があり安全で食べやすいというような基本機能だけでなく、心からみたされていく「食の楽しみ」が、よりよく生きていくための原動力になっている。

 また、人は他の人と共に楽しく食べるという習慣や機会を大事にしてきた。

 

 このことは、介護の現場でも同じようなことがいえる。身体的に衰弱が激しい人や闘病中の人にこそ、心が満たされるような食生活を送り、生きる力を養ってほしいし思う。

 義父のような終末期の人には、「おいしく食べる」ということが、「より良く生きる」の中で比重がかなり大きくなったと思う。その美味しさは、食べることへの慈しみと、共に食べる人との醸し出すものによって、より一層増してくるのではないだろうか。

 

◎「食」のおいしさと「共感能力」

○NHKスペシャル:〈食の起源第5集「美食」・人類の果てなき欲望!?》をみる。

人間がおいしさを感じる仕組みの不思議を探る内容。この手の番組はある角度から構成しているので、「?」を入れて見ることが必要だが、面白かった。

 

 人類史にとって永い間、食の安定した獲得は最優先の課題であっただろう。私たちが何気なく美味しく食べているものも、数多の叡智の結晶であり、こんなものを食としておいしくいただいていることを不思議に感じることもある。

 

 番組は、人類が生き延びるために獲得した「おいしさを感じる3つの特殊能力」があることに焦点を当てていた。

1:「苦味」を「おいしさ」と結びつけて記憶する能力。それこそが、人類が手にした「美食につながる“第1の特殊能力”」。

2:人類は「味よりも食べているものの香り=“風味”をおいしさと強く結びつけて記憶する」ようになり、人間が感じる食のおいしさにとって、味覚よりも嗅覚の方がはるかに重要。

 シェファード博士によると、「脳は、大部分を嗅覚からの情報に頼って、おいしさを感じています。舌などの感覚も大事ですが、補助的なものと言っていいくらいです。」という。

 

3:3つ目は「仲間への共感」を生み出す脳の中枢(腹内側前頭前野)に焦点を当てる。

集団で協力し合って生き抜く道を選んだ私たち人類の祖先は、他人が感じる喜怒哀楽を、まるで自分の感情のように共感できる能力を高度に発達させてきた。この優れた「共感能力」が、祖先たちの食に劇的な変化をもたらしたと紹介している。

 それについて二人の研究者は次のように語る。

「人類の祖先は他の動物に比べると非常に弱い生き物で、自分と違う味覚を持った仲間と“同じ食べ物を共有していく”ことが重要だったと思われます。私たちにとって“おいしさ”とは、“自分だけが感じるおいしさ”ではなく、みんなで共有するものなのです。おいしさを共有する、あるいはそれを拡散していくということは、非常に重要な人類の特徴であると思われます。」(今井教授)

「私たちのおいしさの感じ方というのは、単に味の記憶や匂いの記憶だけで決まるのではない。その食べ物を誰と一緒に食べたか、どういう気持ちになったかという、“共感の記憶”も重要になってくるんです。人によってそれぞれおいしいと感じるものが違うのは、何を今まで食べてきて、誰と食べてきて、どういう気分を共有してきたかという経験がすべてそこに含まれていて、それが人によって大きく違うからなんです。」(坂井教授)

 

 近来の人類史研究成果では、二足歩行‐道具の発明‐脳の発達と身体の進化とともに、家族の形成‐仲間と協力する連帯感‐共感力‐想像力‐同情心‐好奇心などの心の進化が、過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方が有力となっている。

 

「共感能力」が人々の「食」に大きな比重を占めているのが伝わってくる内容だった。

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 次に、興味ある実験の内容も面白かった。同じメニューを、献立名を変えて二つのグループに分けて食べてもらった内容。

・Aグループに伝えた2品の料理名は、「低脂肪ごぼう健康スープ」「パスタ風ズッキーニと大根の炒め物」

・Bグループの料理名は「鳴門鯛のダシたっぷりポタージュ」、「モチシャキ2色麺の創作ペペロンチーノ」

 

・Aグループの感想。「うーん、味がない、薄い。」「一口、二口、薬的な感じでしかいただけなかったですね。」

・Bグループの感想。「食べたときに、シャキッとしてて、後味がよかった。」「すごくおいしくて、なんか優しい味だなって思って。もっとあったら飲みたい。」

 

〈伝えられた料理の名前が「おいしそう」な印象を与えるものになっただけで、食事に満足する人の割合が60%から87%に上昇するという、驚きの結果に。私たちには、「自分の舌や嗅覚で直接感じるおいしさ」よりも、「人から与えられる情報で感じるおいしさ」の方を強く感じるという、じつに不思議な能力が備わっているのだ〉と、番組では述べていた。

 

 このような実験結果も恣意的に構成するので、さまざまな意見があっただろうが、料理名やそれにまつわる情報によって、そのものの味わいが変ってくるのはよくある。

 

 心というのが、与えられる情報によって影響を受け、ものすごく揺れ動くのはよく見受けられる社会現象である。おいしさに限らず健康概念なども当てはまることだと思っている。 

参照:https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20200219/index.html 

◎孫に接して(池谷裕二『パパは脳研究者』を読む)

◎孫の成長と爺の老化の双曲線。(池谷裕二『パパは脳研究者』を読む)

 孫が生まれてから1年4か月になる。歩くことをはじめ、さまざまなことに能動的になってきた。図書館に行くと、歩きまわり、気に入った絵本を捜している。

 孫の成長を見ていると、ひとりの人が生きていくことに、いろいろな思いが湧いてくる。孫の成長とわたしの老化がまるで双曲線のように感じるのもある感慨を覚える。

 

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで末娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。

 したがって、「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う。

 

 わが家に来ると、妻が対応していることが多いが、少しは私も孫のお相手をする。

「じぃじ」という気楽な立場でもあり、いろいろな意味で疲れるが楽しい。

 

 併せて、育児関連の書籍から孫の成長に引きつけてみるのも面白い。

 その中で、池谷裕二『パパは脳研究者』は、よく参照する。

 

 本書は池谷裕二さんの娘の誕生から4歳までの成長記録を、脳研究者の立場から観察・分析したことをまとめたもの。

 本書の内容については、「はじめに」に要点が述べられていて、私の関心と重なることもあり、今回はそこから抜粋する。今後も随時参考にしていこうと思っている。

 

「はじめに――――私流の子育て」で次のように述べる。

〈脳科学の知識と、現実とは、もちろん合致しません。さらに、子どもは個性的です。一人一人が異なります。〉

〈毎日が驚きと感心の連続でした。赤ちゃんは生まれた瞬間から猛烈に発育し、一気に世界を駆け出します。すっかり成熟して時間の遅さに慣れきった大人の鈍脳は、まずもってその事実に面食らいます。〉

〈私が考える本来の育児の姿は、「親の希望通りの子に育てあげる」のでなく、むしろ「親なんていなくても立派にやっている子になる」ように導くことです。親に依存することなく、親を不要とする子に育てるのです。〉

〈育児とは何でしょうか。脳にとって「成長」とは何を意味しているのでしょうか。発達中の脳はどう作動しているのでしょうか。世界観はどう芽生え、どう変化し、どう多様化していくのでしょうか。個性とは何でしょうか。

こうした問いをとことん考えると、私たちの日常に、新しい立脚点が生まれ、世界の見え方が変わります。これこそが、育児と脳科学のコラボレーションの醍醐味。赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです。ご飯を食べる、トイレに行く、笑顔を作る、会話をする、嫉妬する――。普段、何気なくやっていることが、決して当たり前のことではなく、脳回路がもたらした奇跡なのだ、と――。そんな観点から本書を読んでいただけましたら幸いです。〉

 

 そして、2歳11ヶ月のところで。次のことを述べる。

〈もちろん、子育ては何が正しいかは実に難しい問題で、本当のところは、この教育方法で良いのかは、私自身にも確固たる保証があるわけではありません。ただ、私が25年間、脳研究を続けてきた経験から、娘にとってきっと良いだろうと信じる方法、つまり、強い干渉を避け、娘の思考力や論理力の発達をサポートするような方向で育てています。p214〉

 

「赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです」とあるように、高次脳機能や心がどのように成長してくるのかを知ることによって、自分の考え方や行動を新たな視点から捉えることもできると思っている。

 

 参照:池谷裕二『パパは脳研究者』(クレヨンハウス、2017)

◎孫の成長記録(1歳3~4ヶ月)『適当』という人間のかしこさ」

〇孫は大部前からこちらが言うことはおおよそ分かるようになってきて、「オムツとって」「赤いあれを持って来て」「そこを閉めて」などというと応えるようになってきた。

  すこし前から、言葉らしきものを出すようになる。「ママ」「マンマ」「ババ」などを言っている。しきりに言い、こちらにもはっきり分かるのは「ワンワン」である。

  この辺りは犬を連れて散歩している人が多く、散歩に連れていくと、犬を見かけると指差しして「ワンワン」という。ところが猫を見ても「ワンワン」という。

 図書館に行くと、自分で探すが動物に関心が高く、指差して何か言っている。

 絵本に動物が出てくると、犬だろうが、猫、熊、ライオンだろうが、指差しして「ワンワン」という。

 

 むろん個別のことは認識している。絵本で「子猫ちゃんどこにいるかな」というと、きちんと指差しする。以前妻が絵本で「ライオンだガーオ」と読んだことが気に入って、ライオンのところに来ると「ガーオ」と声をあげる。

 おそらく「カテゴリー」としての動物全般を「ワンワン」と言っている。

 

 朝通路で管理人のおじさんと出会ったとき指差しして「ワンワン」という。おじさんも心得たもので「かのちゃん、ワンワン、おはよう」と笑顔で応じる。おじさんも動物であるけれど。

 今では一つ一つの言葉も少しずつ覚えて、出すようになってきた。だんだん増えていくのだろう。

 

 池谷裕二は、『パパは脳研究者』の「『適当』だからこそ柔軟な脳」の中で、チンパンジーとヒトの脳の使い方の例を挙げている。

  【要約すると、チンパンジーにフォークを見せた後、単語リストからフォークと書かれたカードを選ぶことを教える訓練すると、モノを見せただけで、正しいカードを選ぶことができるようになる。しかし逆(単語カードを見せた後、フォークを選んでもらう)はできない。

 ヒトはフォークという単語カードを見れば、実物のフォークを選ぶことができる。

 これがヒトとチンパンジーの脳の使い方の違いと述べる。

 数学的に言ったら、チンパンジーの方が正しかったりする。というのも、『AならばB』だからと言って『BならばA』とは限らない。『犬は動物』だけど『動物が犬』ではない。

 チンパンジーは「AならばB」と教えると、Aを見てBを選ぶようになるが、逆は学習できない。逆ができるヒトの脳の方が、非論理的で「ずさんな推測」をしている。】

 

 そして次のように言う。

〈言葉を獲得していくためには、曖昧さやいい加減さが重要。でないと「カテゴリー」という概念を理解することが出来ない。〉

 

 さらに脳育ちコラム「『適当』という人間のかしこさ」の中で次のことを述べる。

〈記憶は、正確すぎると実用性が低下します。いい加減で曖昧な記憶の方が役に立つのです。

 例えば、ある人物を覚えたいとき、「写真」のように記憶すると、ほかの角度から眺めたら別人となります。記憶には適度な「ゆるさ」がないと、他人すら認識できません。記憶は、単に正確なだけであっては役に立ちません。ゆっくりと曖昧に覚える必要があります。〉

〈記憶力と想像力反比例:一般に、記憶力のいい人ほど、想像力がない傾向があります。なぜなら、記憶力に優れた人は、隅々までをよく思い出せるため、覚えていない部分を想像で埋める必要がないから、普段から「よくわからない部分を空想で補填する」という訓練をしていないと、想像力が育たないのです。記憶力の曖昧さは想像力の源泉です。〉

〈ヒトの脳はサルとは違い、成長とともに「曖昧な記憶」をする部分が発達していきます。ひらがななどの文字の認識も、ゆるやかな記憶の賜物です。記憶が正確だと、お手本の「あ」と手書きの「あ」を、同じ「あ」として読むことができません。特定の1種類の「あ」しか読めなかったりしたら、困ります。そういう点からも、ヒトの適当な記憶力は私たちの認知の核となっている〉

 

 言葉はコミュニケーションの手段として大きな要素であり、幼児がどのようにして、身につけていくのか見ていくのは面白い。また、記憶力と想像力がどのように育っていくのか興味は尽きない。

 

 池谷裕二『パパは脳研究者』は、第一子である娘さんの誕生から4歳までの成長を脳研究者の立場から観察し、脳の発達と機能の原理から分析したことをまとめたもの。

 記述は1か月単位、近来の脳科学の知見と親バカ的なエピソードを交えながら娘の成長を記録している面白い著書である。本書も参考にしながら、私も孫の成長を記録している。

◎『アイズ』の「口笛カフェ」と「くちぶえ教室」について

〇高次脳機能障がい支援の『アイズ』の口笛カフェに参加する。当日は、昨日のびわ湖大津プリンスホテルで開催された「障害者の文化芸術フェスティバル」での『白井いさおと愉快な仲間たち』の報告から始まった。

 

 その後、一人ひとり口笛演奏を披露した。皆さんの巧みな口笛を聴き惚れながら、私も遠慮気兼ねがなく「赤とんぼ」「上を向いて歩こう」を吹いてみた。むろん演奏といえるものでは全くなく、ほとんどかすれたような音しか出なかった。居宅で練習しているときは、もっと音が出ていたのだけどなと思いながら吹いていた。

 しかし、練習では音がハッキリ出るときもあるし、そのときは手応えも感じるが、どちらかというと不安定である。先ずは安定して持続的にきちんと音を出すことが必要だなと思った。

 こんな状態でも、和気あいあいの気風の中で、あとくされを全く感じずにいられるのは、皆さん気さくな方ばかりというのもあるが、この活動の成り立ちにあるような気がする。

 

 自由に口笛を楽しむ会「口笛カフェ」は、白井いさおさんの口笛CD作成から始まった「プロジェクトs」の「口笛で紡ぐ糸〜今を生きる〜プロジェクトs」の活動の一環として始まったと聞いている。

 『アイズ』の大きな特質として「障がい者と健常者が一つにつながるプロジェクト」活動に重点をおいていることがある。

 

【『アイズ』はワクワク・ドキドキをみんなで考えます!

たとえば口笛コンサート・料理教室……

それぞれの<足りない>部分を一緒に考えてやってみて、そしてみんなに伝える。

そうでしょう、あなたもそんなワクワクやドキドキすることを

<アイズ>と一緒にはじめてみませんか?】

 

 往々にしてこのような支援団体は、その病状に関係した人、関心のある人で構成されることが多い。

  だが、難病を抱えていようが、それぞれは病気を生きているわけではなく、一人ひとりのたった一度きりの人生を生きている。

 また、「病」というのは特殊であろうと、誰にでもなる可能性があり、高次脳機能障害もしかり。

〈障がい者〉と〈健常者〉の垣根をなくす理念は「口笛カフェ」によく現れている.

 

 三月からくちぶえ教室を始めるとのことで、私たち夫婦含めて3人、いち早くレッスンを受けた。お粗末なのは私だけで、妻ともう一人の方は、かなり上手である。

 懇切丁寧なアドバイスを受けて、やる気もりもり、また一段と楽しみが増した。

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〇「口笛カフェ」の「くちぶえ教室」に参加して。

 自由に口笛を楽しむ会「口笛カフェ」が三月から「くちぶえ教室」を始めるとのことで、私たち夫婦含めて3人、いち早くレッスンを受けた。

 

 音を出す前にいくつか基本となる要点があり、正しい姿勢、腹式呼吸、口輪筋(口の廻りの筋肉・唇)に力を入れること。その上で舌、唇、息を微調整しながら口笛を吹く。

 

 腹式呼吸、口輪筋を鍛えることは、構音障害、嚥下障害などのリハビリに限らず、人が健康を維持するうえで大きな要因といわれている。

 

 近来、趙高齢社会になるとともに介護が必要な高齢者が増加し「口腔ケア」の大切さがいわれ、今では保健・医療・福祉の分野に広く浸透している。高齢者などが嚥下障害から肺炎になることを防ぐのは「ケア」の重点項目になっている。

 

 口腔ケアには口腔の「清掃を中心とするケア」と「機能訓練を中心とするケア」がある。要介護高齢者の口腔ケアでは、誤嚥性肺炎や口腔内の乾燥を予防すること、さらには老化や障害による口腔機能の低下を予防・改善することが主眼となる。

 

「咀嚼する」「飲み込む」「鼻で正しく呼吸する」「滑舌よく話す」には、口をしっかり閉じることができる力(口唇閉鎖力)が必要で、口輪筋を鍛えておくことが大切。筋肉は使わないと衰えるので衰えさせないことが重要。口笛は楽しみながら自然に口輪筋の強化トレーニングができるとされている。

 

 レクチャーを受けて、わたしは腹式呼吸になっていないのと、口輪筋の劣化していることがよく分かる。なんでもそうだが、下手な鉄砲も数打てば当たる式では、いつまでも上手くならない。

 

 ものごとにはポイント、理があり、特に口腔内の容積を微調整しながら工夫を重ねる口笛演奏には大事である。

 すぐれた講師による親身になっての指導はわかりやすく、ある程度上手な妻も大層喜んでいる。

 

 居宅に帰り、練習方法やどのようなところに気を置くか、また欠陥などもよく分かり、一緒に楽しんでいる音楽の素養が豊かな妻のアドバイスもありがたい。徐々にそれなりの音も持続して出るようになりつつある。

 

 自分の口を楽器として使う面白さとともに、72歳の手習い、リハビリ目的としても口笛は有意義だと思っている。

◎難病を抱えて、今思うこと

〇脊髄小脳変性症の診察を受ける。

 昨日、寒波南下で今冬一番といわれている寒さの中(神戸2℃)、退院後3ヶ月目の脊髄小脳変性症の診察を受ける。来る途中風がとても強く、揺らされながら病院にたどり着く。風花が舞っていた。

 この総合病院はかなり大きく、いつも大勢の人が寄っている。むろん老若男女さまざまだが、付き添いも高齢化している人も目立ち、現日本の高齢化社会の縮図のようだ。新型コロナウイルスの影響かマスクをしている人が多い。

 私も1週間前に風邪をひき、熱もなく2日でかなりおさまったが、まだ少し尾を引いていて、漸く手に入れたガーゼ用マスクをつけた。

 診察では、主治医の見立てでは、症状はあまり変わっていないという。

 私自身は坂を下るときに、特にぎこちなくなるのは大部前からだが、だんだんちょっとした勾配でも、妻に支えられて歩くようになった。

 私の中では「下り坂」の歩行状態が病状の具合の目安になっている。徐々に劣化が進んでいるようだ。今後どうなっていくのか。

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 その前日に、50歳代の友人IさんがALS(筋萎縮性側索硬化症)で2週間ほど入院するとの連絡があり、ビックリし、家族や今後のことを気になり、いくつか思うことをメールで伝えた。

 私は50歳を過ぎてから、病院併設型の筋ジストロフィー症やALS(筋萎縮性側索硬化症)など肢体不自由者・児が多くいるS市の養護学校(現・特別支援学校)で、支援ボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師をし、病棟に出向いての訪問教育もしていた。かれこれ13年程前になる。学校や病院にはいろいろな方がいて、そのときのことを思い出していた。

 Iさんは絵の才能が豊かで入院中描いた絵は愉しい。また人徳があり、一緒に親身になって考える仲間に恵まれているのは心強い。

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 ここにきて自分が難病を抱え、〈障がい者〉と〈健常者〉の垣根をなくす理念の高次脳機能障がい支援『アイズ』に関わるようになる、という巡りあわせが続いている。

 

 このような状態で、特に次のことに気をおいていきたいと思っている。

 一つは、今の自分の状態を冷静に見つめ状況に対応する客観力が必要ではあるが、出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていくこと。精一杯の力を注ぐこと。

 もう一つは、人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみること。もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。 

◎孫の成長記録(1歳3ヶ月)一生懸命に今を生きる

〇孫が生まれてから1年3か月になる。歩くことをはじめ、さまざまなことに活発になってきた。その成長を見ていると、ひとりの人が生きていくことに、いろいろな思いが湧いてくる。

 1歳を過ぎたころから、伝え歩きがはじまり、今はほとんど歩き回っている。まだまだ危なっかしいところがあるが、日に日にしっかりしてきた。

 この辺は、赤ん坊が成長する上り坂と比例したように老人が下り坂を降りていくと言われるが、まさに私の足の状態と双曲線をなしているような気がする。

 

 また、転ぶときもあり、何かにぶつかると泣くときもあるが、「痛いの飛んでいけ」と言いながら頭をなでなですると、すぐに泣き止むことが多い。

 食欲が旺盛で、幼児用のスプーンやフォークも扱えるが、すぐに手づかまりになることが多い。物足りないと催促の大きな声を上げるが、しばらくすると収まり、次のことに邁進していく。

 

 わが家には絵本以外は特別な玩具はなく、そこらへんにあるオムツ、スリッパなど、何でも遊び道具にしていくのは見ていて面白い。

 未来や過去のことをほとんど考えず、一生懸命に今を生きているようだ。

 

 下條信輔「まなざしの誕生 赤ちゃん学革命」の中で、赤ちゃんを「好奇心のかたまり」「冒険家」「発見をする生き物」「応答する生き物」として見ることを提唱する。

 そして、赤ちゃんを精神的にひとりの人格として認めて付き合うことが大事だと言う。なぜなら、赤ちゃんは「『心をもつ者』として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長する」と述べる。

 この書については、別の項で扱う。