日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎『みんなの介護』の「賢人論」について

※インタネットでよく参照するサイトに『最新の社会保障・介護関連のニュースを配信している「みんなの介護』がある。

 その中の「賢人論」も時折読んで、いろいろ参考にしている。

 案内によると《「賢人論」は、「みんなの介護」がお送りする特別インタビュー企画です。様々な業界の第一線で活躍する“賢人”の皆さんに、介護業界の現場を取り巻く問題、将来の展望について、また自身の介護経験についてなど、介護にまつわるあれこれについて、自身の思いを忌憚なく語ってもらいます。》とあり、すでに11月の段階で126回になる。

 

 ここでは印象に残っている内田樹『賢人論・第90回』からその一部を見ていく。

▼〈みんなの介護:ご両親やお兄さんが亡くなってもなお、親子関係や兄弟関係が続いているんですね。

 

内田:そうです。父も母も兄も、死んでいるけれど、生きているのと変わらない。人間が死ぬのを怖がるのは、自分が死ぬと、世界から消滅して、まるではじめから存在していなかったかのように、家族や友人知人からもすっかり忘れ去られてしまうことが耐えられないからでしょう。

 

 でも、身近な人を失ってわかったのは、「たとえ死んでも、死者たちはすぐに消えるわけではない」ということです。むしろ、死んだ後の方が、その人たちのことを思い出し、その人たちのことに言及する機会が増えた。

 

 死者は簡単には死なない。僕が生物学的な死を迎えても、妻や、娘や、門人たちや、友人知人たちは、今しばらくの間、僕を生きている者として扱ってくれるはずです。「先生だったら、きっとこう言うよ」とか、「内田さんだったら、こうするはずだ」というようにして、身近な人たちにとっての判断や行動の基準として繰り返し言及されるのだとしたら、死んだ後も、生きていたときとそんなに変わらないですよね。

 

みんなの介護:そうだとすれば、死もそれほど怖いことではない気がします。

 

内田:ええ、そうです。老人になって、自分の死がリアルになってくるにつれて、「生」と「死」の境界線が曖昧になってきた感じがします。若いときは、「0/1」で生と死はデジタルに、明確に分かれていると思っていましたけれど、どうやらそういうものではない。生死の区別はけっこう曖昧で、生物学的に死んだ後も、死者はその場にとどまっていて、少しずつアナログ的に影が薄くなっていって、最終的には、十三回忌あたりでフェイドアウトする…、そういうイメージです(笑)。〉

 

 

 ・「二人称としての「死」

 最近親しい友人をなくし、その奥さんと交信を重ねた。また身近な友人を見送ることが多く、昨年は長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を思うこともある。

 

 考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立ってゐる」という言葉がいいなと思っていた。「人は死ねば死にきりで個としては存在しなくなるが、大自然に包まれ、その自然はあざやかにきわだっている。」という意だと思っている。

 

 だが、自分の心構えとしてはそれでいいだろうが、「死」については見送った人たち、残された人たちにとってはさまざまな思いが出てくる。

 

 実際のところ、私の中にはいろいろな方から授かったもの、すでに亡くなった人からも多大な影響を受けている。その意味では、死者生者まざりあって心をゆききしている。

 

 

▼〈成熟した人には、自分の中にさまざまな年齢の多様な人格がいる。だから、さまざまな人の思いや痛みがわかる

内田:生まれてから今日までの間に経験してきた、さまざまな感覚や記憶が、自分の内面で熟成し、多様な人格が渾然一体となっている。成熟というのは、そういうことなのではないかと思います。自分の中にさまざまな年齢の、別の人格が共生している。だから、さまざまな年齢の、さまざまな立場の人が何を考えているのか、何を感じているのか、それを自分自身に訊ねてみれば、なんとなくわかるんですね。

 

 もうひとつは、老人の目で世界を見ることは、「死者の目で世界を見る」ことの予備訓練だということです。死者は「死んだ後」から自分の生前を回想している。今、自分がしていることを「死んだ後から思い出している」というふうに仮定して、それが「死んだ自分」にはどんなふうに見えるのか、どんなふうな言葉づかいで記述されるのか…。それを考えることは、いまここで適切に判断し、行動するときに、とてもたいせつなシミュレーションだと思います。

 死者の目の方が「長いタイムスパン」でものを見ていますから、それだけ、ものごとの本質を見抜いている可能性が高い。

 

 若い人にとって現実は「今ここにある現実」という一種類しかありません。でも、老人や死者の目から見ると、現実にも濃淡がある。「生まれる前からずっとあり、死んだ後もまだある現実」と「生きている間に出現した現実」では、同じ現実でも強度が違います。薄っぺらな現実は、それが出現したときと同じようにあっけなく消え去る可能性がある。一方、厚みのある現実は、たぶんこれから後も存続するでしょう。

 

 若者が老人になったつもりでものごとを見るというのは、言い換えると、自分を取り囲む現実のうち「強い現実」と「弱い現実」を見分けるということです。「存在して当然のもの」と「偶然によって存在したもの」の現実性の厚みを測るということです。みんながありがたがっているものを「そんなのハリボテだよ」と言い切り、みんなが軽んじているものを「これは大切にしないといけない」と忠告することができるということです。〉

 

 

・「自分の主観で客観的に自分を見る」

 能の世阿弥の言葉に、自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならないという意の「離見の見」がある。自分の演じている姿を見る者たちのうちにおいて、よくよく見てみなければいけないという。実際には、眼は自分の眼をみることができないように、演じている自分の姿を自分で見ることはできない。

 

 ではどうやって、自分を客観的に第三者的に見ればいいのか。世阿弥は、「目前心後」ということばを用いている。「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に、外から見る心配りが大事だといっている。

 

 さらに、歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、前を見ることが要求され、自分の後姿を見ることを忘れてしまいがちになるという。

「後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず」(後姿を見ていないと、その見えない後姿に卑しさがでていることに気付かない)。(『花鏡』)

 

 これは、単に演劇の世界に限ったことではなく、何事にも通じることではないだろうか。自分の主観で客観的に自分を見るのだから大層難しいと思うが。

 

 死者の眼、老人の眼、病人の眼、子どもの眼など、さまざまな立場の眼になって見ていくことは、難しいと思うが、大事なことだし面白そうだ。

         

参照 :内田樹『賢人論・第90回』 取材・文/盛田栄一(2019/05/13)

 https://www.minnanokaigo.com/news/special/tatsuruuchida3/

「賢人論」サイト:https://www.minnanokaigo.com/news/special/

 

◎孫の成長記録(姉・2歳1ヶ月、弟・3ヶ月)身体で世界とつながる.

〇全身を使って

 弟が出来たことで、2年ほどの違いがあるお姉ちゃんの育ちを振り返ることもあり、乳児の育ちを複合的に見ることができ、面白い。

 

 弟は3ヶ月を過ぎ、目元もしっかりしてきて、目の前のものをじっくり見つめる時間も長くなり、追視できる範囲も徐々に広がっている。

 また、眼の輝きからすると、娘宅とわが家の違いやいろいろなことが何だかわからないにしても違いが分かるのではと思う。

 

 お姉ちゃんは話す言葉も増え、わが家にくると「これはナニ?」と問いかけることも増えてきた。

  妻の投げかけに対して、オウム返しに言ったりして、自己主張もあり、コミュニケーションになっている。

 

 手先も器用になり、ものを食べるとき、少し前まではすぐに手掴みになっていたが、スプーンやフォークを上手に使って食べている。

 

 最近のお気に入りは、ボールペンやマジックペンで何か描くことで、まだまだぐるぐると円らしきものを描くことや線をぐしゃぐしゃと描ける程度。さらに、ボールペンを分解したりして、興味深そうに遊んでいる。 

 

 二人に共通していることは、全身を使って表現すること。

 

 弟は、泣くとき手足をバタバタさせ体を揺らして泣く。全身を使って表現している。

 お姉ちゃんは、大層嬉しいとき全身を使ってジャンプしたり、手をあげたりして喜ぶ。

 

 私の場合は、喜びにしても控えめにしているような部分があり、乳幼児の生命力の素直なエネルギーを感じる。

 

 乳幼児がどうやって世界を知るのかといえば、ほとんどの情報は「からだ」を通じて脳に入ってくるのではないか。

 手で触ってみる、耳で聞く、目で見る、舌で味わうなど、身体は外界と脳とをつなぐ接触面の働きがある。手足、皮膚、目、耳、鼻、口などなど。

 

 からだを取り巻く感覚やお母さんなどの密着した人をも含めた「身体性」こそが、子どもが世界とつながる基盤であると思う。

 

〇二人目の孫のお宮参り。

 二歳過ぎのお姉ちゃんと新生児の弟を伴って娘夫婦と私たち夫婦でA神社へお宮参りをした。

 

 お宮参りとは、子どもが生まれたことをその土地の守り神がいらっしゃる神社へ、子どもの健やかな成長を祈って参拝する儀式のことを表す。文化的な生活が営まれるほどの昔から、日本人は新たな生命の誕生を祝う行事を行ってきたといわれている。

 

 お宮参りは地域の違いはあるとしても、生後一ヵ月ほどの時期に行うことが一般的らしいが、赤ちゃんの状態や母親の産後の回復の様子などをみながら、上の孫と同じように、ほぼ三か月後に企画した。

 

 三か月も経つと、新生児もある程度しっかりしてきて、よくは分からないとしても、家族と馴染んでくる。そして、母をはじめ、身近な人たちに、ここまで育ったなと思わせる月日でもある。

 

 はじめて、お姉ちゃんのお宮参りの話を娘夫婦から聞いたとき、関心はそれほどなかった。だが、生まれたばかりの赤ちゃんを育てていくことは大層なことなので、大事な節目になるかもしれない。

 

 また、二年前のお姉ちゃんのときも思い出していた。そのお姉ちゃんは、よくわからないにしても、時々弟にちょっかいを出しながら、楽しそうにはしゃぎまわっていた。

 

 形式は自分たちのやれる範囲でお祝いすることで、このような通過儀礼は、娘夫婦をはじめ関係者にとって喜ばしいことだなと改めて感慨を懐いた。

◎友人T・Yさんの「命の終い方」について思うこと。

〇T・Yさんのかなり厳しくなってからのFacebookの記事や交信からは、「奥さんをはじめみんなに支えられて生かされている」という心がしみじみ伝わってきていました。

 

 次の記録も印象に残っています。

〈2020.7.31:いろいろ心配してくれてありがとう。まず前提にそれぞれその人のいきかたがある、死に方もあると思います。私が共同体と言われる村を出る時はっきり決めたこと、それは世間の普通の人と一緒に暮らすことでした。近所の人、いろんな宗教の若い人(近くにいろんな宗教がある)としゃべったり。農業をやる人、後継ぎでやってる人としゃべったり。

 だから今の保険での標準治療をやって、どんな気持ちになり、医療従事者の姿に接していろいろ考えさせられました。私のおやじは普通の親父でしたが、にてきましたね。尊敬してますよ。それぞれの生き方死に方を出来ることなら否定しないで見守ってくれると嬉しいですね。〉

 

 奥さんから次のファクスがありました。

 10月19日からT・Yさんがお亡くなりになる11月8日まで、在宅療養支援診療所のTホームケアクリニックのT医師に家での暮らしサポートをしていただいたそうです。

 

 そのT医師のブログに、ちゃんと自分自身で身近な人たちと人生会議を見事にしていたT・Yさんのことが紹介されていました。

 

 内容は、やがて死にゆく彼の意思として、奥さん、娘さん、田中医師に明確に伝え、それをやりきってすこやかに旅立されたことなどが書かれています。

 

 その内容から、彼らしい潔さを、私は感じました。

 

 病状が大層厳しい状態になるとある程度予想がつき、そのときに切実に思ことは、大きく二つあるのではと思います。

 

 一つは、自身が心穏やかに旅立こと。もう一つは、奥さんをはじめ身近な人たちが悲しみの中でも、「Tさんよくやったよ、ありがとう」と旅立の見送りができること。

 

 何せ、大層痛々しい人をケアする親身あふれる伴走者にとって、当事者と同じぐらい心が痛々しくなります。

 

 そのことを含め、身体の状態がどうあろうとも意識が明確ならば、もう一段階高い客観的な眼で、自分のことと残された家族など身近な人のことも同時に、今何をしたらベストなのか、考えるようになる方もいるのではないでしょうか。といっても難しいことですが。

 

 T・Yさんはそのことを十二分に自覚していたと思います。

 

 Tさんは、このような仕事をしている医師として、いろいろなケースに触れていると思います。

 その中で、T医師のブログから、そのことを充分にやり遂げて旅立れた彼の生きざまに強い印象を受けたことが伝わってきました。

 

 また、このような状況のとき、心の広い専門職(医師、介護士など)に出会うのも大きなことです。

 T医師のような人に付き添ってもらって、よかったなと思いました。

          ☆

 

 親しい人の死去に触れるたびに、思い起こす文章がある。

 鶴見俊輔さんが、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴った『悼詞』の「あとがき」である。

 

▼〈「あとがき」

 私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。

 

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。

 

 しかし、この本を読みなおしてみると、私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない。こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。

(二〇〇八年八月一九日  鶴見俊輔)〉

 

※「鶴見俊輔『悼詞』(編集グループSURE、2008)

◎友人T・Yさんの旅立について。

〇T・Yさんから10月23日にファクスがあり、彼の携帯に電話して話を交わし、その後、ファクスの交信をしました。

 奥さんをはじめみんなに支えられて生かされているという心が伝わってきました。

 

 4日に腸閉そくの痛みで受診、そのまま入院になりましたが、これ以上の治療は無理ということで19日に退院したそうです。

 その後、24時間対応の訪問介護クリニックに診てもらうことになって、みなさんに支えてもらっての暮らしだそうです。

 

 あまり食べられない状態から、家での暮らしの中で食べたいものが出てきて挑戦しているそうです。そんな中での電話でした。

 厳しい状況だと思いますが、声を聴けてとても嬉しかったです。

 

 奥さんによると、彼女のヘルパーの経験、看護師・介護師の娘たちに支えられての生活だそうです。

 

〇彼は11月8日に亡くなり、その後、奥さんからファクスで次のような連絡がありました。

 

〈車椅子に移動して、パソコンの前には行きました、今日はこれだ、と。

Facebookに「皆さん さようなら」と書くのが最後と言っていたのですが、かなわぬままでした。

------6日から私と3人の娘でケアをして、8日の朝、息をひきとりました。

------家族ら14人で納棺し、火葬場でのお骨拾いも、0歳の孫まで静かに行いました。

------遺影はY子さんと一緒に登山した赤岳登頂時ので、とてもよい表情になりました。

ありがとうございます〉

 

 奥さんや子どもたちに見送られて、さぞや穏やかに旅立たれと思っています。

          ☆

 

 彼とは北海道の試験場で知り合ってから40年以上たちますが、よく交流するようになったのは、20年ほど前ある共同体を離れてからです。

 その後度々、様々な話を交わすようになりました。今年に入って、私の体のことやコロナの影響でお会いしていなかったです。

 彼の病状の厳しさを知るにつれて、お会いしたいと思いながら、果たせないままでした。そんな折先日ファクスがあり、携帯で連絡を取り合いました。

 

 彼は心底から明るい方で、話しだすと対から次へと話題が尽きることがありませんでした。

 関心ごとも幅広く、社会のことから共同体のことまでよく話し合いました。

 趣味も多彩で、山のこと、文学、映画など、いろいろな話を交わしました。

 書くことはあまりしていないようでしたが、Facebookの記載は短文だが考えさせられる内容で面白く、私の記事に対してよくコメントをもらいました。その視点は鋭く、楽しみにしていました。

 

 近来親しくしている方の訃報を聞くにつれ、いろいろな思いが出てきますが、同年代の長年旧交を温めてきた人の死去はことさら寂しいです。

 

 ここに、がん発病後の記録から、彼らしい文章からいくつかあげます。

           ☆

 

2016.4.7:69才にして始めての入院、ガンと決定。2016年4月6日 - 市民病院のかかりつけ医に体の不調を訴える。

 尿がかなり濃いアメリカンコーヒーぐらい。体のあちこちがかゆい。早速エコーで調べると、すい臓と肝臓との管の合流のところに腫瘍が出来てるらしい。すぐ診断書が出され、市民病院へ、明くる日入院となる。腫瘍が良性か悪性か断定するのにいろいろ検査。

 まず内視鏡を十二指腸まで入れ腫瘍のサンプルを取る。結構こたえる検査でした。

 何日が後、ガンと判定される。

*自分がガンになった時は、こうすると考えていたこと。

・自分の心の動揺をみてみよう(観察する。おもしろがる)

・自分の身体の内部に語りかけてみよう。(そんなセッションがあったかな)

・老いていくこととか、死に向かう時とか、その身の回りの条件環境に対して不平はない。その時々でOK

・いろんな治療を楽しむ、病院生活も楽しむ、いろんな患者をみてみる。

・この際、自分と向き合ういいチャンス、神からプレゼント。

・病院生活からみえてくるものがある。

・ガンを育てたのも、自分の身体、何がそうさせたか少しでもみえたら(自分なりの実感)

 *そんな、こんなと、その晩うかんできたことです。

 

2016.4.18:入院中に心に残ったテレビ番組2016年4月17日 昨夜- 市民病院でみたEテレで2つの番組が心に残った。

 *スイッチインタビュー渡辺謙と山中伸弥は先週の続き2人とも素直な言葉、ともに関西人として面白い。話を聞いていると力をもらう。

 謙さんの白血病を乗り越えた後の、心の変化はおもしろい。なにより、すなおで頑張ってる風でなく、その人らしく生きたらこうなった。何かヒントあり。

 *次の肺がんサバイバーは、余命半年と言われたフリープロジューサーが、いろんな治療をして、6年以上生きてる姿を見る。

 その人は、いろんなトライすることが生きることかも。自分はどうか、自分にはどううつるかおもしろい。これからのヒントになる。少なくとも自分はこうしないな、自分らしい、すごしかた、終わり方がみえてくる。

・手術できたら、後が問題。

・死が身近になると、穏やかになるもんだ

・長く生きるだけでなく、自分らしさが大きい。

・そんなに治療にトライしない。保険が適用されるものに限る。

・身体のシグナルにきいてみる。生活スタイルは変えられる。

 病室で寝られない、夜を過ごしながらなんとなく。

 

2016.6.17:人生始めての入院、その時のメモがあったので載せます。検査で2週間、手術で一か月、退院して17日たちました。

 不思議なものだ。いろいろ書く気になるなんて、なってみないとわからないものだ。

 4月医者からすい臓がんと断定され、不思議とショックなし、でも生死がグット身近になった。

 窓から見える武庫川の桜も見え方が違うクリアーだ、やっぱり景色は心で見ているんだ。入院生活意外といいもんだ。

 十分な内省する時間がある。(することがない)

 病気が検査ではっきりわかるようになり、それにより生死がせまってくる。これが少し快感かも。神様があたえてくれた貴重な時間かも。

 自己納得(生きるコンセプト軸にそった)で終う。終い方とは(方法ではなさそう)こうすりゃよかったはない。後がないので。

 

2016.8.13:術後3か月たちました。現在抗がん剤(経口)4週間やって2週間お休み、来週から抗がん剤再開、これを4クールやって、今年暮れに終わる。あまり副作用なし、食欲7割ぐらい戻る、体力回復のためにとにかく歩く、小説、映画を見る意欲が出てきた。

 体力がないと、小説の内容がなかなか頭に入らない、内面の葛藤などは読み切れない、このごろやっと戻ってきた。

 映画も2時間集中できない、そろそろツタヤも再開できそうだ。

 小説も映画もエロチックなものは、ダメになった。

 心の深いところを尋ねた時(自分の)エロスと生命力が心の深いところでは同じステージにあるのを、発見したのを改めて思い出した。心と身体、切り離せないようだ。

 とにかく、一年計画で山に登るのを目標にしてます。

 最近末娘に子供(娘)でき孫六人になる。男の役割は終わたかな。

 妻は末娘からおよびがかかり、何か嬉しそう、親父は出番がないようだ。

 

2017.2.13:身体のシグナルをきく

 抗がん剤をやめて2ヶ月、検査結果微妙、来月もう一度検査でわかりそう。

 そう簡単ではない、ゆっくり体とつきあっていくのがいいようだ。この機会に自分の身体のシグナルを訪ねてみたいと思っている。昔読んだ本に、身体の内部のいろんなところに意識を及ぼし、そこから発するシグナルをとらえるミッションがあったなと思いだした。心の深い部分なので、そばに専門家についてもらい、誘導してもらうみたいだ。やっぱり自分の身体の意志をちゃんとキャッチしたいものだと思う。

 がんになって無性に興味がでてきた。

 誰かそんなセッション、ワーク知っていればしらせてください。

 

2017.2.18:さよならカルト村(本)出版

 新聞の本の紹介欄の囲み記事にさよならカルト村の出版の案内があった。読んでないが、紹介文は私が居た村のように思われる。感想はなかなかしたたかに暮らして、その人らしい視点を育てたのを思った。私の娘3人も大人になって話の中からしたたかに、生活してたのがうかがえる、周りの大人に対して結構冷静に見てたんだと思わされた。まあこの3人の娘の両親(私ら)も結構冷静に矛盾を見てたし、距離を持ってみてた部分もあったなと思わされた。

 この作者も学校の図書館で本を読んで視点を培ったみたいで、私もこずかいで映画、本を仕事の合間にたくさん仕入れたことがあったなと思いだした。どんな場所にいても、自分なりの軸、視点をもっているのがいいな。

 

2017.10.22:君たちはどう生きるか。吉野源三郎

 最近漫画本になったりして、話題になっている。80年前に書かれた本らしい。私が小6の時学校の図書館で出会って衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。ちょっと恥ずかしく、かくして読んでいたみたい。主人公のコペル君の姿がその時の自分とかさなって、何度も読んだ気がする。考えてみればそこから、自分の生き方は一貫しているなーと、ちょっと感動。こんな本を書いてくれた作者に感謝、この本に出合った奇跡、喜寿になってしみじみ思う。人生のいろんな場面でいろんな選択したけど、自分で納得するまで考え決定してきたその核になった本、有難うと改めて思う。

 本の力、出会いいいですね、その時の内面とピッタリ響き合うのに出会った時、至福の時間ですね。

 

2017.10.31:朝早く家を出て、鳥取の大山登山、夫婦2人登り3時間頂上で、やさいたっぷりのラーメンを作り、大満足初雪も溶けていい天気。スキー場のそばの国民宿舎に泊まり、明くる日、鳥取砂丘、側のキャンプ場で暖かい昼食作り、ゆっくりして大満足。

 

2018.4.8:沈黙の人(小池真理子)を読んで。

 この歳になると結構、身に迫る物語だった。パーキンソン病を題材に、作者の父親の自伝的小説。自分もだんだん人生を振り返ることが多くなる。地が楽天的な私は完全な肯定的にとらえている、いろんなことも今の自分になってて、大事なものと思える。 

 特に私の原点に近い青春時代に最初にはっきり自分で選んで決定した生き方の出発の地、北海道根釧原野のコミュニティでの生活、そこの人間の心に触れて、一人で冬空に涙したことなどが心に残ってる。

 その地のことを小説に書いた本が出来たようだ。ある人から私のことがうまく書かれてるよと読むようにすすめられた。何か素直に読もうと気にならない。あの時代のことは私の中で宝石のように今輝いている、他にことで変えたくない感じだ。

 夢中になった恋愛(そんなに多くない)よりも輝いてる感じ、夢中で過ごした時代だったと改めて思う。やっぱり青春の真っただ中だったかな。

 

2018.7.19:7月6日~10日で久しぶりに単独テント縦走、ゆっくりとコースタイムの2割増しですな。このコースだけまだ歩いてなかったので。71才この年齢でないと味わえない山行でした。テントはまだ何年か行けるかな。

 

2018.11.14:秋も深まったこの頃、夫婦2人で蒜山登山から湯村温泉に泊まり明くる日、津山城跡,旧閑谷学校へ行く、閑谷学校は想像以上にいいとこでした。山は紅葉終わり、下は紅葉真っ盛り。ひと月に一度ぐらいは、山と温泉行こうと2人で話してるこのごろです。

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2019.12.29:末娘に男の子生まれる。奥さんは生まれる少し前からサポートに2週間行く。私は孫の顔を見に奥さんを迎えに行く。7人めの孫でした。これで終わりかな。

 

2020.6.1がん転移その後。いろんな人からコメント、電話、暖かい気持ち、ちょっと元気がでる。でも反面もういいかとも思ってしまう。4年前の手術の時の体力、気力と今の低下具合を考えるとそんな気持ちにもなる。癌のサイトを見たりして何が合ってるか分からないのに、やっぱり不安なんかな。それぞれにその人が選んだ治療、終い方がいろいろ思われてどれも共感できそう。朝起きて調子がいいと積極治療、悪いと、もういいかと揺れ動く毎日です。

 

2020.7.9:退院して、落ち着きました。抗がん剤は本当に大変でした。身体の細胞に作用するとはこんなことか。想像を絶する体験でした。すい臓がんの性質から進行が月単位で進み、あまり種類のないなかで、標準の一番きついのをやりました。いろいろホローをしてもらい担当の若い女医(娘ぐらい)親身にしてもらい、もう二度とするものかと思っていたのが、退院するときはこの先生に預けようという気になりました。でもこのがんはそんなに治療方法は多くなく、これからどうするかどう終末を迎えるか自分で決めないと、退院前のがん専門の看護師さんとの面談でいろいろ聞いてもらえました。どうするかはこの後で書きます。よろしく最後までそれとなく見ていてください。

 

2020.7.31:いろいろ心配してくれてありがとう。まず前提にそれぞれその人のいきかたがある、死に方もあると思います。私が共同体と言われる村を出る時はっきり決めたこと、それは世間の普通の人と一緒に暮らすことでした。近所の人、いろんな宗教の若い人(近くにいろんな宗教がある)としゃべったり。農業をやる人、後継ぎでやってる人としゃべったり。

 だから今の保険での標準治療をやって、どんな気持ちになり、医療従事者の姿に接していろいろ考えさせられました。私のおやじは普通の親父でしたが、にてきましたね。尊敬してますよ。それぞれの生き方死に方を出来ることなら否定しないで見守ってくれると嬉しいですね。

 

2020.8.7:抗がん剤治療のこと。

 2回めの抗がん剤治療終わって回復期一週間気が付いたこと。だいぶ食欲戻り、体重はこれから、これだけ痩せるかと思うだけやせ、ちょっと近所散歩。この標準治療をやると体力落ちるのは仕方がないが、それよりも、もっと大事なことは精神的に落ち込んだり、およよと予期せぬ事態に苦しんだり、心の部分の大きさを思われる。だからやめとけと言う体験者が多いと思われる。いい体験ですな?

 

2020.8.14:自宅でがん療養中、一番大切なこと。連れ合い妻の存在がつくづく思われる。生活面も大きいが。なにより精神面、心の支えになってる。これが一人での生活だとぞーっとする。

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◎支え合いで成り立つ社会へ。

〇わたしが60歳の時、妻の90歳を越える両親の生活状況が厳しくなっていて、義父母の一緒に暮らしたいとの要望もあり、2007年12月に三重県鈴鹿市から島根県出雲市に移住した。四人合わせて300歳を超えていた。

 

 出雲に移住してから、両親が手掛けていた自家用の野菜づくりを引き継ぎ、子どもや知人に随時いろいろなものを贈っていた。だんだん自分たち家族だけではなく、そのことも含めて作業計画を立て、だんだん面白さ、張合いのようなものが出てきて、能力いっぱいに作っていた。

 

 両親が亡くなり、家の整理をして2015年8月に神戸市に引っ越しした。

 子どもたちは、畑がなくなることで、私たちの楽しみがなくなるのではないかと心配していた。ある時まで、娘は、身近に畑ができるような物件も探していた。

 

 相応しい市民農園などがあれば無理のないところで関わろうと考えていたが、ことさら高齢化した私たちが手掛けることもないとも思っていた。今ではとてもそれだけの気力はないが。

 むしろ、いろいろ取り組んでいる人たちと繋がっていくことが大事だと思っている。

 

 神戸に来てから、義兄が大手術をしたとの連絡を受けた。近年このような連絡が度々あり、お互いに何が起こってもおかしくない年齢ではあるが、いろいろ思うこともあり、随分と心配した。その後の状態は良好だということで先ずはホットしている。

 

 様々なことで、出雲での私たちのことを支えてくれた夫婦で、回復祝いということで、妻と相談して、おぐらやま農場から「シナノ3兄弟」というリンゴのセットを贈った。

 義姉から、丁寧な包装形態やそのリンゴのおいしさの、大層喜んでいる様子が伝わってくる電話を受け、私たちもうれしくなった。

 

 私たち夫婦が知人たちに会いに安曇野に行ったとき、おぐらやま農場を初めて訪れた。そこで農に一生をかけている姿に触れて、逞しさを感じ、その考え方に共鳴し、ささやかながら応援をしたくなり、早速年間コース会員に登録してから定期的に送られてきて、子ども達共々美味しくいただいている。

          ☆

 

○朝日新聞に、稲垣えみ子「(ザ・コラム)選挙の後に 毎日が投票日かもしれない」に、近所のおしゃれな雑貨店の張り紙の言葉として、「お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ」が紹介されていた。

 

▼〈少数意見の尊重は民主主義の大切な理念ですが、何をもって「尊重」とするかは定かではありません。一方で、新聞は日ごろ「公正な選挙は民主主義の根幹」と訴えているのです。なのに、選挙の勝者が強いリーダーシップを発揮すると文句を言う。権力監視がマスコミの役割とはいえ、我ながらどうもスッキリしない。

 

 選挙とは、政治とは何だろう。考えるほどに、だんだん選挙がキライになってきました。「選挙=民主主義」だとすれば、我々が力を行使できるのはせいぜい数年に一度です。主権者とおだてられながら、なんと空しい存在でしょう。

 

 そんなある日、近所のおしゃれな雑貨店でこんな貼り紙を見たのです。

「お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ。」

 ハッとしました。買い物=欲を満たす行為。ずっとそう思っていた。でも、確かにそれだけではありません。お金という対価を通じて、それを売る人、作る人を支持し、応援する行為でもある。ささやかな投票です。

 

 選挙は大事です。でも選挙以外のこと、すなわち、一人一人が何を買い、日々をどう暮らし、何を食べ、どんな仕事をし、だれに感謝を伝え……ということは、もっともっと大事ではないか。逆に言えば、そうしたベースを大切にし尽くして初めて、意味のある選挙が行われるのではないか。投票しさえすれば、誰かがよい社会、よい暮らしを実現してくれるわけじゃない。

 

 当たり前のことですが、どうもそこを忘れていたことに気づいたのです。

 以来、「お金=投票券」というつもりでお金を使っています。

 

 例えば、私の愛する日本酒。私の好きな酒を造る人、そんな造り手の思いを消費者に届けようと奮闘する酒屋を支持する気合を込めてお金を払います。「がんばって」「応援してるよ」と心の中でつぶやいてみる。そうつぶやけない酒は(できるだけ)飲まない。この行動を、すべての買い物で実現しようとしています。

 

 そう思うと、買い物って実に爽やかで豊かな行為です。買ったモノを楽しんで使うだけでなく、買うことが自分にとって心地よい世の中を作ることにつながっていく。お金の持つ可能性が何倍にも広がり、生きることが楽しくなりました。自分を支えてくれる人が幸せになって初めて、自分も幸せになれることにも気づかされました。私はひとりではなかったのです。

 

 今や消費者というより、好きな働き手を支える投資家の気分です。日々闘いです。

 先日、優しい老夫婦が切り盛りする、昔ながらの近所の手作り豆腐屋が店を閉めました。悔しいです。後継ぎがおらず、私が数百円払ってせっせと豆腐を買うだけでは力不足でした。ネットで全国の豆腐屋をもり立てる活動を起こすとか、もっとできることがあったのではと悩んでいます。そして、こんな豆腐屋さんが生き残っていけるような政治をのぞみたいのです。

 

 私にできること。政治にできること。まずはそこからしっかり考える。そう決意を新たにする年の初めを過ごしています。〉

(「ザ・コラム 選挙の後に 毎日が投票日かもしれない」 稲垣みえ子 朝日新聞デジタル 2015年1月3日より一部抜粋)〉

          ☆

 

 私たちは、長い間ものを買うときに、品質とともに値段を気にし、少しでも「特」になる安くていいものを得られるようなところを狙って、いろいろ調べて買っていた。そのほうが、特定な関係による変なしがらみがまとわりつくことなく、自由な感じがしていた。

 

 だが、出雲に移住してから、様々な人と交流を重ねるうちに、徐々になじみの人とそのお店や会社が増えていき、次第に値段というよりも、総合的な信頼感のようなものでつながりができてきて、そこで必要なことを誂えるようになっていった。

 

 そうなると、買い手と売り手との関係でなくなり、業務以外のいろいろな日常的な相談事も交わし合うようになっていく人も増えていく。神戸市への引っ越しに際して、そのような方たちにもお世話になった。神戸にきてからもいろいろな方に支えられている。

 

 緩やかではあるが、このような交流が地域社会づくりにつながっていくように思っている。

 日々、当たり前のようにしている行動に、大事なことがあるのではと考えている。

◎「命の閉じ方」(佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』を読む)

〇本書は、著者が在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった自身の母の病気、それを献身的に看病する父の話を横軸に、看護師の男性との出会いと別れを縦軸に、京都の診療所を舞台に、在宅医療に関わる医師や看護師、そして患者たちの7年間にわたる在宅での終末医療の現場を活写する。自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれるノンフィクション。

 

 本書扉に、「これは、私の友人、森山文則さんの物語」とある。

 森山は、京都にある渡辺西賀茂診療所の訪問看護師だ。数年間で200人以上を看取ってきたという。本書のプロローグは、2018年8月に彼の身体に起きた、小さな異変の記述から始まる。そして、48歳で肺転移のある膵臓がんと診断された。生存率の低いすい臓原発のがん(ステージⅣ)に侵されていた。

 

 そして、彼は最後の仕事として「患者の視点から在宅医療を語る本をつくりたい」と著者に共同作業を持ちかける。

 

〈森山の仕事は、患者が死を受容できるように心を砕き、残された時間を後悔のないように生きるよう導くことだった。彼はすでに自分が終末期に近づきつつあることを、わかっているはずだ。しかし、彼の口からはこんな言葉が漏れた。

「僕は生きることを考えてます」(本書「2018年現在」より)〉

 

 元気だった頃の森山が看護した患者さんの姿と、病状が進行していく2018年~2019年の森山の姿が、本書では交互に描かれる。そこに、佐々家の在宅看護が入ってくる。各章の間から浮かび上がってくるのは、終末期の患者であっても名前をもった一人の人間だ、という事実だ。そこには、果たしたい夢や届けたい思いが必ずある。

 

 著者は家族を巻き込む在宅医療に心理面で否定的ながらもチームに同行し、そのプロセスを取材する。その道程でチームメンバーと「命の閉じ方」について語り合う。患者、その家族、医療者の場面ごとの心の揺れや小さな喜び、落胆などを見逃さず、小説のような繊細な描写を重ねて、読者に語りかけてくる。

 

 森山は「患者さんたちが、僕に教えてくれた」といったという。その言葉に導かれるように、著者の脳裏には、京都の家々を回った訪問看護の取材の記憶がよみがえってきたという。

 死が迫った患者の願いで、京都から知多半島まで潮干狩りに行ったこと。終末期の患者さんのお宅でのハープコンサートを開いたこと。がんに侵された若い母親とその子供たちと一緒に夢の国(ディズニーランド)を訪れたこと。気の強い老婦人の願いを叶えるために、生きたドジョウを探し回ったこと…など。

 

 著者は次のように記している。「終末期の取材。それはただ、遊び暮らす人とともに遊んだ日々だった。そして、人はいつか死ぬ、必ず死ぬのだということを、彼とともに学んだ時期でもあった。たぶん、それでいいのだ。好きに生きていい。そういう見本でいてくれた」

 

 本書は終末医療のさまざまな具体例が活写され、いろいろなことを考えさせられる。読み進めてきて、最期の「あとがき」が身に沁みてくる。

 

〈七年の間、原稿に書かれなかったものも含めて、少なくない死を見てきたが、一つだけわかったことがある。それは、私たちは、誰も「死」について本当にはわからないということだ。これだけ問い続けてもわからないのだ。もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただ一つ確かなことは、一瞬一瞬、ここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいるということになるのだろう。

 気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へ一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を済まさなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから「生」について学んだ。(本書「あとがき」より)〉 

 

 55歳頃から10年程、主に重度心身障がい者関連の仕事や義父母の介護ta体験などに照らしながら読んでいた。この事業所の森山さんをはじめスタッフの方々に触れて、ここまでやるのだなと、その心に関心をしていた。だが比較するものでもないし、自分としてはそれなりにしていたと思っている。むろん、もっと寄り添っていったらよかったなと、いくつかの反省はある。

 

 難病にかかり、妻の支えなしには外出もままならない現在の自分にとって、「いのちの閉じ方」に思いをはせることもある。また、当事者と同じように、あるいはそれ以上かもしれない身近な人、家族の心の不安をも思う。

 

 著者が「あとがき」で述べているように「最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること」をこころに置いておきたい。

 

※佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル、 2020)

          ☆

 

参照:▼佐々涼子さん 『エンド・オブ・ライフ』「ZAKZAK」の【BOOK】(夕刊フジ2020.3.29)の記事から。

 https://www.zakzak.co.jp/lif/news/200329/lin2003290001-n1.html

 

“捨てる看護”訪問看護師・森山文則氏が身をもって見せてくれた… 佐々涼子さん『エンド・オブ・ライフ』

 ■逝く人と看取る人、在宅での死の意味

 多くの人が口にする「最期は畳の上で死にたい」という言葉。その本当の意味とは何か。逝く人と看取る人は、死にどう向き合いどのように行動し、何を語るのだろう。気鋭のノンフィクション作家・佐々涼子さんが在宅での終末医療を問う問題作だ。(文・冨安京子)

 

 ■49歳で急逝

 --冒頭、「これは、私の友人、森山文則さんの物語」とあります。

「彼は京都の診療所に勤める訪問看護師で、薬科大で教鞭も執っていた、いわば終末医療の専門家でした。200人もの最期を看取り昨年春、すい臓がんを原発とする肺転移で発症から8カ月目に49歳で亡くなりました」

 

 --どんな出会いを

「7年前、私は海外で客死した人々の遺体を運ぶ仕事を書いた『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で賞をいただき、次は在宅医療について取材してみないかと編集者に声をかけられ、その取材で知り合って後に友人になりました。彼の物語を書こうと思ったのはがんが見つかり、今度は彼が看取られる側に立った2度目の出会いのとき。彼と最期の日々をともに過ごすことで、在宅での死の意味を知ることができると思ったからです」

 

 --どういうことですか

「訪問看護のプロだった彼が医療から遠ざかり、自然治癒力に賭けると言い出したときには戸惑いました。しかし、人生で大事だと思っていることをひとつずつかなえて、やがて運命を受け入れるのを間近で見せてくれているのだと気づきました。当初は『実践看護』の本を作りたいと望んでいたので『看護についてまだ聞いていませんが』と言うと、自宅のベッドの中からふふっと笑って、『何言ってんですか佐々さん、さんざん見せてきたでしょ』って」

「え? と言葉に詰まっていると、好きな人と好きなように過ごし、体の調子と相談しながら『よし、行くぞ』と言って好きなものを食べて好きな場所に出かける。これって病院では絶対にできない生活でしょ、と。実際、彼は抗がん剤をやめ、毎日が夏休みのように妻と遊び、ありふれた普通の生活を普通に続けたんです。私も時々お伴してウナギを食べに行ったり葬儀の相談をしに行くという彼についてお寺へ行って話を聞いたり。記憶の中には楽しく遊んだことが多く残っています」

 

 --意外です

「森山さんはそれを“捨てる看護”と名付けていました。元気な時代、彼が看取った人の中には、酸素吸入をしてあえぎながら家族と一緒に潮干狩りをし、その夜亡くなった人もいます。私が森山さんを通して見た在宅医療は、医者はたとえ患者に負担がかかることが分かっていても本人の希望を最優先し、それを支える家族、医者や看護側の人たちが一致協力するという形でした」

「そこでは命に対して医療ができることは次第に小さくなっていき、人生は家の中でこそ続くものであり、希望も家の中でならかなえやすいと知りました。逝く人は、家族などに生きたいように生きてもらったなという、ある種清々しい達成感を残したように思います」

 

 --文字通り命がけで遊ぶ。これまで見聞きした終末医療とは違います

「人はみな、答えが欲しいんですよね。命を閉じるときはどうすればいいか、とか。でも正解はその人にしか分からない。しかも、その時々でああでもないこうでもないと選択肢が揺れ動く。森山さんもそうだったように、そんな人間としての“弱さ”を周りに見せられるのも、自分の望む支援を受けるために必要な強さだと思いました」

 

 --ご家族のケースも明かされていますね

「父はパーキンソン症候群を病んでいた母を約10年在宅で介護しました。『どんな姿でも生きてほしい』という父のために母は、懸命に生きたと思います。父は母が亡くなったあと世界旅行の船旅に出かけます。南極でペンギンと写真に収まった姿を見たとき、ここには不思議な明るさがある、これがやり切った人の姿かなあと。両親にもまた生き方を見せてもらったと思いますね」

(以下略)

 

▼週刊「読書人ウェブ」(2020年3月20日)の「佐々涼子インタビュー 生きるということ、幸せの拠り所」に次のように応えていた。

 

・この本は闘病記ですが、病気や死について書いているのではない気がします。人が生きることの基本や、幸せになる方法について、教えてもらったことを丸めてしまわずに、なるべくそのまま、その人たちの言葉が伝わるように書こうと思っていました。

 

・「命に覚悟を持つ」とはその場に立ってみなければけして分からないことですよね。マスコミは表層的にまとめて、延命の良し悪しを話題にしがちです。でも一人一人身体の状態も違うし、家族や環境も違う、人生観も違えば、医療との付合い方も違います。延命治療に対する唯一の答えなどあるはずがない。でも一つの型に押し込められ、是非論に押し切られている気がするんです。

 

・森山さんは西洋医学に精通していましたから、最後まで高度先進医療を受けて、できる限り延命するという選択肢もあったはずですが、闘病の末「もっと恰好よく逝きたかった」と悔しがりながらも、セデーション(鎮静)を選択した。

 これから先、私もどんな体で生きていくことになるのか、そのときにどう受け止め何を考えるのか、それは予断を許さない状況です。ただ、森山さんのような専門家にとってさえ、その時にならないと分からないということが分かったし、迷っても、途中で選択を変えてもいいということが分かった。

 でもそのとき、先に逝った人の生き方が力を貸してくれるのではないかと思っています。亡くなる方たちはとても大事な学びの瞬間を与えてくれました。誰かの選択について私がどうこういうことはできないし、それぞれの決断があってそれぞれでいい。誰にとっても一度限りの人生で、後悔しても戻るわけにはいかないですから、そのそれぞれの決断を学ばせてもらう。そういうつもりで書かせてもらいました。

 

・蓮池史画先生と早川美緒先生を取材させてもらいましたが、とてもいい先生方でした。痛みとはパーソナルなもので、同じような症状だとしても人によって感じる痛みが異なってくる。痛みには身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペイン(魂の痛み)の四種類がある。身体的な痛みを完全に取り除けばいいかといえば、逆に実際の痛みが軽くなった分、スピリチュアル・ペインが表れてくることもあると。モルヒネの処方にしても、刻々と病状が変わっていきますし、規定通りで痛みが取れないときに、追加する責任を医師がどこまで負うのか。知識や経験はもちろん、患者を思いやる気骨や医師の性格にも左右されるでしょう。患者を身体だけでなく心まで看て、痛みをコントロールしてくれる医師の存在は、救いでした。二人に一人ががん患者という現在、私たちにとって救いです。これまで医療とは治すためのもので、緩和ケアは重視されてこなかったようですが、人を救う仕事だと思っています。

 

・残された時間の中で、家族との約束を守りたい、いい思い出を作りたいという願いは、やはり心を打ちますよね。そういう時間を生き切るために支援できるのは、遺される人たちにやり切った達成感や一体感ももたらします。それはある意味では、亡くなっていく人が贈ってくれるものなのかもしれません。

◎子どもが育つ環境について思うこと。(二人目の孫が生まれて)②

〇子どもが育つ人的環境について

 子どもが育つ環境については、物的環境、人的環境、空間的環境、時間的環境とそれぞれあるでしょうが、僕が最も大事にしていきたいのは、人の和ではないかと考えている。

 

 子どもが健やかに成長していくためには、できるだけ多くの人が関わっていくことが必要ではないでしょうか。

 

 子どもを母親だけに任せるのではなく、複数の人々の手と心で育てることの重要性で、「子育ての社会化」、「子どもの生活と体験を豊かにする社会的な仕組み」を作っていくことが何よりも大きいのではないかと思う。

 

 現代の子育てに関わる様々な問題が、「家庭」に原因があるという論が根強くある。この場合「家庭」とは、ほとんどの場合「母親」になる。現代の日本社会では、子育ての責任の多くが「親」に負わされている。どんなに意欲的な親であろうと、人には限界があり、まして現在の日本社会のように核家族化している状況では、あまりにも酷な見方だ。

 

 だれか一人の人の世話を特定の人がそっくり見ることは、無理ではないでしょうか。

 

 少しぐらい怪我をしてもいい、子どもたちはもっと自然にふれ友だちと取っ組み合いをし、家庭や学校といった閉鎖空間の中でではなく、地域社会の中でのびのびと育ってゆくべきだと思っていても、「安全」という名目で、子どもの自由をどんどん制限していくようになるのは、母親などの特定の人に責任を負わせがちになっているからだと思う。 

 

 複数の親たち、複数の兄弟姉妹の中で、ある特定の人に負担がいかないような、小さくてもいいので、その他の人同士が織りなす家族のような輪が広がったらいいと考えている。

 

 それもべったり密着した関係ではなく、ほどよい距離があり、一人ひとりの時間や差異を尊重し、ときには批判したりされたり、それでもくずれないというような関係だ。

 

 そのような輪の中で、子どもを操作対象にしないこと。「しつけられる対象」、親や教師から、「指導や教育を受ける対象」ではなく、子ども自ら考える存在であるということ。

 

 生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、ただ受け身的に外界に接しているのではなく、見たいものを見る、複雑なものや新規なものをしきりに見たがるといった好奇心にあふれている。 成長するにしたがって、ますます意欲的になっていく。子どもは、「自ら学び、自ら育つ力を持っている」、本来的に「自律的」な存在だといえる。

◎子どもが育つ環境について思うこと。(二人目の孫が生まれて)①

〇よい環境で育つ、人の中で育つ

 ひとは生きるために、その生涯の出発点で、他者からの援助を必要とする。赤ちゃんはぎゃあぎゃあ泣いて、お乳をほしがって、飲んで、寝て、うんこして、お母さんの顔を懸命に覚えて、とにかく必死で生きようとしている。

 

 それに対して、なんの留保条件なしに、乳首をたっぷりふくませてもらい、乳で濡れた口許を拭ってもらい、便にまみれたお尻を上げてふいてもらい、からだのあちらこちらを丁寧に洗ってもらい、からだを包み込むように服を着せてもらうことなどから日々の暮らしが始まる。

 

 言うことを聞いたらとか、おりこうにしたからとかいう理由や条件なしに、自分一人ではほとんどのことができない弱い存在でありながら、生命力あふれるいのちがここにいるという、ただそういう理由だけで世話をしてもらう。

 

 おとなというものは小さく、弱く、はかなげなものをほっておけない力を潜在的にもっているそうで、これは子どもがいるいないにかかわらず、女性、男性にかかわらず、どんな人にもあるのではないかという発達心理学者もいる。

 

 長らく家族、家庭のあり方が大事にされてきたのは、この世に授かった個人をはじめ、どのような人でも、もっとも弱く非力な人たちであっても、その人らしさを失わずに自尊の感情をもち、みんなの輪の中で安心して暮らしていけるようにと、ああいう人間になったらといったような条件をつけずに、その存在を全的に受け止める基盤であったからだと思う。

 

 そのような家庭で育ったひとは、「親密さ」「信頼感」の基礎となるようなものを、からだで深く憶えていくのではないだろうか。

 

 やがて、いろいろなものに好奇心を覚え、動き回るようになる。また、お母さんや周りの人たちから声をかけてもらったり、話を聞いたりして言葉を使えるようになる。

 

 歩けるようになったばかりのときは、嬉しくて歩き回る。つまずいて転び、痛い思いもするが、泣きながらでも、すぐに立ち上がったする。そんな時、温かい気持ちで見守っていてくれる人がいて、やさしく抱きとめたり、「痛かったね」などと声をかけたりしてあげれば、痛みも半減するのではないだのか。

 

 ときには、見ているおとなが肝を冷やすようなことも多々生じてくる。高い所によじ登って飛び降りてみたり、狭いところに入り込んだり、重たいものを持ちあげようとしたり、そのような体験をしながら、からだでいろいろ覚えていくのでしょう。そのためにも、まわりにいろいろな人が、見ていないようなふりをしながら、危険なことにならないように見ている人がいることが大きい。

◎孫の成長記録(姉・二歳、弟・二か月)

〇姉は10月20日の誕生日で満二歳。8月28日生まれの弟はもうすぐ二か月。

 何かと二人の孫のどちらかをみることが続いている。

 

 新生児を預かるのは、お姉ちゃんよりも、今のところだいぶ楽だ。

 弟の様子を見ていると、姉の成長の軌跡を思い、二年という時間のもつ豊饒さを思う。

 

 歳をとっての一年は年齢分の一年であり、私の場合は七三年分の一年である。

 姉の場合はまるまる二年で、弟は二か月近くになり、その成長を目の当たりに感じる。

 

 子どもの頃は時間はゆっくり流れ、年をとるほど早く流れるようになるという。

 孫をみていると一日一日が輝くように充実しているように思う。

 

 姉は10月から保育園にいき、大泣きすることもあるようだが、ある程度楽しみにしているようだ。

 出かける様子を見ていると、よそ行きの服を着て、「いってきます」と言わんばかりに、微笑んでバイバイをする。

 

 ことばも大分覚えて、しきりに何か言いかけるが、私にはよくわからないことが多い。妻はだいたい分かるらしく、孫も手ごたえを感じるのか、会話らしきことになっている。

 

 また、妻の結構長い言い回しも、そのままオウム返しにぶつぶつ繰り返すので、二歳にしてはたいしたものだと妻も感心している。

 

 幼児のことばの発達について次のように言われている。

 ➀自分では発語できないが他人の言葉の意味はわかり、動作や行動を示す「理解の段階」

 ②呼吸機能や発声機能を調整しつつ構音能力をつけ、言語を正確に発声させる「模倣の段階」

 ③理解や記憶している語を発語する「生産の段階」

 

 ②模倣と➂生産をしきりにして、会話能力をぐんぐんつけていっているのではと思う。

 

 最近のお気に入りは、携帯電話を使って一人語りをすること。

 携帯電話の買い替えのときに、古い電源の入っていないものを、玩具代わりに与えたところ、わが家に来ると、それに目がいくことが多い。

 

「アッ もしもし」「いまいいですか」「はい---はい---はい」「すいませんね」

 おそらくママを見ていて、その真似をしているのだろう。しかも歩きながら。

 

 誕生日のプレゼントをあげると嬉しそうにしていた。

 一歳の時は、犬のぬいぐるみを贈り、とても喜んで、今でもいつも子分のように引き連れている。

 

 お姉ちゃんは弟の頭をナデナデしているようで、髪の毛を引っ張たりして、ママにしかられているらしい。

 可愛がっているのか、遊んでいるのか見分けがつかないが、弟のことを何かと気にかけていることは感じる。

 

 弟は、生まれた当初は視力もあまりなく、見えているものが何だかわからないだろうし、全体的にぼんやりしているように見えた。

 日に日に見えているものが何だかわからないにしても、徐々に眼の輝きがはっきりしてくるように感じる。

 

 二か月近くになり、目の前のゆっくり動くものを少し目で追うこと(追視)もできるようになり、追視できる範囲も徐々に広がっているようだ。

 また、眼の輝きからすると、娘宅とわが家の違いも何となく分かるのではと思う。

 

 泣くときは、手足をバタバタさせ体を揺らして泣く。全身を使って表現していると思う。

 生命力のエネルギーの凄まじさを感じる。こうして身体、脳の発達と続き、こころを培っていくのだろう。

 

◎広々した時間意識で(内田樹『サル化する世界』より)

〇本書は「今さえよければ自分さえよければ、それでいい」―サル化が急速に進む社会でどう生きるか? との内容で、ポピュリズム、敗戦の否認、嫌韓ブーム、AI時代の教育、高齢者問題、人口減少社会、貧困、など、講演や論考をまとめたものとなっている。いくつかは内田樹の研究室にも掲載されている。

 

 文春オンラインに内田樹へのインタビューが掲載されていて、そこに、「時間意識」について語ったところが、特に印象に残った。そこに焦点をあてて思うことを述べる。

 

 内田は現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いを次のように述べる。

 

《“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

(中略)

 時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。》

 

 現在は過去の蓄積の上に成り立っており、「いま」をどこから考えるかといえば、過去の経験や知識から得たもので考えるのであり、「いま」という時の流れをそこだけ切り取ることなどできない。また、自分の生きる場はちっぽけな世界にすぎないが、それは世界中のあらゆる出来事、宇宙自然界を含むあらゆる出来事とつながっており、当面する「いま」が未来を動かす出発点になる。

「いま」をどう見るか、それにどう対処するかは、過去の反省や検討、未来への展望なしには出てこない。これがないと、私たちは目先の現象だけに一喜一憂するその日暮らしの生き方しかできなくなる。

 

 そして、「レヴィナスの時間論」につづく。

《エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

 

 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。》

 

「レヴィナスの時間論」については、内田樹の研究室(2014-11-16)で触れている。内田の見方には面白さを感じたが、レヴィナスの時間論については私にはよく分からなかった。

上記の「広々とした時間意識」のところで次のことを思った。

 

 少し飛躍するようだが三木成夫『胎児の世界―人類の生命記憶』のことを思う。

 本書は胎児が刻々とかたちを変えて、生命の歴史を再現していくことを詳細に追っていて、人類の体には40数億年にわたる生命の変化の歴史が刻まれているというもの。

 

 母親の羊水の中で、胎児は魚類から陸上生物へと1億年を費やした脊椎動物の上陸のドラマを再現する。つまり受胎してはじめのころは古代魚類の姿であり、母親の体内で地球生命進化の歴史を駆け抜けていって、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類、そしてヒトへと“変身”を遂げて、この世に生まれてくる。そして、原形としての“すがた・かたち”は、今も私たちの体の中にその痕跡をとどめている。そして、われわれの中には太古からのさまざまな記憶がインプットされているのはないか、という遠大な仮説である。

 

 一人のひとが、宇宙自然界の何らかのつながりで生まれ、そして宇宙自然界に還っていく。そのひとには、太古以来の生命記憶が宿っているのではないかという見方は魅力ある。

 

 さらに、内田は「子育て」においての植物的時間について語る。

《僕が子供の頃、1950年代はまだ生産者のうち農業従事者人口が50%を占めていました。ですから、経済活動を考量するときの時間単位が「植物的」だった。ですから、学校教育でも、子どもたちの成長は農業のメタファーで語られていました。「種子を撒いて、水と肥料をやって、日に当てて、風水害や病虫害から守ると、収穫期には果実が実る」という言い方で家庭教育も学校教育も語られた。

 

 子どもたちは「種子」ですし、育ち方はお天道さま頼りですから、先行きどのようなものに結実するか予測できない。キュウリができるのか、トマトができるのかは分からないけれど、きちんと手入れをすれば、この子が持ってる潜在可能性は開花するだろうという、諦観と楽観の入り混じった感情で子どもは育てられた。いくら手入れをしても、さっぱり芽を出さない子については「大器晩成」といって、そのうち何か大きなものに結実するんじゃないかというような気楽なことが言われた。》

 

 私は、北海道での酪農から始まり精肉など牛関係の仕事に20年ほど携わってきた。お店で見ることができる「牛肉」にどれだけの人やもの、時間、エネルギーが籠められているのかは、携わったことのない人には、よく分からないのではと思う。

 

 最近になって、娘に新生児がうまれ、2歳近くの孫をみることがつづいている。あれあれという連続で、爺という立場もあり、それは面白くて楽しいが、子育てはホントに手間がかかると思う。

 

 植物的時間で、気長に見守りながら、起きる時間から食べる時間遊ぶ時間眠る時間をとおして乳幼児に合わせながら自分のすべてを使って守り育てている体験は、母親のしたたかさを培うような気がする。

 

 これは乳幼児に限らず、子育てにおいて植物的時間で、気長に見守ることが基本だと思う。

 また、なにごとも広々した時間意識でみることの大事さを思う。

 

※内田樹『サル化する世界』(文藝春秋BOOKS,2020

          ☆

 参照:文春オンライン(2020/02/29)より。

「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候――内田樹インタビュー「サル化」が急速に進む社会をどう生きるか?

 

「今さえよければそれでいい」という発想

――現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いは何でしょうか?

 

内田 “サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

 

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から

――確かに社会のさまざまな局面で長期ビジョンが失われ、刹那的な傾向が強まったように思います。

 

内田 「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

 

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという“脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

 

 これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

 

――有名な故事の数々が、時間意識のトレーニングになっていたというのは驚きです。

 

内田 時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

 

 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。

 

現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか

 だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。

 

 ――いまは日々あまりに忙しすぎて、目の前のことにあくせくせざるを得ないという社会環境も大きいと思います。

 

内田 産業構造の変化のせいだと思います。経済活動が人間的時間を超えた速度で活動し出した。株の売り買いなんかはマイクロセコンド単位で、アルゴリズムが行うわけですから、今の経済活動の基本時間はもう人間的時間ではない。人間の身体感覚や知性が賦活される時間の流れ方ではないのです。

 

 僕が子供の頃、1950年代はまだ生産者のうち農業従事者人口が50%を占めていました。ですから、経済活動を考量するときの時間単位が「植物的」だった。ですから、学校教育でも、子どもたちの成長は農業のメタファーで語られていました。「種子を撒いて、水と肥料をやって、日に当てて、風水害や病虫害から守ると、収穫期には果実が実る」という言い方で家庭教育も学校教育も語られた。

 

 子どもたちは「種子」ですし、育ち方はお天道さま頼りですから、先行きどのようなものに結実するか予測できない。キュウリができるのか、トマトができるのかは分からないけれど、きちんと手入れをすれば、この子が持ってる潜在可能性は開花するだろうという、諦観と楽観の入り混じった感情で子どもは育てられた。いくら手入れをしても、さっぱり芽を出さない子については「大器晩成」といって、そのうち何か大きなものに結実するんじゃないかというような気楽なことが言われた(笑)。

(以下略)

https://bunshun.jp/articles/-/35353

◎退院後10ヶ月目の脊髄小脳変性症の診察を受ける。

〇今日は定期的な検査でK病院に行く。新型コロナウイルスもある程度落ち着いてきたが、ごった返していた総合病院の窓口受付はそれ以前と比べて4分の一程度になったのか、受付から診療まですんなり進む。

 

 ヘンな言い方になるかもしれないが、それほど必要性のない人が結構来ていたと思われる。医療保険がある程度行き渡っているのか、安易な病院依存が増えていたのかもしれない。

 

 久しぶりに人が集まる場にいると、いろいろなマスクがあるものだなと思う。カラフルなもの、おしゃれなもの、中には顔のパンツかと思うような大きなマスクを着けているおばさんもいる。

  

 いつものように、この症状や小脳萎縮に関わる検査方式があり、15分ほど手の動き、各種の立姿、歩行動作を確認し、主治医の見立てでは、症状はあまり変わっていないという。

 

 自分から見ると、ギクシャク度は増してきているように思い、ふらつきも頻度を増しているので何回か転びそうになる現状だが。

 

 そして、それ用の薬を3が月分処置書を書いてもらう。

 現在、特定医療費(指定難病)受給者なので、脊髄小脳変性症治療については、診察、薬代を含めて2500円までとなっている。そして、そうするための病院、薬局が登録指定となっている。

 

 ところが、診察後訪れた指定薬局が閉鎖されていて、新たに利用する薬局の登録のため、住所地の区役所にいき登録をした。行ったり来たりして一日がかりになった。

 

 コロナの影響もあるのだろう、このようなことは増えてくるような気がする。

 

 それにしても、経費はあまりかからないようになっているのは有難い。薬価3か月分と診療代合わせて2500円で済んでいる。

        ☆ 

 

〇先日、クローズアップ現代「あした介護が受けられない! コロナ長期化で“介護の空白”」を観る。

 

〈番組内容:新型コロナの影響が長期化する中で、これまで利用していた介護が受けられなくなる“介護の空白”が、高齢者やその家族の暮らしを揺るがしている。介護サービスを提供する事業所が感染対策を迫られる中、「発熱したら帰宅」「県外と行き来のある家族がいたら利用停止」などの条件が課され、従来の介護サービスを受けられなくなるケースが相次いでいる。介護を担う家族の負担が増え、介護疲れも深刻化。感染対策の負担から経営難に直面する介護事業所も増加している。感染対策とケアを両立しながらどのように高齢者の暮らしを守っていくのか、新たな時代の介護のあり方を考える。〉

 

 55歳頃から10年程介護の仕事をしていたこともあり、このような番組を見るとさまざまなことを考える。特に難病にかかり、妻の支えなしには外出もままならない現在の自分にとって、当事者と同じように、あるいはそれ以上かもしれない身近な人の心の負担を思う。

 また、個々の家族にだけしわ寄せがいくのではなく、地域社会の在り方をも考える。

◎混沌とした心理の中に(遠藤周作『人生の踏絵』(新潮社、2017)を読む)

〇『人生の踏絵』は、『沈黙』の創作秘話をはじめ、海外小説から読み解く文学と宗教、愛と憐れみ、そして人生の機微と奥深さを縦横に語った講演録で、小説を書く作家の心構え、その作品を読むときの大事な視点など、考えさせられる内容が縦横無尽に語られている。

 

『キリシタン時代とか踏絵とか、自分たちにとってははるか遠い時代のように思っていたけれども、私たち一人ひとりにも「時代の踏絵」、「生活の踏絵」、「人生の踏絵」があったことがわかりました』との書き出しで、次のように述べる。

 

「人間の中には矛盾し合うようないろんな要素が存在しますね。そんな人間のある部分的なものにだけソロの楽器を鳴らすような、人間の一部分にだけ応ずるような宗教は本当の宗教ではないのではないか』(p40)、などとキリスト教関連の小説などに言及している。

 

 遠藤は、「ドフトエフスキーが『悪霊』を書いているとき、作中人物が作者の思惑と違う方へ勝手にどんどこどんどこ歩き回り始めたと、『作家の日記』か何かで読んだことがあり、それが本当の小説家がいい小説を書いているときの感覚でしょう」と述べている。

 村上春樹も何かで「主人公が勝手に動き出すのを待っている」というように語っていたと記憶しているが、この辺りも面白いと思った。

 

 また、イエス・キリストについては次のように言う。

「聖書には、イエス・キリストが魅力あるもの、美しいものを追いかけて行くところが一ページもないことです。イエスは汚いものとか、色あせたものにしか足をむけなかった。当時の社会で最も卑しめられていた娼婦やひどい病気に苦しんでいる人などと会ってはきちんと慰めてあげた。(中略)みんなの日常生活の苦しさや悲しさや煩わしさをイエスは背負って、自分の十字架にして、それを最後まで捨てなかったということに非常に感動する。」

 

 特に印象に残った箇所を見ていく。

〇混沌とした心理の中に

「現実のわれわれが何かの行動をする時、決してただ一つの心理だけで起こしはしませんよね。われわれの心には、いろんな心理が絡み合っていて、その結果、何らかの行動をしますよ。(中略)この原因はある種の木の根っこみたいに、いろんなものが絡み合い、一緒になっている。それをいちいち分析することは不可能ですよ」(p62)

 

 人間の内面は一筋縄では捉えられないものであり、二十世紀に入って、フロイトなどの精神分析やドフトエフスキーの小説の翻訳などもあり、ある心理のもとに動いていく人物を追っていく従来に見られた小説とは違って、少なからずの小説家は「Aという心理からⒶという行為をした」という書き方はできなくなり、主人公などの無意識、その奥のドロドロした部分にまで焦点をあてつつ物語を書いていく。

 

 ドフトエフスキーの小説で、男が人を殺した後、教会へ行って敬虔なお祈りをする。そうした矛盾した心理がそのまま投げ出されている。カミュ「異邦人」で、太陽の光が目に入った。汗が目の中に入った。引き金を引く。撃ったとは書いていない。外側の行為だけで書いている。それは行為の理由を単純な心理では描けないから。などと分析している。

 

「心理は分析できるでしょう。しかし、内面の暗夜の中へ入っていけばいくほど、つまり表面的な心理の奥へ降りていって無意識になると、もう分析ができない。さらに心理や無意識の向こうに、キリスト教でいう魂の世界というものがあるならば、これはさらに混沌として、われわれには分析不可能でしょう」(p73)

 

 上記のことを踏まえながら、モーリヤック『テレーズ・デスケルウ』、グレアム・グリーン『事件の核心』、アンドレ・ジッド『狭き門』などを分析していく。

         ☆

 

 よく、こういうことがあったからこうなったと、因果関係を短絡的に結び付けて見がちになるが、「ある体験をした」ことにともなって「実際にある異様な行為(殺人など)をした」の間には、本人も自覚していないような、無意識、さらにその奥のドロドロしたものがその人の来し方につきまっとっていて、ある行為に及ぶのではないでしょうか。

 

 小説作品に限らず、世間で話題になった事件や、さらに日常生活に起こってくる自分自身に起こることも、そのようなことが多いのではないでしょうか。

 

 どのようなことも、当事者本人が意図しない無意識、さらにその奥の魂の部分があり、また、時代状況や育った環境にも大いに影響を受けるだろうし、それも含めて、因果関係というか広々した時間意識でみることの大事さを思う。

 

 本書の最期に、遠藤はこれから書こうとしている小説に触れながら、次の言葉で締めくくる。

《ゆっくり考えて頂きたいことは四つあります。

 まず、道徳や常識からハミ出してしまうもの、社会から拒絶されてしまうものが人間の中にはある。それは捨てられないから、意識の下に抑え込み、隠してしまいもする。しかしそれはマイナスではなく、プラスのものを人間に与えてくれるのではないか。

 二つ目は、抑え込まれている自分、隠されている自分こそ、本当の自分ではないか。外面に出ている自分は、必ずしも本当の自分ではないのではないか。

 三つ目は、外側の道徳や社会的約束から見て、いくら汚くて、いくらよくないことでも、真に宗教的な倫理から言えば、別の考え方がありえるのではないか。

 先ほど名前を挙げた河合隼雄先生が、「神も仏も、道徳的に正しい人間ばかり相手にしていたら嫌になってくるだろう。歌舞伎町をうろうろしているような人間の方が興味を持たれるんじゃないか」と仰っていました。

 自分しか知らない自分、自分も気づかない自分こそ本当の自分ならば、そこに働きかけてくるのが宗教ではないか。道徳的に正しいことをする、世間から褒められることをする、というのも大事なことだけれども、神や仏にとっては、そんなことはどうでもいいのではないか。抑え込まれている自分、外面ではない自分、道徳や世間や社会から否定される自分こそが、神や仏が語りかけよう、助けよう、愛そう、抱きしめようとする対象ではないか。これが四つ目です』(p188)》

 

参照:カミュ『異邦人』(窪田啓作訳、新潮文庫、2014年)より。

《この激しい暑さが私の方へとのしかかり、私の歩みをはばんだ。顔のうえに大きな熱気を感ずるたびごとに、歯がみしたり、ズボンのポケットのなかで拳(こぶし)をにぎりしめたり、全力をつくして、太陽と、太陽があびせかける不透明な酔い心地とに、うち克とうと試みた。砂や白い貝殻やガラスの破片から、光の刃が閃(ひらめ)くごとに、あごがひきつった。私は長いこと歩いた。(p75)

 海は重苦しく、激しい息吹を運んで来た。空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた。私の全体がこわばり、ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、それでいて、耳を聾(ろう)する轟音とともに、すべてがはじまったのは、このときだった。(p77)

◎沈黙の灰の中から呼び起こし(遠藤周作『沈黙』を読む)

※マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』を観る機会があり、その後遠藤周作の小説『沈黙』を読んだ。

 

〇小説『沈黙』

 寛永14(1637)年の島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい中、隠れキリシタンが僅かに残る江戸期日本に、二人のポルトガル宣教師(パードレ)が潜行してくる。そのうちの一人、セバスチァン・ロドリゴが物語の主人公である。

 二人が日本に密航するきっかけは、二人の師でかねがね尊敬おくあたわざるフェレイラ師が、日本で棄教したという情報が伝わったからであった。

 

 二人は旅の途上のマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、長崎にたどり着き、隠れキリシタンが潜むいくつかの集落で、洗礼を授け、告悔を聞き、ミサを行うが、やがて当局の知るところとなり、二人は別々に逃亡するが追跡の果てに逮捕される。彼らの逮捕は、キチジローが絡んでいた。

 

 陰の主人公と思えるキチジローは、たびたび登場し、裏切ったり幾度も踏絵を踏んだりして、自分の弱さを泣き叫ぶ。かたわらその都度、ロドリゴに告悔を求めて付きまとう奇妙な隠れキリシタンであろうとする。この描き方に物足りなさも少し覚えたが、物語の進行に面白さと深さを添えている。

 

 たくさんの隠れキリシタン・農民も逮捕されるが、彼らは次々と残酷な方法で処刑される。柱に括りつけられたまま海水に付けられ、潮の干満によって徐々に体力を奪われていく処刑、流れの速い海流に放り込まれて殺す処刑、深い穴に宙吊りのまま放置されて苦しみながら死ぬ処刑など。

 

 当時、踏絵を踏むくらいなら、死ぬほうがましという一途な信者が多かった。そのまま首をはねても、あっけないし、信者のいさぎよさばかりが強調されるとまずいということで、穴ずりという拷問にかけることなど、踏絵も始まる。糞尿の上に逆さ吊りをして、踏むと宣言しないと、顔を糞尿の中に入れたり、上げたりを繰り返す。

 

 ロドリゴはそのつど「いま一番神の奇跡が必要な時に、神はなぜ沈黙のままなのか」と問う。これは神の実在に対する根本的な問いである。小説の中でこの問いが、繰り返し繰り返し出てくる。「あなたはこんな時になぜ沈黙しているのですか?」と。

 

 そして棄教し、今は日本名・沢野忠庵になり、天文学などの翻案などでこの江戸期日本で有用とされていたフェレイラ師に出会い次のように言われる。

 

〈「この国は考えていたよりも、もっと怖ろしい沼地だ。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」

「この国の者たちがあの頃信じたものはわれわれの神ではない。彼らの神々だった。それを私たちは長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた。」〉

 

 フェレイラの言葉は一語一語、ロドリゴ司祭の耳を棘のように刺す。

 

 その後、ロドリゴが踏絵を踏まないと、穴吊という拷問にかけられた農民たちを救えないという曲面で、フェレイラはロドリゴに対し次のように言う。

 

〈「お前は彼等よりも自分が大事なのだろう。少なくても自分の救いが大切なのだろう。お前が転ぶと言えばあの人たちは穴から引き揚げられる。苦しみから救われる。それなのにお前は転ぼうとはせぬ。お前は彼等のために教会を裏切ることが恐ろしいからだ。このわしのように教会の汚点となるのが恐ろしいからだ。」そこまで怒ったように一気に言ったフェレイラの声が次第に弱くなって、「わしだってそうだった。あの真暗な冷たい夜わしだって今のお前と同じだった。だがそれが愛の行為か。司祭は基督にならって生きよという。もし基督がここにいられたら」〉

 

〈「教会の聖職者たちはお前を裁くだろう。わしを裁いたようにお前は彼らから追われるだろう。だが教会よりも、布教よりも、もっと大きな。ものがある。お前が今やろうとするのは------」〉

 

 フェレイラと出会ったときや踏絵を前にしての二人の会話は、キリスト教、宗教史について無知な私にもさまざまなことを考えさせられる、迫力のある描写が続く。

 

 結局ロドリゴは踏絵を踏むことになる。

〈司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。〉

 こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。

 

 その後、ロドリゴは日本に帰化し、名前も岡田三右衛門へと変えて、日本で一生を終えることになる。

 

 物語の最後に、ロドリゴは、次のように語って神への理解をより深めようとする。

〈今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。〉

            ☆

 

 併せて詠んだ遠藤周作『人生の踏絵』に小説『沈黙』のことも語っている。

 それを読んだ後に、『沈黙』を再読すると、いろいろな場面が、より立体的に深まって見えるような気がした。

 

 遠藤が長崎で踏み絵を見た時、そこには脂足で踏まれ磨滅したイエスの顔と、その横にべったり残った黒い足指の跡。そこから三つのことを考えた。

「あの足跡を残した人はどんな人だったのか?」「踏絵を踏んだ時、どういう気持ちだったのだろうか?」「私がその立場に立たされたら、踏むのか?」

 それが「沈黙」執筆のきっかけとなる。

 

 そして、『沈黙』は、〈迫害であっても信念を決して捨てない〉という強虫の視点ではなくて、私のように弱虫の視点で書こうと決める。「弱虫が強虫と同じように、人生を生きる意味があるのなら、それはどういうことか------。」これが主題の一つとなる。

 

 遠藤は言う。殉教した立派な人のことは日本のキリシタン史に書かれているのだが、踏絵を踏んで転んでしまった人のことはほんのわずかしか残っていない。どうしてないのか。

 

〈彼らは汚点だと思われて軽蔑され、見捨てられた人間だからです。まだフェレイラやキアラ(※小説ではロドリゴ)はかろうじてある。あのベタッとした脂足の跡を踏絵に残した人たちは、もう死んでから何百年も経ちましたけれども、彼らには何もないのです。彼らは本当に声が無かったのか、歴史が沈黙し、教会が沈黙し、日本も沈黙している彼らに、もう一度生命を与え、彼らの嘆きに声を与え、彼らに言いたかったことを少しでも言わせ、もう一度彼らを歩かせながら彼らの悲しみを考えていくというのは、政治家でも歴史家でもなく、これはやはり小説家の仕事ですよ。〉

 

〈彼らを沈黙の灰の中から呼び起こし、沈黙の灰をかき集め、彼らの声を聴きたい。そういう意味で『沈黙』という題をつけた。併せて、そういう迫害時代に多くの嘆きがあり、多くの血が流されたにもかかわらず、なぜ神は黙っていたのかという「神の沈黙」とも重ねた。〉

              ☆

 

「いくつかの問い」

・島原の乱など、江戸期日本の独自の解釈とはいえ、これほど多くの隠れキリシタンを産み出した時代背景はどのようなものなのか、それの伝統がどのように受け継がれたのか?

・キリスト教が世界的に広がったのは、人類にとってどのような意味合いがあるのだろう。

・キリスト教や宗教史に無知であることを抑えて、なおかつ、理想を高く掲げ信じて、問い直しをしない人のかたくなさ、融通のなさ、不可思議さを思う。

・人生において、異質な人たちと共に生きていくのが肝要だと思うが、キチジローのような人をどのように受け入れるのか、今の私には心もとない気がするのだが。

・優れた小説は大きな問いかけを孕んでいて、それをどれだけ自分の問いに引き付けるのかが大事ではないのか?

 

◎自我意識にたてこもらない他者体験

〇わからないものをそのまま受け入れる

 最近、とても嫌な思いがしたことがある.いろいろ振り返ってみると、これと同じような感情はだいぶ前のことになる。ここ10年の暮らしでも、いろいろなタイプの人と関わったが、そのようなことが思い当たらなかった。あるいは、忘れてしまえるようなことだったかも知れない。日常の暮らしで、たまに、これ嫌だなと思うことがあっても一過性のものである。

 自分でも嫌になるこのような感情は何なんだろうという思いがある。

「自我意識にたてこもらない他者体験」という表現に出会って、これについて考えている。

 

 コミュニケーションとは、AがBに信号を送り、それを受け取ったBに何らかの変化が生じ、BがAに信号を送り返す、それを受け取ったAに何らかの変化が生じる。その一連の課程をコミュニケーションと思っている。

 

 コミュニケーションについては、その時、それぞれの憶測、捉え違いがありながら、また自責・他責感を入れずに、忌憚なく思ったままを出し合うことが欠かせない。

 おかしな見方であれば、「それ違うよ」といえばいいだけだと思う。それが気楽にできなければ、まともに話し合う気にはなれない。

 

 そこでは、ことばのやり取りだけではなく、沈黙、顔(気配)を感じることも含めて、あるいはことば以上に、それが大きな信号となる場合がある。言葉の使用が未熟な乳幼児期の親子、困難な障害を抱えた人との間でもコミュニケーションが要となる。

 メールやネット上のやり取りは、顔が見えないので、もう一つ弱い感じはあるが、その過程の醸し出すものがあるので、匿名や誹謗中傷でない限り、コミュニケーションとなる場合がある。

 

 わたしたちは、自分が織り上げた意味連関を通して、他の人、ものごとを見ている。他の人も、その人の見方で私、ものごとをとらえている。それ以前に、自分自身のことも、織り上げた意味連関でみているので、程度の違いはあるけれど、とらえ方は絶えず「ずれ」を伴っている。そのくいちがいが強くなると「誤解」「曲解」となる。

 特に言語は恣意的だ。例えば、世界の民族によって虹の色の見え方が違う。日本では七色、欧米では六色が多く、二色のところもあり、虹を全く知らない民族もある。様々な要因による解釈図式で違ってくる。

 日本には雪を表現する言葉が英語に較べて多いが、エスキモーは日本語の何倍も雪を表現する言葉を持っているらしい。その理由は、生活環境がそれを必要としたからだ。

 どの地域のどの言語を採り上げてみても、「一般的意味(辞書に使われている意味)」と、その時々の「個別の意味(その人が言いたいこと)」を持っている。

 例えば、平和を守るためには戦争は避けられないと言ったりする。幸福・自由・民主主義・・・等々使う人により異なった意味合いになる。これは、地域、文化レベルだけではなく、一人ひとりも違うし、同じ人が使っても、文脈によって正反対の意味になったりする。

 そのような違いがありながらも、コミュニケーションや話し合い、あるいは、黙って見守ることが人と共に暮らしていくときの大事な要素であると思っている。そのために、どのような観点が肝心要となるのか。

 

 最近、夫婦、娘と三人で話をすることが多い。当たり前だが、一人ひとり感覚、とらえ方がだいぶ違っているが、全く気にならないどころか、ひたすら面白いのである。

 親しい間柄や家庭のような微温的な雰囲気に限らず、他者とは、私のとらえきれない全く異質なものだという観点の上で、コミュニケーションには、「思いを一つにする努力」ではなく、「まず、認め合っている」ということが大切なのではないだろうか。

 

《まず、分かる、理解するというのは、感情の一致、意見の一致をみるというのではないということ。むしろ同じことに直面しても、ああこのひとはこんなふうに感じるのかというように、自他のあいだの差異を深く、そして微細に思い知らされることだということ。いいかえると、他人の想いにふれて、それを自分の理解の枠におさめようとしないということ、そのことでひとは「他者」としての他者の存在に接することができる。ということは、他者の理解においては、同じ想いになることではなく、自分にはとても了解しがたいその想いを、否定するのではなくそれでも了解しようと想うこと、つまり分かろうとする姿勢が大事だということである」(鷲田清一『大事なものは見えにくい』「ひとを理解すること」角川文庫)》

 

 鷲田さんは、いろいろなところで人と共に生きていくのに、大事なことを述べている。

 他者を理解するということは、なにか共有することを見いだすということよりも、ふれればふれるほど、それぞれの差異、特異性が際立ってくる経験を反復することから始まる。そのための姿勢が、わからないものをそのまま受け入れる、そのうえで了解しようとし続けることにあると言っているようだ。

 自我意識にたてこもるとは、ある種の警戒心が働いているのだろう。「認め合う」というのは、自分から応じるというのが大きなポイントとなるのではないだろうか。 

◎孫の成長記録(1歳11ヶ月)弟が生まれた。

〇新生児をみる。

 娘が上の孫の保育園を見に行くので、生まれたばかりの新生児をみることになった。先月28日誕生だから9月11日の今日は2週間になる。

 

 見るといってもほとんど妻で、泣いたらおむつを替えたりミルクを飲ませたりする。

 寝ているのを見るのは楽しいばかりであるが、泣き出すと、側にいるだけの私でも「どれどれ」と気になる。

 

 娘夫婦は仕事のこともあり、少しでも上の孫(1歳11ヶ月)を預かってくれるところがないかと、だいぶ前から保育所・園に申し込みをしたが、断われ続けている。コロナも多少の影響はあるかもしれないが、介護施設と同様、社会的に極度に不足しているようだ。

 

 以前から、乳幼児を育てていくときに特定の親にだけ託すのは酷だと思っていたが、孫の成長を見ていくのは並大抵ではないと思う日々だ。

 

 特に2歳近くの孫を見ていると、保育園のようなところで、いろいろな子どもと関わるのも大事だと思っている。

 どうやら10月からお世話になるようだ。先ずはよかったなと思っている。

 

〇弟が出来たことで。

 弟が生まれて、1歳11ヶ月のお姉ちゃんは微妙に変化している。

 娘の妊娠後期から目立ってきたのは、わが家に来るとしきりに寄ってきて、抱っこ、おんぶをねだる。多くは妻が対応しているが、私にもべたっと寄ってくるのが増えてきた。

 

 今までは、ママとパパがいつも見守っているのを感じていたが、ママは1ヶ月未満の新生児にかかりきりで、そのことは分かっていても、何か物足りなさを感じているのだろう。

 

「ママは自分よりも赤ちゃんを大事にしている」「いままでと同じようにしてくれない」と思っているかどうかは分からないが、彼女なりに我慢をしているのだろう。

 

 ジジババのところに来ると、ときどき奇声を上げる頻度も増してきている。

 以前は「それはしないよ」というと、わりあいすぐに辞めていたが、執拗になってきた。この時期特有のイヤイヤ期なのかどうかは分からない。

 

 ことばも大分覚えて、気にいった語感だとオウム返しにくりかえす。そのようにして呼吸機能や発声機能をうまく調整しながら言語音を正確に発声させる構音能力がついてくるのだろう。おそらく、ほとんどのことを、体を使って身につけていくのだと思う。

 

 また、音楽(音)に合わせて、手を振ったり、手たたきをしたりするのも好きだ。そして爺にも催促する。適当にやっていると、もっと真面目にやってといわんばかりに、寄ってきて催促する。

 

 10月から保育園に行くことになり、どのようになっていくのだろう。

  今までは、孫一人に、相対するように大人がついていたが、保育園では何人かの子どもに対して保育士が一人。構ってもらえないことや思い通りにならないことも増えてくるだろう。

 

 保育園によると、ほとんどの子も来たばかりの頃は泣いてばかりいるそうで、1週間は様子を見るということで、午前中だけらしい。

 

 いろいろな子と触れるのも大きいと思うが、そのような環境にどのように順応していくのか見ていきたいと思っている。