〇最近子どもの育ちについて【「子育て」から「子育ち」へ】との言説がされるようになる。
「子育て」は(親が)子供を育てること。一方「子育ち」とは「子ども自身が、自らの力で心身ともに成長すること」「子ども自身が心身共に成長する力を自ら持っていること」となる。
これについて小学館の子どもの成長について考察しているサイト「Hugkum・はぐくむ」で、
【教育と訳されるeducationの語源はeduce。「能力や可能性を引き出す」という意味です。本来の意味を知る福沢諭吉はeducationを「発育」とすべきと主張したそうです。この連載では、教える側ではなく学ぶ側を主体とした発育をコンセプトに、最先端の教育事情を紹介します】
そして、【「子育て」から「子育ち」へ !子どもの主体性を育む接し方のポイントを専門家に学ぶ】のタイトルで子育ち研究家として活躍する長岡真意子さんの言葉を取り上げている。
長岡さんの言葉には、
・「“子育てをする”と使うように、『子育て』の主語は親です。『してあげる』という意識がどうしても強くなり、それがいきすぎると子どもの自発的な体験が遮られてしまいます。一方、『子育ち』なら、子どもが主役。子どもにはもともと育つ力があるのだから、そこに焦点をあてるという意味で子育ちという言葉を使っています」。
・「子ども自身が安心して探求できる場所や環境を整えることに注力しましょう」
などの表現がされている。
※https://hugkum.sho.jp/191428より
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私は孫の育ちを見ていて、多くのことを親など家族に支えられて育まれていくが、「自分の足で立ち、自分の頭で考える」ことをおさえ、ひとりの精神的な人格者として、そして「心をもつ者」として見ることが、大事になってくると考える。
そのことは、乳幼児期に限らず学齢期に達した子どもは勿論、人が生きていくことは、数多の人に支えられ、見守られながらも、「自分の足で立ち、自分の頭で考える」人同士のお互いの相互作用によって生き・生かされてきたのだと思う。
そして、一人ひとりの子どもは、自分の理解や共感を絶した思念や感情がひそんでいる。
そのことを素直に認める必要がある。
わたしは無論人は誰でも、その時代、社会状況、身近な環境の影響を受けながら、考え方、感性などを培い身につけていく。
そのことで、後から育つ子どもたちに関わっていくのだが、果たしてそれでいいのだろうかという態度を持ち続けたいと思う。
その自覚の中で、特にこれは大事なことだと思うことは、まず今の自分の見方はどうなんだろうと一旦留保しながら、問い返すことを大切にしたい。
難しいことだが、その子に対してだけでなく、自分にも目を向け続けることを大事にと考えている。