〇五行詩で著名な岩崎航氏の活動は、何があろうと心から支えてくれた両親がいた。
「僕にはもう夢も希望もないよ」
(岩崎航エッセイ集『日付の大きいカレンダー』より)
茫然と無感動な日々に流されていた頃、ぽつりと母に言ったことがあります。たんなる恨み言や愚痴というよりも、ごまかしようのない命の奥底からもれた呻きだったと思います。それに対して母が返した言葉もまた静かなものでした。
「お母さん、かなしいな」
かなしいな。たった五文字のこの言葉とその静かな声の響きは、今でもありありと心に残されています。親不孝をしたと思います。
我が子が人生に対して夢も希望もないとつぶやき、絶望に覆われている姿を前にして母は何を思ったでしょうか。
『点滴ポール 生き抜くという旗印』「母の手」では、20代の「吐き気地獄」の日々と、苦しむ自分の背中をさすり続けてくれた母と父への感謝のことばがつづられている。
何にも言わずに
さすってくれた
祈りを込めて
さすってくれた
決して 忘れない
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子どもが育っていく中で、生きる(生き抜く)ことへの安心感と信頼感が培われていくための、親(親代わり)や身近に関わる人たちの存在の大きさを思う。
この安心感と信頼感は、単なる親子の関係を超えて、人としての大事なことがつまっているのではないだろうか。
どんなことが子どもに入るかは、一様に決められないが、ことばを超えた心のやりとりが、その後の育ちに多大な影響を及ぼすのではないだろうか。
子どもだけではなく、どのような段階の年齢に関わらず、人が成熟していくのに、様々な人とのことばを超えた心温まる関わりの相乗効果が大きいのではないかと思っている。
子育ておいて、養育者との「アタッチメント」の重要性がいわれている。
「アタッチメント」は、私たち人が、何らかの危機に接し、恐れや不安などの感情を経験したときに、身体的な意味でも、あるいは心理的な意味でも、誰か特定の人にくっつきたいと強く願う欲求、そして現にくっつこうとする行動を指して言う。(J・ボウルビィ)
「アタッチメント」は、乳幼児は無論、ある意味すべての子に需要だと考えている。
アタッチメントについては、生物的な母親だけではなく、子どもの発するシグナルを安定的に受け止め、安心感をつねにもたらしてくれる「特定の存在」がそばにいること、そして情愛的な身体的接触経験が大切だと思う。
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参照:岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』より
※岩崎航は、1976年に仙台市に生まれ、3歳で筋ジストロフイーを発症する。現在は、胃瘻からの経管栄養と人工呼吸器を使用し、在宅医療と介護サービスを受けながら、仙台の自宅で暮らしている。20代半ばから短詩に興味をもち始め、2004年から五行詩を書き始めた。
・「点滴ポールの中の五行詩から」
誰もがある
いのちの奥底の
燠火(おきび)は吹き消せない
消えたと思うのは
こころの 錯覚
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どんな人でも
木石(ぼくせき)扱いするなかれ
みんなと同じです
在るんです
解るんです
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どんな
微細な光をも
捉える
眼を養うための
くらやみ
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※岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』(斎藤陽道写真、ナナロク社、2013年)
『日付の大きいカレンダー岩崎航エッセイ集』(斎藤陽道写真、ナナロク社、2015年)