○本書は各方面から注目されている本で、読み始めたらとても面白く、上下合わせて500頁程、全編説得力あり、論理的展開も見事で一気に読んでしまった。
著者は、1988年オランダ出身の歴史家、ジャーナリスト。※(翻訳)野中香方子
この著のポイントは大きく二つあると思う。
一つは、「人間の本性は善である」との視点。
もう一つは、「新しい現実主義」の提言。
○「人間の本性は善である」
人類の本性は、悪なのか、善なのか。この永年の普遍的問いについて、ブレグマンは独自取材によって、徹底的に公正な目線で分析し、人間の本性は悪であるという性悪説を支える有名なエピソードに疑問を持ち、事実を徹底的に調べ上げ、各種定説を覆す。
そして、人類史、思想史、資本主義に至るまで、幅広い領域を網羅・統合する考察を行なった上で、『人類の本性は善である』という。
けれども、人間は友好的な一方で、監獄やガス室を作る唯一の種にもなった。なぜなのか。この問いに対してブレグマンは、人間を最も親切な種にしているメカニズムと、地球上で最も残酷な種にしているメカニズムの根っこは一つで、その一つは「共感する能力」だと語る。
第10章「共感はいかにして人の目を塞ぐか」で、これまで比較的良いイメージを持っているとされてきた共感(empathy)について述べる。
《共感はわたしたちの寛大さを損なう。なぜなら、犠牲者に共感するほど、敵をひとまとめに『敵』と見なすようになり、善人が悪人へと転じてしまうから。
選ばれた少数に明るいスポットライトをあてることで、わたしたちは敵の観点に立つことができなくなる。少数を注視すると、その他大勢は視野に入らなくなる。
悲しい現実は、共感と外国人恐怖症が密接につながっていることだ。その二つはコインの表と裏なのである。》
そして、より重要なのは「思いやり」(compassion)だと結論する。
実際に、「人間の本性は悪だ」と信じる人々が拠り所とする様々な「科学的データ」や「権威づけされた情報」の多くが、実際は「捏造」や「改ざん」によって生まれたことが本書で示されている。
一方で、著者は員体的な事例(刑務所、警察、社会保障制度、学校教育、在宅ケア組織等々)を挙げ、本書で緻密に調査していき、『人類の本性は善である』と述べる。
そして、ブレグマンは次のことを述べる。
《「地球温暖化から、互いへの不信感の高まりまで、現代が抱える難問に立ち向かおうとするのであれば、人間の本性についての考え方を見直すところから始めるべきだろう。」
「わたしたちが、大半の人は親切で寛大だと考えるようになれば、全てが変わるはずだ。そう考えるか考えないかは、わたしたち一人一人に委ねられている」》
○新しい現実主義
現実主義とは、辞書などによると「現実に即したことを第一義的なこととして重視し、理想的、空想的な考え方を排斥する立場。リアリズムともいう。
ものごとや自分のことを「ありのまま見る」ことは、何かを考えるための初めに自覚すべき大事なことと思っている。難しいことだが。
考えるというのは各種の思い込み、そのとらわれの重力を疑い、思考の自由を得ることからはじまる。
だが、物事を偏見や思い込みのまなこで見てしまっていることが多いのではないだろうか。
私たちは、外界の事物が世界を構成していると思いがちだが、実は、過去の経験の記憶に基づいて、それぞれの意味の世界をつくり、そこからあらゆる現象を見ている。
日々いろいろな判断をしながら暮らしているが、その判断のよって立つ根拠はそれぞれの時代、地域、集団や周囲の環境によって、作り上げられたもので、そこにはさまざまな偏りがあると思われる。
著者はその大きな偏りの一つとしてマスメディアのニュースをあげる。
ニュースになるのは例外的な出来事が多い。テロ攻撃であれ、暴動や災害であれ、例外的であればあるほどニュースとしての価値は高まる。
それには大きく2つの理由がある。1つは、わたしたちは良いことよりも悪いことのほうに敏感だ。2つ目の理由は、手に入りやすい情報だけをもとに意思決定する傾向である。何らかの情報を思い出しやすいと、それはよく起きることだと、わたしたちは思い込む。
航空機事故、子どもの誘拐など。記憶に残りやすい恐ろしい話を日々浴びせられていると、世界観は完全に歪んでしまう。
レバノン人の統計学者ナシム・ニコラス・タレブが冷ややかに言うように、『ニュースを見るには、わたしたちは理性が足りない』のである」と著者は述べる。
エピローグ「人生の指針とすべき10のルール」の7「ニュースを避けよう」で、ブレグマンは次のことを述べる。
《今日、遠い地域についての最大の情報源になっているのはニュースだ。夜のニュース番組を見ると、現実をよく知っている気分になるかもしれないが、実のところニュースはあなたの世界観を歪めている。ニュースは人々を政治家、エリート、人種差別主義者、難民といったグループにくくりがちだ。
ソーシャルメディアについても同じことが言える。少数の不良が遠くで叫んだヘイトスピーチがアルゴリズムによって、フェイスブックやツイッターのフィードの上部にプッシュされる。これらは、わたしたちの『ネガティビティ・バイアス』(悪い物事に敏感になってしまうこと)を利用して儲けていて、人々の行動が悪くなればなるほど利益が増える。なぜなら悪い行動は人々の注目を集めて、クリック数を増やし、クリック数が多ければ多いほど、広告費があがるからだ。
このことがソーシャルメディアを、人間の最悪の性質を増幅するシステムに変えた。
神経学者は、わたしたちのニュースとプッシュ通知に対する渇望は、一種の中毒だと指摘する。》
ニュースに限らず、現在は様々な情報にあふれていて、自分の体に与える食べものと同じくらい、心に与える情報についても慎重になり、まず自分の頭でじっくり考えることが大事だと考える。
最終章のエピローグ「人生の指針とすべき10のルール」で、「心理学や生物学、考古学や人類学、社会学や歴史学における最新の証拠を見ると、わたしたち人間は数千年にわたって、誤った自己イメージに操られてきたと言わざるを得ない」として、「人間の本性についての現実に即した見方は、あなたが他者とどう関わるかに大きく影響する。」ので、ここ数年の研究を基礎として、ブレグマンの人生の指針とすべき10のルールを紹介している。
その10「現実主義になろう」で次のように言う。
《本書の目的の一つは、現実主義(リアリズム)という言葉の意味を変えることだった。
現在、現実主義者(リアリスト)という言葉は、冷笑的(シニカル)の同義語になっているようだー―とりわけ、悲劇的なものの見方をする人にとっては。
しかし、実のところ、冷笑的な人は現実を見誤っている。わたしたちは、本当は惑星A(※協力し合う人々の国)に住んでいて、そこにいる人々は、互いに対して善良でありたいと心の底から思っているのだ。
だから、現実主義になろう。勇気を持とう。自分の本性に忠実になり、他者を信頼しよう。白日のもとで良いことをし、 自らの寛大さを恥じないようにしよう。
最初のうちあなたは、騙されやすい非常識な人、とみなされるかもしれない。だが。覚えておこう。今日の非常識は、明日の常識になり得るのだ。
さあ、新しい現実主義を始めよう。今こそ、人間について新しい見方をする時だ。》
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2014年29歳のとき上梓した『隷属なき道―AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』出版以来、一部評判になるとともに、ベーシックインカムの「お金をばらまいても、人はろくな使い方をしない。なぜなら人間は本来、怠け者で、自分勝手で、不道徳な生き物だからだ。どうせ酒や麻薬に使ってしまう」と反論された。
そうした反論に応えようとするうちに、冷笑的な人間観が社会に沁み込んでいること、それどころか自分自身、暗い見方にとらわれていることに気づく。
それ以来、ブレグマンの問題意識は次のようになる。
「長い間、わたしの関心を引いてきた問いは、なぜ誰もが人間に対してそのように暗い見方をするのか、というものだ。-----何が原因で、わたしたちは、人間は本来邪悪だと考えるようになったのだろうか」
その疑問を追及することで5年後に生まれたのが本書である。
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本書を読みながら、わたしの場合はどうなのか考えていた。
実際に、自分の中をじっと観察すると、善なる要素もあるだろうし、悪というか卑屈な要素もある。真面目な面もあるし、不真面目な面もある。いろいろな人格ファクターが散乱している。でも、それは全部「自分」であるわけだ。
エピローグ10の指針6「他の人々が自らを愛するように、あなたも自らを愛そう」
で、〈人は人を区別しえこひいきしがちだ、身内や自分に似た人により気を掛けるのは自然だ。だけど他人も自分と同じ人間だと言うことを忘れてはならないのだ。〉
本書の副題は「人類が善き未来をつくるための18章」とある。
本書を読むことで、大きな世界史の流れから人間には希望があるのだと、そう感じられた。
もちろん人間による残酷さは数々存在するが、それならば世界は崩壊しているはずなのである。絶望感だけでは人類は「希望」の未来を構築できない。
むろん、著者・ブレグマンの各論について様々な角度からの検証が必要だが、それでも今の世の中は間違っている、暗い未来しかない、と思う必要はない。
本書は未来に向けて明るい希望を持てる内容になっていると考える。
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※・ルトガー・ブレグマン (著)野中 香方子(翻訳)『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上下』(文藝春秋、2021)
・ルトガー ブレグマン(著), 野中 香方子(翻訳)『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』(文藝春秋、2017)