日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎要支援2と各種リハビリ記録

○はじめに

2019年10月、脊髄小脳変性症と診断され3週間入院した(甲南医療センター)。

退院後3か月毎に定期診断をしてそれ用の薬を処方してもらう。その後の状況をみると、ますます酷くなりふらつきも増して転んだこともある。

居宅では何とか一人で動いているが、妻の支えなしには外出もままならない状態で、風の強い日など歩くにも心許ない気持ちが増している。

最近かなり酷くなっていて歩くのも難儀になっている。それと疲れやすいので、すぐにベッドに横になる。

また、主治医から介護保険の申請をするように言われ、地元の「あんしんすこやかセンター」を通して申請したところ、5月末に要支援Ⅱに判定された。

その後芦屋市の要支援対象の通所リハビリテーション施設(リハビリモンスター)へ入所し訓練を始めた。その少し前からの難病対象医療保険の「訪問看護サービス」(テオン)を活用している。

それと共に、人はどんな時でも病気や衰えを生きているわけではなく、たった一度のその人の「今」を生きている。

また6月に75歳になり、この先のことを考えることも増えてきた。

本質的に人間は良く生きたいという本能を強くもっていると思われる。どんなに年をとろうと重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと「良く生きたい」という気持ちは簡単にはなくならないはずである。

これは、要支援2となり、病状の変化に伴うリハビリ訓練と、「難病」「老」を抱えての生き方を問い続けた2022年6月から2023年末までの記録である。

 

6月:私の身体の現状

5月から、週3回の難病対象の医療保険の訪問看護を受け、6月から要支援対象のリハビリテーション施設に週2回通っている。

週5日1時間ほどだが、身体の使い方など丁寧にアドバイスを受け、考えさせられることや参考になる事も多く大いに助かっている。

日常生活においてバランスの悪い動きの場合、脳が察知して、他の部位などから修復するような働きでバランスをとる。

健全な人は無意識的に行っているが、脊髄小脳変性症など小脳の萎縮のある人は、修復機能がうまく働かないので転倒しやすくなる。

また、慣れていない場所や動き始めの際など、転倒しないように極度に慎重になることで認知・脳のブレーキの働きが強くなり、同時に動こうとする体のアクセル機能と齟齬をきたし、かなりギクシャクした体の動きになる。

週3回の訪問看護のリハビリではバランスの取れた身体の使い方・歩き方などを繰り返し練習することで、本来小脳の機能ですることを大脳に記憶させることをコンセプトに、丁寧なアドバイスがされていて、それを基調に日常生活に生かしている。

要支援対象の施設でも、バランスの取れた身体の使い方に焦点に合わせた各種訓練をしている。

各種リハビリ訓練で最初に感じたことは、わたしの歩き方や動かし方には独特の癖があり、まずそれを自覚することから始まった。(※考え方や感じ方にも独自の癖があるのだろう)  

 

7月:今の「ありのまま」を見る。

身体のあちこちが衰えていく、いままで何気なく出来ていたことが出来なくなることが増えていくなどして「老い」の意識が生じる。

それに加えて、脊髄小脳変性症にかかり3年半程経過し、ますます酷くなっている。

心身状態に拘らず、ものごとや自分のことを「ありのままを見る」ことは、何かを考えるための初めに自覚すべき大事なことと思っている。

介護関係で高齢者などに接してきて、また父母や義父母を見てきて、「この程度ならまだやれるはずだと思い込んでいるあるいはそう思いたい自分」と「やれることが減っている現実の自分」にはギャップが出てくる。

心身がある程度健全な時は適当な折り合いをつけながら暮らしていくのだが、身体が弱ってくると、頭や想像力で考え感じていることと実際の行為・行動の距離が益々大きくなり、その間の調整がつきにくくなる。

しかし、老齢化や病気によって身体が衰えていくのは自分で作り上げた良い状態の基準から見た思い込みであり、「身体」は生まれてから何れのときでも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしている。

生きるとは変化するということであり、まさにそれが生命活動なのだろう。

今の私は歩くこともままならないが、身体の状態を冷静に見つめ、状況に対応する適応力を失わず、できなくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていくことを大切にしたい。

 

8月:テオンの訪問看護のこと 

始めに、脊髄小脳変性症などの小脳関係のリハビリは、平衡感覚などバランス感覚に関わる小脳の劣化は現段階では防げないので、バランスある体の使い方を大脳に記録させるためのリハビリと説明される。

鍛える部位と体の使い方を脳に意識させながら各種運動するのは漫然とするのとだいぶ違うのではないか。

週三回1時間、最初に身体のマッサージをし、その後バランスをとる練習をしてマンション通路などの歩行を見てもらいアドバイスを受ける。

「訪問看護計画書」から

リハビリテーションの目標:転倒することなく過ごすことができる。

問題点:➀両側の足を協調的に動かすことが難しい。②体幹の筋肉が協調的に働きにくい。

・上記により歩き始めや方向転換時にバランスを崩すことがあり、転倒する危険性がある。

解決策:➀②に対して、足、体幹の促進運動・バランス練習・歩行練習・福祉用具の提案。

歩くことをはじめ体を動かすのは、各部位が協調的に働くことがポイントになるのだろう。

訪問看護のA氏は、正しい姿勢を意識した足の動かし方や腹筋を鍛えることを続けている。なお、この暑い時期は、外の歩行をせずに室内で身体の姿勢を整えることを中心に、様々な手当てをしてくれる。身体のことに詳しくマッサージ技術も鮮やかで、気持ちよくいつも感心している。

なお、週3回利用の訪問看護は特定医療費(指定難病)受給者なので1ヶ月2,500円で済んでいる。この仕組は有難い。

 

9月:車を8月いっぱいで処分。

私は5年前から車の運転はやめていて、2021年の免許更新の機会に自主返納をし、運転経歴証明書の交付を受けた。

車に関しては事故など他を巻き添えにする可能性はあり、私から見てまだまだ運転のしっかりしている74歳になる妻も車の処分を機に運転をやめることにした。

「老い」は意思、思い入れと身体の運動性との乖離が大きくなる特徴がある。

感受性、思考力、想像力、欲望など衰えるわけではないので、身体運動性と「思い入れ」のバランスが肝要になる。

ところがどうしても、やれる時の自分の思いを引きずるので、現状の自己の身体状態に甘くなるおそれがある。

自動車の運転などは、ある意味手軽にできるので、その便利さに引きずられ、やめるのはかなり決心がいるのではないか。

しかし、高齢者に限らず自動車は凶器でもあり、全くやめるのは、本人の自覚や周りのアドバイスが必要だと思う。

なお私は、思うようにできなくなっていることが増えてきて、それに見合った生活のリズムになっている。

だが、できなくなることで身体への感受性も敏感になり、不安な面と不思議な面白さもある。今まで当たり前に見ていたことが、別の角度から見えてくるような気がしている。

福祉関係の活動をしてきて、ある機能を失うことで、かえって豊かな思考や感性を培う人たちにも沢山触れてきて、「老」や「病」というものとじっくり向き合っていきたいと思っている。

 

10月:リハビリ施設モンスターのこと

要支援者専門のリハビリ施設モンスターは病気、手術などの影響で身体機能が低下し、「退院後にフォローできる環境を作りたい」と予防特化型デイサービスとして開設し、歳を重ねてもずっと動けるような身体づくりを一緒に相談しながら作っていくという理念のもとに運営している。

私の場合は2回とも、7~8人の利用者をストレッチ・柔軟・筋力増強運動、バランス練習、持久力運動の3つのプログラムに分かれて行う。

そして、3ケ月毎に個々の身体機能評価と目標確認をする。

その結果を、「人生、わくわく」のバインダーに、一人ひとりの握力・足の力・柔軟性・バランスの測定数値の変遷と月間MONSTERに綴じる。月間紙には身体のことや家でもできる簡単なリハビリエクササイズが掲載されている。

トレーニング室では杖を使わないで移動しているので気を使うが、スタッフの方が注意深く見ているのを感じる。

5ヶ月利用してみて、この理念のもとにプログラムが組まれているのを実感する。

自宅では漫然と自分のペースでやれるが、仲間があり、適当な体の使い方、意識していく部位など小まめにアドバイスがあり、とても参考になる。

短時間(70分)だが密度は結構高いような気がする。施設で行った運動のいくつかは、自宅で継続できるのもありがたい。

送迎も含めてスタッフの対応は丁寧で、よく見てくれていると感心している。

なお、週2回の要支援2の費用は1ヶ月約4200円。

 

11月:自分のこととして 

病院退院後3か月毎に定期診断をして、それ用の薬を処方してもらう。診断は、この症状に関わる検査方式があり、15分ほど手の動き、各種の立姿、歩行動作を確認する。

病院に行くと様々な方に出会う。

50歳を過ぎてから難儀を抱えた高齢者や重度心身障害者関連の活動をしていたとき、気持ちの置き所は第三者的な視点で関わっていることが多かったと思う。

対象となる人にもよるが、「施す自分」と「施される他者」との距離があり、自分自身に引き付けては、あまり思えなかったときもある。

3年前脊髄小脳変性症と診断され、徐々に厳しくなり、今は利用者として難病対象の訪問看護や要支援対象のリハビリ施設を利用している。

以前支援していた当事者たちに今は自分のことのように感じることも多く、あの時にあの人はこんな気持ちではなかっただろうかと振り返ることもある。

最近街で出会うとぼとぼ歩いている老人や、ぎこちなく何かをしようとしている障害者に出会うと、かぶさって見えてくる自分を感じることが多い。

ある問題について、「自分のこと」としてみるのか「他人事」としてみるのかで、向き合う態度が違ってくる。「他人事」は、時がたつとともに流され、やがて忘れさられていく。大きな病気や難病、認知症など困難を抱えている方と家族など、他人事ではなく、自分のこととして身近な課題になってきている。

なお、特定医療費(指定難病)受給者なので、脊髄小脳変性症治療について、薬価3か月分と診療代合わせて2500円で済んでいる。

 

12月:新型コロナと共に

12月に入って、四歳過ぎの孫がコロナ陽性になり、しばらく自宅療養となった。

身近な友人・知人にもかなりいることや重症化するようなこともなさそうなので別段それほど動揺しなかった。

自宅療養といっても隔離できるわけではなく、私はともかく、妻は何かと関わることが多く、ほっとおくわけにもいかなかった。結局妻や私にも少なからず影響した。

新型コロナについて、私は肺機能が悪いので感染症に対する不安はあるが、心配するのはつまらないと思っている。

個人としては、健康管理と免疫力・抵抗力を高めていくことやその時々の心身の状態や社会状況で、工夫していくだけだなと考えている。

そして、社会の動きから、次のことを思った。

今まで経験をしたことがない社会的災難には、蓄積された知恵が乏しいので、対策・政策など右往左往する。しかし、普段当たり前のようにしていることが、出来なくなることもあるなと思う。そのことに的確に対応していくことはむろん必要だが、人も社会もどんどん変化していくわけで、その変化に応じる力をつけていくことも大事ではないだろうか。私は、出来なくなることに焦点を当てるよりも、このような機会に、普段当たり前のようにしていることを見直すことや、工夫を重ねて出来ることを見つけることに焦点をおいていきたいと考える。これは「老い」の生き方にも当てはまると思う。

 

2023年1月:「個人症候群」とリハビリ

精神科医の中井久夫氏は治療において、長年の研究で標準とされている「普遍症候群」、その地域の土着的な文化と深く結びついている「文化依存症候群」に加えて、ある個人にしか該当しないような精神疾患として「個人症候群」という概念を提示した。

これは精神疾患治療における見解だが、精神疾患に限らず一人ひとり特有の、あるゆる疾患に当てはまる概念だと思う。

そしてリハビリテーションに関しては、一人ひとりの身体状態に合わせた方式をとらないとリハビリテーションにならないと思う。

訪問看護は1対1で、私の身体状態や日々の体調状態で対応していて、私特有の身体の動かし方、癖なども考慮しながら対応してくれるのを感じてとても参考になる。

A氏によると私と同じような症状でも手当の仕方は全く違うそうである。

要支援対象施設モンスターでは、7、8人程の対象者を3つのグループに分けてリハビリ訓練をしていて、一人ひとりの状態に合わせた練習も意識しているように感じている。

訪問看護でも要支援者対象施設でも、私の担当している方々は病院での回復リハビリテーション担当者として勤務されていた理学療法士が多く、身体のことも詳しく何かと相談している。

今の私が思うのは、リハビリテーションの目的は、元通りに戻るというよりは、そのような苦難を抱えたとき、いかにそれと向き合い、自分自身がどう生きていくかを考えるプロセスにあるような気がする。

 

2月:無意識のレベルまで

先日朝5時頃トイレに行くときに、ベッドから立ち足を踏み出す際に滑りドスンと尻から落ちた。訪問看護のA氏に体を具に診てもらい、暫く状態を見るが大したことにはならないようだった。

特にこの冬、夜寝てから尿トイレに起きる時、ふらつきがあり転倒しやすいのと寝起きはどうしても気が緩みがちで、慎重に動いているが不安であった。

今は8時間睡眠の内、平均して三回程になる。

普通に体を動かすとき、元気な頃は殆ど無意識に近い状態でやっていたが、最近は動くときには、慎重に注意深くするようにしている。

だがそれにも限度があり、何気ない動きにほとんど意識が向かないときもあり、その時に倒れやすいのだろう。

脊髄小脳変性症に限らないが、転倒による寝たきり状態になることがもっとも危険であり、特に高齢者にとって筋肉の劣化が著しく、急速に衰える原因になる。

介護関連の活動をしていたとき、細心の注意を払うところだった。

要支援対象の施設でも訪問看護でも、バランスの取れた身体の使い方・歩き方などを繰り返し練習し、適度なアドバイスもあり、それを基調に日常生活に生かしている。

だが、リハビリ訓練の時はだいぶ意識的にしていることもあり、随時の各身体機能評価で数値的には少し上がっていてバランス力の向上を認めるとされている。

だが、ある程度無意識的なレベルでも転倒せずにスムーズに動けるようにと思うし、目標でもある。

 

3月:何気なくできていることのありがたさ

妻が感染性胃腸炎に感染して、嘔吐・下痢をした。保育園で感染した孫たちの感染が移ったのだろう。その後私も感染した。

私の場合は、一般的に吐く・下痢が続く胃腸炎で吐くことが1回で済み、その後食欲が落ちることなく美味しく食べていた。

考えてみれば、今まで食欲のないときが殆どなく、おそらく胃腸が丈夫なのだろう。

NHKヒューマニエンス「“胃” 生きる喜びを創る臓器」で、健康な胃は新陳代謝が盛んで、老人のものか子供のものか見分けがつかないそうだし、「食べる幸福感だけでなく、生きる喜びまで創り出すことが明らかに」を見て、胃が健全なことはとても有難いと思った。

脊髄小脳変性症以来、歩くとか動くとか、何気なくできていたことが、そうではないことをまざまざと感じることが多くなった。

それとともに、身体のことや五臓六腑の働きをより意識するようになった。

また、同時期に孫が次々生まれ、日々体がしっかりしてくるのを感じ、人が生まれて育っていくのを興味深く見ていた。

孫が育つにつれ、ハイハイから歩き始め、徐々に私と双曲線を描くごと日々しっかりするようになり、普段取り立てて意識することがない二足歩行で歩くことはすごいことだと思うようになった。

今回の感染性胃腸炎のように体験することで、おそらく胃が丈夫で、なにがあろうとも美味しく食べられることはすごいことで、感謝の念を覚えた。

 

4月:病気を楽しみながら

神戸市から継続して要支援2の判定結果の通知があり、関係者による担当者会議があった。

ケア・プランでの主治医(脳神経内科)の意見は次のようである。

《少しずつではあるが小脳の萎縮は進行しており、ふらつきも激しくなっている。歩行障害進行しており歩行距離は減っている。今後もリハビリによるADL低下の防止、筋力増強訓練などを行う必要があり、住環境整備も含め、社会支援が必要と考える。》

これは今の私の状況を的確に表現していて、読むと少し不安になる自分もいる。

どんなに割り切っていても、身体の機能があちこち衰えているのを認めることは、心細く寂しいものである。

一方でこの現状を踏まえて、この時期どのように過ごすか、出来れば豊かに面白く暮らしたいと思う。

歩くなど動くこととは別に、心配していることとして滑舌も耳の聞こえなさも嵩じてきて、数年前から福祉関連の仕事をやめていたし発声練習もおろそかになってきた。

だが、孫への絵本読み聞かせや友人・知人がきてくれた時にきちんと話をできるよう、家で手軽にできるし腹筋の訓練にもなるので、また発声練習に取り組んでいるところである。

好きな文学作品などの朗読は面白いし楽しみでもある。

正岡子規の随筆『病床六尺』の「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」などの言葉は、子規よりはるかに軽微であるが、私の今の座右にしたい言葉でもある。

 

5月:可能性を探って

5月から訪問看護で口腔ケアを開始した。近来「口腔ケア」の大切さがいわれ、今では保健・医療・福祉の分野に広く浸透している。

時折、食べるときやお茶など水分をとるときにむせたりすることがあり、気にはなっていた。

そのためには口周りの筋肉を衰えさせないことが重要であり滑舌も極端に悪く、両方のケアも兼ねて始めた。

バランスよく美味しく食べたり飲んだりすることは、健全に暮らすための大事なことであり、口・舌・喉などの機能の活用が欠かせない。

難病を抱えもうすぐ76歳になる私にとって、今心に置いていることは、今後どうなっていくのか分からないにしても、その時点での心身状態を冷静に見つめ、状況に対応する客観力が必要ではあるが、どこまでも可能性を探っていく。

出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていく。 その場合にあまり無理をしないで、面白く楽しみながらすることが大事な気がする。

また、病気など暮していくのが厳しくなると共に、ものごとの捉え方・見方が大きく変化し、様々なことを味わう深みがかわってきているのも思う。

なお、改めて多くの方々や社会の仕組みに支えられているのを感じる。そのことにより敏感になっている。

今の私は、妻がある程度元気でいることで、それなりの暮らしが出来ている。

その妻が平然と受けとめているように見えるのも心強い。

どちらにしても、老・難病を抱えた当事者としてじっくり向き合っていこうと考えている。

 

6月:口腔ケアのこと

歩くなど動くこととは別に、心配していることとして口廻りの衰えがあり、5月から訪問看護で言語聴覚士による口腔ケアを開始した。

口腔ケアには口腔の「清掃を中心とするケア」と「機能訓練を中心とするケア」がある。

要介護高齢者の口腔ケアでは、誤嚥性肺炎や口腔内の乾燥を予防すること、さらには老化や障害による口腔機能の低下を予防・改善することが主眼となる。

「咀嚼する」「飲み込む」「鼻で正しく呼吸する」「滑舌よく話す」には、口をしっかり閉じることができる力(口唇閉鎖力)が必要で、口輪筋を鍛えておくことが大切。また、舌や喉のリハビリや呼吸のコントロール(腹式呼吸)も必要となる。

訪問看護では➀口・舌の動きをスムーズにする体操。②嚥下機能(飲み込むパワー)をつける体操をする。始めたばかりだが、なんかとても面白い。

具体的には、言語聴覚士のアドバイスに応じて「舌を出したり引っ込めたりする練習」、「頬をふくらませたり、へこませたりする練習」、「舌先を左右の口角につける、舌先を唇の上と下につける練習」「パタカラと発声を繰り返す練習」、「北原白秋の『あめんぼの詩』を読む」等々

言語聴覚士Ⅿ氏から「あめんぼの詩」を読むとき、声を出すとき力が抜けているとある程度スムーズなのだが、緊張というか力がはいりすぎてギクシャクしているときがあるという。

これは口だけでなく、身体の動き全体に言えることで、力を抜くことができないで、動きが硬くなる傾向があり、おそらく心理的な要素もあるのだろう。

 

7月:暑さと折り合いをつけて

最近の暑さは、以前とはだいぶ違っていると思っている。特に今年の暑さは厳しく感じる。

脊髄小脳変性症の対策として、日々出来るだけ歩くようにしているが、厳しくなっているし通常の半分ほどになっていて、汗びっしょりとなる。

汗かきで体温が低い高齢者の私としては脱水症の心配があり、水分補給とともに電解質(イオン)の適度な吸収が必要である。

電解質(イオン)とは、水に溶けると電気を通す物質のこと。細胞の浸透圧を調節すること、筋肉細胞や神経細胞の働きに関わるなど身体にとって重要な役割を果たしている。

各種の清涼飲料水は、それも考慮に入れているが、全体的に糖分も高いので血糖値の高めの自分には要注意である。訪問看護担当者と相談し、いろいろ調べて基本は白湯でいいが、大塚製薬のOS-1(オーエスワン)も少し取り入れた。

飲むのは、朝起きた時、夜寝る前、運動前後などとともに、適宜こまめに少しずつ取ることが大事ということで、そのことを意識している。

今までも日常の暮らしにおいて、食材や飲料にはある程度気をかけてきたし、暑さ寒さにそれほど左右されなかったが、今年の暑さは病状も進んでいることもあるかと思うが今の私にはとりたてて厳しく感じる。

病状は益々劣化していくだろうし、どのように折り合いをつけるかが大きな課題になるだろう。

一方、自然現象や周りの環境とどのように折り合いをつけるのか、いろいろ考えるのは、別の意味で面白いが。

 

8月:回復力の衰え

5日前日の夜中から明け方にかけて右の肩甲骨の辺りが痛く、首を右に曲げるとかなり痛く、訪問看護のA氏に診てもらい軽い筋肉痛だろうと2.3日様子を見ることにした。

ところが痛みは1週間ほど続いた。痛み疲れもあるのか、その間はベッドに横になっていることが多かった。

今回のような身体的なアクシデントがあるとき、回復するのに時間がかかるし今後ますます延びていくだろう。

もっとも困ったことは、この暑さもあり外を歩くのは止めていた。

病気の性格上、身体を動かさないと固まってしまうこともあり、室内では軽い体操を始めていたが、4日前から夕方5時過ぎにマンション周りを少しずつ歩き始めている。

歩いてみて、身体のぎこちなさが増したように思った。

この病名の変性症とは病状が進行するという意で、この一年を振り返っても少しずつ進んでいるが、今回のことでだいぶ進行したように感じている。

脊髄小脳変性症と診断されて四年近くになる。兆候はその数年前からある。

この経過を振り返ると、よくなることは期待できないし、厳しくなる一方である。

それに伴って心細さやさみしさも増し、それにどこまで耐えられるかが課題になってくるだろう。また、どのように心の世界が変わってくるのだろうか。

だが、心配してもよくなることはないし、その状態と向き合いながら、今やれることを精一杯やるだけだと思っている。

それと、小さな子どもの育ちをみていると、次の世代に少しでもより良きものを繋げていく責任のようなものがあると考えている。

 

9月:訪問看護の大変さ

A氏がコロナで、この時間の予定が変わったとのことでK氏が替わりに来る。口腔ケアのⅯ氏も小さな子供の病気によって休まれた。

訪問看護の事業所で理学療法士(PT)はある程度いるのでピンチヒッターで替わりの人を斡旋してくれるが、言語聴覚士(ST)はあまりいないので替わりがいないそうだ。

どちらにしても皆さんいろいろ事情があるので大変だと思う。

16日にA氏の代わりにF氏が来る。F氏は足のマッサージ・ストレッチを丁寧にする。こむら返りなどを気にかけている。立膝で前後に動くことなどバランスをとることを練習する。理学療法士でも、それぞれの力点の置き方が違い面白い。特にF氏は随時見てくれるので参考になる。

担当者・A氏はバランスの取れた歩き方などを指導してくれる。身体のことに詳しく様々な手当てをしてくれるのは有難い。また、いろいろな工夫を凝らし、その熱意が伝わってくる。

K氏は腹式呼吸、腹筋を使った正姿勢でバランスをとるリハビリを、私の息使いをみながら適度の小休止を入れながら行う。

A氏やK氏の前半のマッサージ・リラクゼーションは丁寧で気持ちがいい。

10月から訪問看護計画書に新項目として、〈④屋外歩行でより筋緊張が高くなりリズムが乱れやすい事がある。・体調等を確認しつつ屋外歩行も評価・訓練し少しずつ環境になれていく。〉が加わる。これは今の自分にとって大きなポイントだと思う。

口腔ケアのⅯ氏は、他の方々とは随分違っていて、ご自分の家庭などの話を毎回のようにするので戸惑うことも多い。1時間きちんとやったことが殆どなくてこの辺りも不思議である。

この人の仕事ぶりがこういうところに現れていると思う。

6月にA氏がY・M氏を伴って来訪。しきりにY・M氏からA氏の方式の気になることに声を掛け成程と思うことも多かった。このように自分の方式を見直す機会があるのは刺激になるのだろう。一人ひとりは良かれと思ってしているつもりでも、訪問看護の場合は一人で対応するので、チェック機能があるのは仕組みとして大切だと考える。

 

10月:モンスターの丁寧な対応

要支援者対応とはいえ、見るからに大変な人から90歳を過ぎても元気な人など様々方が参加している。スタッフの皆さんは一人ひとりに応じて、送迎を含め丁寧に対応してくれる。

施設では機能的トレーニングを意識して、7、8人程の対象者を3つのセクションに分かれて練習する。ほぼ共通の方式をメインに、だいたい一人ひとりの身体状態に合わせて、グループ分けしているようだ。

機能的トレーニングとは普通の筋力トレーニングに加えてバランス練習や立ち上がり練習、歩行練習などといった日常生活に関連する動作訓練を併用するトレーニングを指す。

私はこの中から自宅でやれることを適宜取り入れている。

担当者K氏は、力を入れるよりも抜く方がはるかに難しいといい、よくトレーニングにとりいれている。ポイントはメリハリをつけてできるだけゆっくりと動かす。

私の場合、いろいろなことに力が入りすぎる傾向があり身体が硬く、力を抜いて柔らかくゆっくり動かすことは大きなポイントだと思う。

K氏もM氏も病院の勤務があり、身体のことも詳しく、その理を上手に説明して、どの部位を意識するのか言ってくれるので参考になる。

今の私は、動き始めの1歩が出づらく、数歩歩いたらある程度スムーズになるように思う。

車から降りたときや移動するとき、方向転換するときなど転びやすく、転倒しないように極度に慎重になることで認知・脳のブレーキの働きが強くなり、同時に動こうとする体のアクセル機能と齟齬をきたし、かなりギクシャクした体の動きになる。

また、3ヶ月毎のバランスをみる2ステップテストはかなり厳しく感じるし、80cmほどの通常人の半分程度である。

 

11月: 放課後等デイサービス アイリスについて

このたび親しくしている友人が、来年4月開所する予定の【放課後等デイサービス アイリス】を開設することになり、何か私のやれることはないかと考えていた。

その友人から、施設に関わってほしという要望があり、実際のところ身体のことがあり動きが取れないが、何かとメールなどで支援することはできるので引き受けた。

それ以来、「放課後等デイサービス」について調べ勉強している。

そのことで今の子どもを取り巻く社会などいろいろ思うことがある。

最近ともすれば自分の身体や身辺のことに目を向けがちになるので、これにもある種の手応えを感じている。

私事になるが、55歳頃、地元の精神障害者支援ボランティアグループの活動をしていたときに養護学校の校長と知り合い、病院併設型の筋ジストロフィー症やALS(筋萎縮性側索硬化症)など肢体不自由者・児が多くいる鈴鹿市の養護学校(現・特別支援学校)で、支援ボランティアグループを立ち上げ、要請を受けて非常勤講師をし、病棟に出向いての訪問教育もしていた。

また、学校卒業後の障害者・児の暮らし方を考えていて、自立生活センター運動に関わるようになり、私の福祉活動の原点となった。

そのこともあり、友人の【放課後等デイサービス アイリス】開所の話を聞いて、ささやかでもいいので支援を考え始めた。

すべての子どもが健やかに育つことを願い次世代によきものを繋げることは私の思っていることでもあり大切だと考えている。

それを機に、「放課後等デイサービス」のことに限らず、子どもの健全な育ちについて私の考えていることを「子育ちアイリス通信」として記録していこうと思っている。

 

12月:耳鼻咽喉科の検査を受ける

14日、モンスターの新企画として最後の15分、皆で椅子に座って足踏みをしながら、Ⅰ氏の動きに合わせエアロビクスの運動をする。

この運動した後、足がガクガクして転びそうになるので動きを出来るだけ控えた。次の日、訪問看護のK氏と話す。無理だと思ったら途中でやめることが大事だという。

どのような運動も少しきつめの負荷が効果あるが、あまり負担が大きいと逆効果になる。

筋肉への負担が軽いとはいえエアロビクスの場合5分ぐらいから始め慣れてきたら徐々に時間を伸ばすのがポイントだが、どうしても一生懸命にやってしまうので、皆と一緒にするときは、やめづらくなってしまう。この辺りは自分のテーマでもある。

26日、脊髄小脳変性症の定期検診で耳鼻咽喉科の検査を受ける。病状とともに、滑舌も耳の聞こえなさも嵩じてきて、聞き違えや聞き返されることが多くなり数年前から福祉関連の仕事をやめていた。テレビも大事と思っている番組は字幕付きで見ている現状である。

耳鼻咽喉科では、最初左右の音・数字・仮名の聞こえ検査をした後の診断では、軽度の難聴があり、補聴器を右耳から始めてはどうかと三宮のT事業所(トーシン神戸補聴器センター)を診断書付きで紹介して、良く調べて試してもらうように言われる。

また、補聴器は年齢的にも若いうちがよく補聴器を扱う事にも馴染みやすいということを言われる。

小さい頃から両目0.1の近眼で眼鏡をかけていた。2007年5月白内障の手術し、裸眼0.8でこんなにハッキリ見えるのだなと少し驚くが、その後両裸眼0.4ぐらいで、眼鏡なしで日常生活や本を読むには差し支えないようになる。

それ以来眼鏡なしで生活していて、こんなにもスッキリしているのだと思っている。

補聴器の話が出るたび、なにか煩わしい思いがあり延び延びになっていたが、今は孫をはじめ遊びに来た方ときちんと話ができるように、補聴器をつけることを考えている。