日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

書評:なだいなだ『娘の学校』と『続娘の学校』

○友人のブログに促されて、なだいなだ氏の『娘の学校』と『続娘の学校』を読んだ。

両書は、作家・精神科医のなだいなだ(1929~2013)が、フランス人の奥様との間に生まれた四人の娘たちに語りかける形で書いたエッセイで、著者の代表作と言われている。常識を疑い、自分の頭で考え抜くことを旨とする、寄り道多い授業を展開する。

 

『娘の学校』は1968~69年に、『続娘の学校』は1973年に『婦人公論』に連載したもの。

その頃、水俣病や三里塚にふれて社会問題に関心を持つようになった20歳代前半の私にとって、身近な社会事象についてのエッセイで、50年以上たっても、事象そのものは変化しているが、それについての著者の見解に「そうだよな」とうなずくと共に、今現在の私はどうなんだろうと考えさせられることの多いエッセイとなる。

 

○『娘の学校』

本書は、十歳、八歳、六歳、二歳未満の四人の幼い娘たちを相手に、デカルトのいう「世界という大きな本」を学校の教室に見立て、「音楽」「文学」「政治」「人生論」「人類学」「反哲学」「性教育」「狂気論」などを題材に、ユニークで独創的な授業を展開する。

 

学校授業はじまりの章の校長訓示の最後に、「世界は、思索する人たちにとっては一つの喜劇であるが、感情にかられる人たちにとっては、一つの悲劇である」とのメッセージを述べている。

各章の最初に短い言葉があり、文中に四人の娘の状況が描かれ、著者の見解や各種箴言などが語られている。

なにげないお話の中に、とても面白い、考えさせるメッセージが詰まっている。

 

最終章の「健康を鼻にかけさせぬための狂気論教室」では、

「精神の正常とは、数ある狂気の一種にすぎない。」の言葉からはじまり、終わりの方で、「人間の思考は、日常性に、とらわれている。正常性にとらわれている。そのとらわれの重力を発見せずに、思考の自由を得られるだろうか。わたしは、お前たちに、そのことを知ってもらいたかったのである。」と続く。

 

「あとがき」で次のようにいう。

《わたしは、この本を、自分の娘たちが大きくなった姿をイメージにえがくことで、そのイメージに向かって語りかける形で書いた。(中略)こうした姿勢をとることで、やさしいことを書くのと、やさしく書くことのちがいを、わたしは学んだのだった。》

 

○『続娘の学校』

本書は『娘の学校』の四年後に書かれ、長女は十五歳になる。みんな大きくなり、それにひきずられてか、講義の口調もかたくなりがちだった。「愛と認識」「文明と文化」「自我論」「良妻論」などのテーマ、ボーイフレンドやタバコの話題があり、フランス文化のこと、精神科医などの医者論もある。

 

わたしのもっとも印象に残ったのは、ベトナム停戦協定成立に触れた「敗北主義的平和論」である。

協定はできたが、戦闘は続いている。その瞬間にも殺され、家を焼かれている人間もいるのだ。それなのに終わった、平和だと騒いでいる。

ベトナム戦争までひとつのショーにしてしまって停戦がもう実現したかのような錯覚をおこさせように大騒ぎしているテレビと、それをシンボルとする現代に向けられて著者の不信感が続く。

 

さらに、南ベトナムで負傷し、日本に連れてこられて治療を受けている一人の女性に、無神経にマイクをつきつけ、

「ニクソンの放送は聞きましたか。平和がやって来ましたね。どんな気持ですか。きかせて下さい」。

それに対し顔の傷のために年齢もよくわからないベトナム女性は、たどたどしい日本語で答え始めた。その答えが、著者の胸を不意に衝いた。

 

「平和デスカ。平和ガ来テウレシイカ、トイウノデスカ。サア、ワタシハ、マダ平和トイウモノヲ知ラナイノデス。生マレタ時カラ、戦争ダッタノデス」

「ワタシニハ、生キルトイウコトガ、戦火ヲサケルコトダト思ッテイタノデス。日本ニ連レテコラレテ、戦争ガナイトコロガアルコトハワカッタケレド、ワタシニハ、ベトナムニ戦争ガアリ、ソコニ家族ガイルカギリ平和デアリマセン。デモ、ワタシハ、日本ニ来テ、日本ヲ知リマシタ。日本ニアルノガ、コレガ平和ナラ、ワタシニ、平和ハイイカナドト、アナタハ、聞カナイデモイイデハアリマセンカ。モシ、サイゴンニ来ル平和ガ、ソレトチガッタモノナラ、ヤッテ来ルマデ、ワタシニモイイカワルイカワカラナイ。ソウ、ワタシニイエルノハ、日本ニアルノガ、コレガ平和ナラ、コンナ平和デモイイカラ、サイゴンノ人タチニモ味ワワセテヤリタイトイウコト」(※本文からの引用)

 

それに対し、不意を衝かれた著者は次のようなことを述べる。

《彼女のつぶやくように放す声の中に、アメリカの「名誉ある平和」とも北ベトナムの「勝利」とも無関係な、もうひとつの声をみいだした。(中略)

彼らは平和をのぞむ。決して勝利をのぞむのではない。勝利は政治家たちの名誉にしかすぎない。名誉ぬきの裸の平和こそ、民衆のものだ。平和を欲するが、平和を、勝利をとおしてえようとすれば、平和は遠ざかる。現にベトナムの平和への道は、なんと遠かったことか。》

 

これは半世紀前の出来事であるが、同じような状況は、現在も続いていると考えている。

「あとがき」で次のことを述べる。

《娘の学校では、なにかを記憶させるような授業はしなかったのだし、忘れ去られてそれでいい。しかし、ことがらは忘れさられても、考え方だけは残るだろう。情熱を欠いた記憶は、博学をつくるだけだ。それよりも、わたしは考えようとする情熱が、どれだけ生徒たちにつたわったかを問題にしたい。娘の学校の聴講生にとっても、それは同じことである。》

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本書を読んで、1970年前後の時代の空気が伝わってきて、懐かしさとともに、改めていろいろ考えさせられた。

この半世紀、科学技術の発展は凄まじいものだと思うし、様々なことが便利になった。一方、この時代状況などについて、考えようとする情熱はそれに伴っているだろうか。

考えるというのは各種の思い込み、そのとらわれの重力を疑うことが必要だ。果たして思考の自由を得ているだろうか。なだ氏のエッセイを読んで、そんなことを考えた。

わたしは、とらわれの重力を疑い、考えようとする情熱を揺り起こしながら、やさしく書くことを意識しようと思う。

※なだいなだ全集〈8〉娘の学校、続娘の学校(筑摩書房、1982)