日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎さびしいときは 心のかぜです(子育ちアイリス通信5)

○これは、原田大助さんの初めての詩画集で、この表題は、次の詩からのもの。

「さびしいときは 心のかぜです。せきして、 はなかんで やさしくして ねてたら一日で なおる」

「まえがき」に次の言葉がある。

「あのね、やさしいことは気持ちがいいです。夏のにおいがいっぱいです。あのね、おいしいことは気持ちがいいです。秋のにおいがいっぱいです。あのね、愛しいことは気持ちがいいです。春のにおいでいっぱいです。あのね、一緒にいることは気持ちがいいです。冬のにおいでいっぱいだから・・・・・・」

 

大ちゃんこと原田大助くんは石川県立錦城養護学校高等部1年生。中学部の時、山元加津子先生と出会う。山元先生は大ちゃんの何げなくつぶやく言葉の1つ1つに大きく心をゆさぶられ、やがて二人で、そのつぶやきをもとに詩と絵の創作活動を始める。

この詩画集は大ちゃん(原田大助くん)と、山元加津子先生の合作による作品集ともいえる。

 

先月紹介した『1/4の奇跡』で、山元さんと大ちゃんとの心の交流が綴れている。

《その頃の大ちゃんは、いつも廊下の端を、足早に下をむいて歩いていて、誰ともなるべく目を合わさないようにしているかのようです。

ときどき、口の中でぶつぶつ言っていることも、わたしにはよく聞き取れなかったり、何か尋ねられても、「俺、ようわからんわ」「知らんわ」といい、一生懸命答えようとするときでも、その答えはいつも尋ねたこととはちぐはぐで、例えば「今日は何曜日かな」と尋ねても「俺、カレーライス食ったわ」とかえってきたりしました。

原稿用紙を渡すと、一日に10枚でも20枚でもすごい勢いで何かをたくさん書いているけれど、字がとても読みにくくて、書かれている内容を知ることはできませんでした。

そのうち大ちゃんはワーブロを使えるようになり、大ちゃんは、「文字」というものは、他の人に気持ちを伝えることができるのだ、ということがわかったようでした。

そのことを境に、「読める字」を書くようになり、その後少しずつですがわたしとも親しくなり、次のような詩で気持ちを伝えてくれるようになりました。

 

「ほんとうに 仲良くならんと 目など あわせられん」

会話がかみ合わなかったり、目を合わせてくれなかったりしたとき、わざとそうしているのではなく、本当に仲よくなっていない人の言葉が、大ちゃんの心に、入ることができなかっただけだったのです。》

 

本書は「四季」「空と海」「雪」「モスバーガー」「悲しみ」「愛」「心」に分けられた詩画と山元加津子さんの大助さんについて書かれたもので構成されている。

・四季

「きれいな 花見て 月も見て ゆっくりしてるのが 一番です」

「あはははは おたまじゃくしのやつ うんちくっつけて あるいてるで いいなあ 

人間も 人のことなんか ほっとおけばいいのになあ」

 

・空と海

「気持ちがいいなぁ この青い空 空気がいいんや 空気の色がな すこーし光っとるで」

「海はな、息をしとるんや 今もな、は、あ、ふうって 言うとるんやな な、きこえるやろ」

 

・雪

「氷も雪も 6つの花びらで できている 俺の身体は 何でつまってるのやろ」

「空のごみを集めて 雪がふるって 本当か? 雪があんなに きれいなのは 空をきれいにしようって 雪が心に 思っているからなんや」

 

・モスバーガー

「あったかい気持ちは 焼いたおもち つめたくならんように 心の中に 入れてしまう」

「うれしい気持は アイスクリームの味がする ふうわりとけて もっともっととおもうやろ」

 

・悲しみ 

「悲しい気持ちの時 地面が心臓を ひっぱるんや」

「血が出てたら 痛いって わかるのに さっきな、 言葉で俺 けがしとるんやわ」

 

・愛

「恐いなら そばにいたる 寒いなら そばにいたる いてほしいなら そばにいたる」

「あのな今日 話したいことが あるんや それってな。 うれしい気分に なるんやで」

 

・心

「イライラするとな おなかのな 深いとこが 黒くなって かたくなって どんどんと きたなくなる気がする」

「夜空を見て 星のきもちを 考えたい。窓から顔を出して 風のきもちを 考えたい。 君の目をみて オレの気持ちを 考えたい。」

「僕が生まれたのには 理由がある 生まれるってことには みんな理由があるんや。」

〇山元加津子さんの大助さんについて書かれたもので、「半額シール」の話などから、とっても仲良くなることができたそうだ。

《ある日、大ちゃんはどこで見つけてきたのか、この半額シールを鼻の頭に貼って「俺、半額や」と私に言ったのです。「うわあ、いくらになったん?」「あのな、五十円や」「私、買ったわ。大ちゃんのこと」-----大ちゃんを売り買いするなんて失礼なことだけど、私はこの時、(ああ、気持ちが通じあえるようになったなあ)と、とてもうれしかったのです。そして、その時、大ちゃんの心はしっかりと私の方をむいてくれていて、私の心もまた、大ちゃんの方をしっかりむいていたなあと思います。》

 

また山元さんは、次のようにいう。

《「大ちゃんの障害名な何ですか」「大ちゃんの知能指数どれくらいなんですか」「大ちゃんの精神年齢は何歳ですか」と尋ねられることが、よくあります。私はそのたびに、とても戸惑ってしまいます。季節の移り変わりにたいして、こんなに濃やかな気持ちを持っている大ちゃんを、こんなに人の心をうつ詩を作っている大ちゃんを、「精神薄弱」とか「知能指数をもつ」とか「精神発達遅滞」とかいう言葉でかたづけてしまいたくないなあという気持ちが、私にはするのです。

 

そしてそれは、大ちゃんひとりでなく、学校の子供たちがみんなそうだし、その他の誰だって同じことじゃないかと思うのです。私たち大人は、その人の障害名とか知能指数とか精神年齢を知っただけで、その人のことをすっかりわかってしまった気になることがあります。

でもそれって本当におかしなことですよね。》

 

知能指数や精神年齢の数字で何が分かるのでしょうか。その人が十年なり、二十年なり生きてきて、得てきたものがたくさんあるのだし、そんなことは、その数字だけでは到底わからないことだ。また一つの目安である障害名などで、決してその人は見えてこない。

これらのことを養護学校教諭の山元さんは、大ちゃんや他のみんなから教わることになる。

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※原田大助/山元加津子『さびしいときは心のかぜです』(樹心社、1995)

放課後等デイサービス「アイリス」ホームページ

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