日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉4歳9ヵ月、弟2歳11ヶ月、妹1歳1ヵ月) 

○友人のFBへの投稿でブログ『ちえとく』の記事「感情を爆発させる子どもを落ち着かせる たった1つの質問」を紹介していた。

 

その質問は、〈子どもが癇癪を起こした際、膝をついて子どもと目線を合わせ「すごく嫌なこと?それとも中くらい?それとも少しだけ?」と聞いてあげましょう。〉というもの。それに対して、小学校の教員をしている友人のコメント〈子供に尋ねると言うこと。子供に質問すると言うこと、子供に問いかけるということ。ほぼ大人の仕事と言うのはこの中のいずれかだ。子供は問いかけて欲しいのだと思う。〉とある。

 

その投稿から、三人の孫の育ちのことを思った。

1.子どもの行動・言動は多くの場合、子どもなりの考え方・言い分がある。

2..そして、子ども自身が自ら向き合うことが大事だと思う。小さな子どもなりにいろいろ思っている。

3.子育てのポイントは、大人は気長に見守り、時折子ども自身が自ら探っていく手助けをすることだと考えている。

○「日々の記録」一っ歳

7/9:夕方心和一歳の誕生日パーティーをする。

三人の孫は食欲旺盛で賑やかに会食した。ケーキはフルーツ満載で、ローソン一本つけ、お姉ちゃん主導で誕生日の歌をうたい、切り分けて美味しくいただいた。

心和はよく分かっていないと思うが、それなりに楽しそうだった。食後は娘とじゃれ合って、大繩縄跳びをしたりして遊んでいた。こういうときの娘も楽しそうで、三人の孫は娘に寄り添い娘も上手に扱っていた。

お姉ちゃんは大縄跳びで時折10回以上飛ぶことができるが、それを見ていた弟はやる気満々で飛ぶつもりしているが、目を閉じているので1回も飛べない。

食欲は旺盛で力も強いが、運動するときの感覚の協調性はまだ身についていないようだ。

 

7/13:旦那が仕事で東京に行っているときは娘宅のゴミだしは妻がする。随時孫たちは話しかけるそうだ。

今日は弟が「うんちをオムツにしたっちゃ」という。妻が「うんちはトイレでしたらいいね」と応える。

すると弟は「お父さんがトイレ使ってた」という。アレレお父さんはいないはずなのにと妻は思った。

娘がどのように対応したかは分からないが、要するに弟なりにしくじった気持ちなのだろう。

 

7/17:心和はお母さんに抱っこされてわが家につれてきて娘が置いて帰ると激しく泣くが、玄関の戸を閉めた途端泣き止み妻に纏わりつく。

大体一人で遊んでいるが、妻がトイレなどいくのがわかると、途端にハイハイで泣きながら追いかける。

最近私にも馴染んできたなと思っているが、この人はあまりあてにならないと思っているようで泣き止まない。そして妻の姿を確認するとすぐに泣き止む。

イギリスの小児科医で精神部分析家ウィニコットに「独りでいられる能力」との理論がある。今の段階では見守ってくれている頼りがいのある人の存在で、一人遊びができるのだろう。

 

7/24:弟はわが家に来るときいろいろなものを手に握ってくる。

お姉ちゃんはよく犬のぬいぐるみを抱えてくるが、弟はアレレいうものを持ってくる。その時の関心の向くものだろう。

娘宅の圧力鍋の錘がなくなり、娘が「開一が持ちだした」といい困っていた。

その錘はピンク色の小さな三角錐様のもので、開一がオモッチャにしそうなものだ。持ち出してどこかに置いたのだろう。

 

7/30:心和は好奇心のあるものをいじくりまわして探りながら遊んでいる。

玩具の入ったコンテナの把手に反対側の指を挟んで泣きだした。すぐに妻が手助けして何とかしたが痛かったのか大泣きした。

加減がわからなく力もついてきて衝動も大きかったのだろう。その後妻は強く抱きしめてそのうち寝てしまった。

まさかこんなものに指を挟まれるとはと思わなかったが、一歳ぐらいの子を育てるのはこんなこともあるのだと、それとなく見ておくことの必要を覚えた。