▼ご飯を食べるとき、ある月齢までは見守り手が適宜介添いをするが、出来る限り本人自ら食べるようになったらいいと思う。
お姉ちゃんは、1歳3か月頃から徐々に幼児用のスプーンやフォークも使って食べるようになり、今では上手に箸を使って食べるが、まだ弟は、介添いができないとき、何せ食欲旺盛で手づかみで食べている。
ただ手がベタベタになるので、適宜ハンカチ・テッシュなどでふいてあげる。気持ちがいいのか、ときおり催促する。
たまたま手元にそれらがなかったので、妻が弟の首にかけた食事時の前掛けで拭いたところ、それを見ていたお姉ちゃんが、「そんなことをしたらお母さんにコラッと叱られるよ」と言うのに笑ってしまった。
私も妻も孫に対しては、「それはダメだよ」「それは触らない」などいうが、「𠮟る」ということはしていないつもり。
孫がどのように取るのか分からないとしても、孫が自分自身で考えるようにと思う声掛けだ。
娘が孫たちに「コラッ」というのもときおり聞いている。「ジジババ」という気楽な立場と違って、接している時間の密度もあるだろうし、それぞれの考えもあるから違っていて当然のことだと思う。
なお、幼児の育ちの早い段階から、結構こちらの意向を聞いていて、それぞれが考えている。
弟の場合、しゃべることはまだだが、だいぶ前からことばの理解が始まっているように思う。
幼児期のことばの獲得は、「理解の段階」→「模倣の段階」→「発語の段階」とすすむが、「理解の段階」(自分では発語できないが他人の言葉の意味はわかり、動作や行動を示す)はかなり早い時期からはじまっているようだ。
▼「𠮟る」について
生まれ落ちてから人は、仕付けや様々なことを習って、社会性を身に着け、成長し大人になっていく。と一般的には言われている。
そのような面もあるが、余計なもの(観念)を着けることで、不自由に、不幸に、つまらなくなっていくことも多々あるだろう。
「叱る、ほめる」というのは、そのことで簡単に善悪の観念がつきやすい。
幼児や子どもの育ち、心理、教育情報関連では、「叱る」について上手な叱り方、「怒る」との違いなど、大きな課題として取り上げている。
「𠮟る」と「怒る」については大体次のように言われている。
・怒るは、感情的に自分のイライラや怒りをぶつけるもの。
・叱るは、相手のためを思いアドバイスをしたり注意をしたりするもの。
「叱る」と「注意」の境界はあいまいだが、いずれにしても、子どもが自ら考えることが大事だと思う。
どの程度できるか分からないが、行動の主体は子ども自身だ。