日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉5歳6ヶ月、弟3歳8ヶ月。妹1歳9ヶ月、三女誕生)

○娘の出産

10日に出産した娘の産院に、2日後の午後3時頃、わたしたちは訪問し、娘からお産の様子をきき、赤ちゃん・凪の名前のことや四人の孫のことなどいろいろな話をした。

娘も赤ん坊も元気で、妻が抱いている間も心地よさそうに寝ていた。出産時2900gあったそうだ。赤ちゃんの名前は凪(なぎ)とのこと。

※凪とは、海や湖などの水面が風の影響を受けず、静かで波立たない状態を指す言葉である。小学館「Hugkum」の「命名する願い」によると、《「凪」は「風が止まり穏やかな状態」という意味から「どのような時でも穏やかに、そして平和に過ごしてほしい」という願いが込められています。波乱万丈の人生は望まず、堅実に安定した人生を送ってほしいという考えです。また、無風であることは「落ち着いた状態」とも考えられ、「どのような状況でも慌てず、落ち着いた人になってほしい」という願いを込める場合もあります。》とある。男女とも使えて「新型コロナウイルス」の影響など結構人気があるそうだ。

自分の身辺のことを書くときに、ともすると主語が「わたし」から「わたしたち」と一人称複数形になっていることがある。というより、分けることができないのかもしれない。

娘が結婚してから身辺のことについて話すとき、「わたし」のなかに「相方も含んだわたしたち」が入り込んでいるし、子どもが生まれてからは、その子も含んだものになっていることが多い。娘夫婦にとって赤ちゃんは「かけがいのない人」になっているようだ。

これが夫婦になること、子どもを持つことの、人間社会にしか見ることのできないとされている「家族」というものの核となる現象なのだろうとも思う。

○日々の記録

4/10:朝6時頃携帯電話があり、娘が破水して病院に行く。

妻が娘宅に行き孫三人を連れてわが家で食事をした後、着替えなどして保育園に行く準備をする。その間三人とも遊びまくり、何とか妻が対応する。8時半過ぎに旦那が保育園に連れて行く。

こういうことがあると自分はどうすることもできず、妻が一手に引き受けて対応する。夕方にはわが家で食事と風呂をすませた。道花は午前中に無事出産、四人目となる。

旦那がお姉ちゃんと弟を連れて産院にいったそうだ。

 

4/11:朝妻が心配して娘宅の様子を見に行ったところ、旦那が小まめに動いていて、孫たちも何かを察しているのか、いつもに比べていい子をしているのを見て、安心して

すぐに引き揚げてきた。

孫たちなりに分かっているのだろう。特に上の二人はよく考えているようだ。夕食は孫三人と旦那の食事を用意し、お風呂の準備をする。

 

4/13:旦那の母・K子さん夕方来訪。上二人の孫はよく行くのでT島のばばと認識していて、なついている。両家にじじばばがいることを分かっているようだ。孫三人の食事をさせてから、k子さん、旦那を交えて私たちの食事をする。

孫たちは母親がいないのも慣れたのと,三人のじじばばが囲まれてテンションが高まっているのか、じゃれ合っていた。

 

4/21:K子さんは今日帰ることになった。食事準備などいろいろ大変だった思う。K子さんはわたしたちより若いとはいえ、70歳近くになる。食事の作り置きも大部したようだ。

元気な「ばば」たちのおかげで、おそらく娘一家は滞りなくいけているのだろう。

 

4/28:昨日夕方から娘の子の生誕を機にY子さんがくる。

その時に手作りの冊子『ミズラホ』をいただく。「はじめに」と「おわりに」にY子さんの思いが述べられている。いかにも手作りという感じだが、なかなかのもののように覚えた。

上の孫三人を連れて奈良方面に遊びに行く際、心和に長袖の服を着せたところ、半袖の服を持って来て妻に着せろと催促し、そうした。まだ二歳にもならないが、この子のそうしようする意思はかなりなものだと妻は思ったそうだ。