日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎FB思い出機能から (たまゆらの記㊴)

○FBの思い出機能の2015年7月6日に【◎知人の死去や入院に触れて。】が掲載されていた。

次から次へと時は流れていき、そのときは自分にとって大きな出来事だったことも、日々の意識の底に沈んでいく。

数年前はこのようなことを考えていたのだなという発見もあるが,同じようなことを繰り返し語っていることも多い。

 

そして、親しくしていた人の逝去の記録は、改めていろいろな感慨が出てくる。

この記録に触れている急遽入院され、その後回復された友人F氏は、昨年暮れに逝去された。

この8年に限っても、親しくしていた友人、身近な親族も少なからず死去された。

 

私についても、脊髄小脳変性症と診断されたのは2019年10月だが、ふらつく等身体の異変も感じはじめていて、この頃から症状がでていたと思う。

この記録に現れている思いとは少し違っているところもあるが、総じてますます切実になっていることが多い。

-----

◎知人の死去や入院に触れて。
 6月末に逝去された知人二人の様子について、以前から、癌のことや体調がすぐれていないことなど三人の友人からメール連絡を受けていた。
 友人からは、親身になって心配している様子が伝わってきて、連絡をしていただくのはありがたかった。
 
 同時期に友人が急遽入院されたと、娘さんからメールを受けた。
 私にとっては想定外の出来事で、先ずは、この機会にじっくりと静養していただき、なによりも体調が回復されることを願うのみであった。
 娘さんの丁寧で簡潔なメールから、友人の奥さんや家族のことにも気持ちが動くのを感じた。同時に、私にできることは何かなど、いろいろな考えることがあった。幸い回復されて退院されたと連絡を受けて、一先ずホットしている。
 
  どちらにしても、お互いに高齢化に伴っていろいろなことが生じてくるので、自らの心身と、ほどほどに付き合っていくことになる。
 
 福祉関連の活動をしていたこともあり、当事者だけではなく、同時に家族の苦労も感じてはいた。
 8年前から90歳過ぎの妻の両親と暮らすようになり、より一層、認知症、重度障害、重い病気、高齢化により極度の衰えをしている家族を抱えての暮らしは、大層困難なことだと感じている。
 
 家族だけに負担が生じないように地域社会も関わって見ていくという趣旨の介護保険制度ではあるが、自分や身近なもので何とかするというような家族意識も根強くあり、それが阻害要因になっていたりすることも多い。
 
 老人施設に入所していた晩年の母は、「早く死にたい、こんなんで生きていてもしょうがない」とよくもらしていた。
 主になってみていた兄や妹に様子を聞くことや、時折見舞いに訪れる私からみても、その状況を見るたびに、このような状態で生きているよりも、早く母の希望通りになったらいいなと思うこともあった。
 
「どうせ死ぬのなら楽に死にたい。痛みだの、息苦しさだの、動悸だのはごめんだ、安楽に死にたい」と願うことも分かるような気がする。
 だが私の母を見ていて、身体的な痛みもあるが、醜い姿をさらしたくないという思いと、子どもや他の人に迷惑はかけられないというような意識が混ざっていて、身体的な痛みより心の痛みが強くあったようで、見るからに苦しそうであった。
 
 また私の意識も、母のことを心配していることもあるとは思うが、母のそのような姿を見せたくない・見たくない、施設の人にあまり迷惑はかけられないというような気持ちもあった。
 福祉関連の活動で、そのような状態の人にも関わってきたが、そのような気持にはなったことがなく、ひたすら楽になることを願うのみで、ごく身近な人とはだいぶ違うなと思った。
 義父母に対しても比較的冷静にとらえていたと思う。
 
 私にとって母親は、どんな状況にあっても、私に対して終始変わることのない気をかけてくれた人であり、支えてくれた人だと思っている。そのことと、晩年の母への見方とはどのようにつながるのだろうか。私にとって、親子とは、家族とは、親しい間柄とは、どのようなものだろうか。
 
 また、親しい人同士、あるいは様々なコミュニティによる、血は繋がってはいない、その他の人たちで織りなす家族のような関係にも関心があり、考えていきたいと思っている。