日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の育ちをみていて(たまゆらの記㊶)

○三人目の孫が一歳になった。

同じマンションの階下に暮していることもあり何かと関わっている。といっても対応するのは殆ど妻で、私は見ていることが多い。

 

私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 

その間、親らしいことはほとんどやっていないのではないか。

したがって、「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。

 

娘はそこで生まれ育ち、そこにはいろいろな思いはあるようだが、総じて面白かったようだ。

特に同期生や仲間たちと寝食を共にし,切磋琢磨しながら育ったことはよかったと思っている。いまだに親密な関係を持っている人もかなりいる。

子どもを産むに際して、社会性をもつためにも最低三人は欲しいと考えたようだ。

 

孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う

娘夫婦を見ていて、受けとめ手の主体は母親であるが、夫婦でともに支え合いながら、子育ては進んでいくのだなと、見ていて思う。

また、小さな子どもを育てることで、親も成長していくのだろう。

 

妻をみていて、子育てを体験した人の、子どもの気持ちに寄り添い、気長に見ていく心の広さを思う。

様々なケースがあるだろうが、母親の逞しさは子育ての経験にあるのではと考えている。

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私は脊髄小脳変性症にかかって以来、歩くとか動くとか、何気なくできていたことが、そうではないことをまざまざと感じることが多くなった。

それとともに、身体のことや五臓六腑の働きをより意識するようになる。

 

同時期に孫が次々生まれ、日々体がしっかりしてくるのを感じ、人が生まれて育っていくのを興味深く見ていた。

孫が育つにつれ、ハイハイから歩き始め、徐々に私と双曲線を描くごと日々しっかりするようになり、普段取り立てて意識することがない二足歩行で歩くことはすごいことだと思うようになった。

 

このように身体面の成長や知恵の発達はビンビン感じるが、私の関心は子どもの心の世界がどのように育つのだろうかである。

 

下條信輔「まなざしの誕生 赤ちゃん学革命」の中で、赤ちゃんを「好奇心のかたまり」「冒険家」「発見をする生き物」「応答する生き物」として見ることを提唱する。

そして、赤ちゃんを精神的にひとりの人格として認めて付き合うことが大事だと言う。

なぜなら、赤ちゃんは「『心をもつ者』として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長する」と述べる。

 

赤ちゃんはむろん、すべての人に対して、ひとりの人格者であり『心をもつ者』としてみることは大切だと思う。

参照:下條 信輔『まなざしの誕生―赤ちゃん学革命 』(新曜社、2006)