日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「命の閉じ方」(佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』を読む)

〇本書は、著者が在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった自身の母の病気、それを献身的に看病する父の話を横軸に、看護師の男性との出会いと別れを縦軸に、京都の診療所を舞台に、在宅医療に関わる医師や看護師、そして患者たちの7年間にわたる在宅での終末医療の現場を活写する。自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれるノンフィクション。

 

 本書扉に、「これは、私の友人、森山文則さんの物語」とある。

 森山は、京都にある渡辺西賀茂診療所の訪問看護師だ。数年間で200人以上を看取ってきたという。本書のプロローグは、2018年8月に彼の身体に起きた、小さな異変の記述から始まる。そして、48歳で肺転移のある膵臓がんと診断された。生存率の低いすい臓原発のがん(ステージⅣ)に侵されていた。

 

 そして、彼は最後の仕事として「患者の視点から在宅医療を語る本をつくりたい」と著者に共同作業を持ちかける。

 

〈森山の仕事は、患者が死を受容できるように心を砕き、残された時間を後悔のないように生きるよう導くことだった。彼はすでに自分が終末期に近づきつつあることを、わかっているはずだ。しかし、彼の口からはこんな言葉が漏れた。

「僕は生きることを考えてます」(本書「2018年現在」より)〉

 

 元気だった頃の森山が看護した患者さんの姿と、病状が進行していく2018年~2019年の森山の姿が、本書では交互に描かれる。そこに、佐々家の在宅看護が入ってくる。各章の間から浮かび上がってくるのは、終末期の患者であっても名前をもった一人の人間だ、という事実だ。そこには、果たしたい夢や届けたい思いが必ずある。

 

 著者は家族を巻き込む在宅医療に心理面で否定的ながらもチームに同行し、そのプロセスを取材する。その道程でチームメンバーと「命の閉じ方」について語り合う。患者、その家族、医療者の場面ごとの心の揺れや小さな喜び、落胆などを見逃さず、小説のような繊細な描写を重ねて、読者に語りかけてくる。

 

 森山は「患者さんたちが、僕に教えてくれた」といったという。その言葉に導かれるように、著者の脳裏には、京都の家々を回った訪問看護の取材の記憶がよみがえってきたという。

 死が迫った患者の願いで、京都から知多半島まで潮干狩りに行ったこと。終末期の患者さんのお宅でのハープコンサートを開いたこと。がんに侵された若い母親とその子供たちと一緒に夢の国(ディズニーランド)を訪れたこと。気の強い老婦人の願いを叶えるために、生きたドジョウを探し回ったこと…など。

 

 著者は次のように記している。「終末期の取材。それはただ、遊び暮らす人とともに遊んだ日々だった。そして、人はいつか死ぬ、必ず死ぬのだということを、彼とともに学んだ時期でもあった。たぶん、それでいいのだ。好きに生きていい。そういう見本でいてくれた」

 

 本書は終末医療のさまざまな具体例が活写され、いろいろなことを考えさせられる。読み進めてきて、最期の「あとがき」が身に沁みてくる。

 

〈七年の間、原稿に書かれなかったものも含めて、少なくない死を見てきたが、一つだけわかったことがある。それは、私たちは、誰も「死」について本当にはわからないということだ。これだけ問い続けてもわからないのだ。もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただ一つ確かなことは、一瞬一瞬、ここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいるということになるのだろう。

 気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へ一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を済まさなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから「生」について学んだ。(本書「あとがき」より)〉 

 

 55歳頃から10年程、主に重度心身障がい者関連の仕事や義父母の介護ta体験などに照らしながら読んでいた。この事業所の森山さんをはじめスタッフの方々に触れて、ここまでやるのだなと、その心に関心をしていた。だが比較するものでもないし、自分としてはそれなりにしていたと思っている。むろん、もっと寄り添っていったらよかったなと、いくつかの反省はある。

 

 難病にかかり、妻の支えなしには外出もままならない現在の自分にとって、「いのちの閉じ方」に思いをはせることもある。また、当事者と同じように、あるいはそれ以上かもしれない身近な人、家族の心の不安をも思う。

 

 著者が「あとがき」で述べているように「最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること」をこころに置いておきたい。

 

※佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル、 2020)

          ☆

 

参照:▼佐々涼子さん 『エンド・オブ・ライフ』「ZAKZAK」の【BOOK】(夕刊フジ2020.3.29)の記事から。

 https://www.zakzak.co.jp/lif/news/200329/lin2003290001-n1.html

 

“捨てる看護”訪問看護師・森山文則氏が身をもって見せてくれた… 佐々涼子さん『エンド・オブ・ライフ』

 ■逝く人と看取る人、在宅での死の意味

 多くの人が口にする「最期は畳の上で死にたい」という言葉。その本当の意味とは何か。逝く人と看取る人は、死にどう向き合いどのように行動し、何を語るのだろう。気鋭のノンフィクション作家・佐々涼子さんが在宅での終末医療を問う問題作だ。(文・冨安京子)

 

 ■49歳で急逝

 --冒頭、「これは、私の友人、森山文則さんの物語」とあります。

「彼は京都の診療所に勤める訪問看護師で、薬科大で教鞭も執っていた、いわば終末医療の専門家でした。200人もの最期を看取り昨年春、すい臓がんを原発とする肺転移で発症から8カ月目に49歳で亡くなりました」

 

 --どんな出会いを

「7年前、私は海外で客死した人々の遺体を運ぶ仕事を書いた『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で賞をいただき、次は在宅医療について取材してみないかと編集者に声をかけられ、その取材で知り合って後に友人になりました。彼の物語を書こうと思ったのはがんが見つかり、今度は彼が看取られる側に立った2度目の出会いのとき。彼と最期の日々をともに過ごすことで、在宅での死の意味を知ることができると思ったからです」

 

 --どういうことですか

「訪問看護のプロだった彼が医療から遠ざかり、自然治癒力に賭けると言い出したときには戸惑いました。しかし、人生で大事だと思っていることをひとつずつかなえて、やがて運命を受け入れるのを間近で見せてくれているのだと気づきました。当初は『実践看護』の本を作りたいと望んでいたので『看護についてまだ聞いていませんが』と言うと、自宅のベッドの中からふふっと笑って、『何言ってんですか佐々さん、さんざん見せてきたでしょ』って」

「え? と言葉に詰まっていると、好きな人と好きなように過ごし、体の調子と相談しながら『よし、行くぞ』と言って好きなものを食べて好きな場所に出かける。これって病院では絶対にできない生活でしょ、と。実際、彼は抗がん剤をやめ、毎日が夏休みのように妻と遊び、ありふれた普通の生活を普通に続けたんです。私も時々お伴してウナギを食べに行ったり葬儀の相談をしに行くという彼についてお寺へ行って話を聞いたり。記憶の中には楽しく遊んだことが多く残っています」

 

 --意外です

「森山さんはそれを“捨てる看護”と名付けていました。元気な時代、彼が看取った人の中には、酸素吸入をしてあえぎながら家族と一緒に潮干狩りをし、その夜亡くなった人もいます。私が森山さんを通して見た在宅医療は、医者はたとえ患者に負担がかかることが分かっていても本人の希望を最優先し、それを支える家族、医者や看護側の人たちが一致協力するという形でした」

「そこでは命に対して医療ができることは次第に小さくなっていき、人生は家の中でこそ続くものであり、希望も家の中でならかなえやすいと知りました。逝く人は、家族などに生きたいように生きてもらったなという、ある種清々しい達成感を残したように思います」

 

 --文字通り命がけで遊ぶ。これまで見聞きした終末医療とは違います

「人はみな、答えが欲しいんですよね。命を閉じるときはどうすればいいか、とか。でも正解はその人にしか分からない。しかも、その時々でああでもないこうでもないと選択肢が揺れ動く。森山さんもそうだったように、そんな人間としての“弱さ”を周りに見せられるのも、自分の望む支援を受けるために必要な強さだと思いました」

 

 --ご家族のケースも明かされていますね

「父はパーキンソン症候群を病んでいた母を約10年在宅で介護しました。『どんな姿でも生きてほしい』という父のために母は、懸命に生きたと思います。父は母が亡くなったあと世界旅行の船旅に出かけます。南極でペンギンと写真に収まった姿を見たとき、ここには不思議な明るさがある、これがやり切った人の姿かなあと。両親にもまた生き方を見せてもらったと思いますね」

(以下略)

 

▼週刊「読書人ウェブ」(2020年3月20日)の「佐々涼子インタビュー 生きるということ、幸せの拠り所」に次のように応えていた。

 

・この本は闘病記ですが、病気や死について書いているのではない気がします。人が生きることの基本や、幸せになる方法について、教えてもらったことを丸めてしまわずに、なるべくそのまま、その人たちの言葉が伝わるように書こうと思っていました。

 

・「命に覚悟を持つ」とはその場に立ってみなければけして分からないことですよね。マスコミは表層的にまとめて、延命の良し悪しを話題にしがちです。でも一人一人身体の状態も違うし、家族や環境も違う、人生観も違えば、医療との付合い方も違います。延命治療に対する唯一の答えなどあるはずがない。でも一つの型に押し込められ、是非論に押し切られている気がするんです。

 

・森山さんは西洋医学に精通していましたから、最後まで高度先進医療を受けて、できる限り延命するという選択肢もあったはずですが、闘病の末「もっと恰好よく逝きたかった」と悔しがりながらも、セデーション(鎮静)を選択した。

 これから先、私もどんな体で生きていくことになるのか、そのときにどう受け止め何を考えるのか、それは予断を許さない状況です。ただ、森山さんのような専門家にとってさえ、その時にならないと分からないということが分かったし、迷っても、途中で選択を変えてもいいということが分かった。

 でもそのとき、先に逝った人の生き方が力を貸してくれるのではないかと思っています。亡くなる方たちはとても大事な学びの瞬間を与えてくれました。誰かの選択について私がどうこういうことはできないし、それぞれの決断があってそれぞれでいい。誰にとっても一度限りの人生で、後悔しても戻るわけにはいかないですから、そのそれぞれの決断を学ばせてもらう。そういうつもりで書かせてもらいました。

 

・蓮池史画先生と早川美緒先生を取材させてもらいましたが、とてもいい先生方でした。痛みとはパーソナルなもので、同じような症状だとしても人によって感じる痛みが異なってくる。痛みには身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアル・ペイン(魂の痛み)の四種類がある。身体的な痛みを完全に取り除けばいいかといえば、逆に実際の痛みが軽くなった分、スピリチュアル・ペインが表れてくることもあると。モルヒネの処方にしても、刻々と病状が変わっていきますし、規定通りで痛みが取れないときに、追加する責任を医師がどこまで負うのか。知識や経験はもちろん、患者を思いやる気骨や医師の性格にも左右されるでしょう。患者を身体だけでなく心まで看て、痛みをコントロールしてくれる医師の存在は、救いでした。二人に一人ががん患者という現在、私たちにとって救いです。これまで医療とは治すためのもので、緩和ケアは重視されてこなかったようですが、人を救う仕事だと思っています。

 

・残された時間の中で、家族との約束を守りたい、いい思い出を作りたいという願いは、やはり心を打ちますよね。そういう時間を生き切るために支援できるのは、遺される人たちにやり切った達成感や一体感ももたらします。それはある意味では、亡くなっていく人が贈ってくれるものなのかもしれません。