日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎どこまでも可能性を探って(たまゆらの記㉝)

〇4月に入って、神戸市から継続して「要支援2」の判定結果の通知がある。

有効期間は令和5/5/1~令和9/4/30。

 

最初の判定から1年したら2回目があり、その後はある程度期間を置いてと言われていたが、4年とは少し驚いた。適宜見直すらしいが、様々な理由があるのだろう。

 

令和9年には80歳になり、よくなることはあまり期待できないが、それまで介護状態にならず、要支援2を維持して、自分で何とか暮らしの身の回りのことができるようにと思った。

 

先日関係者による担当者会議があった。

ケア・プランの、主治医(脳神経内科)の意見は次のようである。

《少しずつではあるが小脳の萎縮は進行しており、ふらつきも激しくなっている。歩行障害進行しており歩行距離は減っている。今後もリハビリによるADL低下の防止、筋力増強訓練などを行う必要があり、住環境整備も含め、社会支援が必要と考える。》

これは今の私の身体状況を的確に表現していて、改めて読むと少しさみしくなる自分もいる。

どんなに割り切ったつもりでいても、身体の機能があちこち衰えているのを認めることは、心細く、寂しいものである。

 

歩くことにしても、身体の動きそのものに力が入りすぎていて、適度の遊びがないので緊張するし、話しかけられたり何かあったりすると意識がそちらにいき、すぐによろけそうになる。

普通に体を動かすとき、元気な頃は殆ど無意識に近い状態でやっていたが、最近は動くときには、慎重に注意深くするようにしている。

 

だが、それにも限度があり、何気ない動きにほとんど意識が向かないときもあり、その時に倒れやすいのだろう。

ある程度無意識的なレベルでも転倒せずにスムーズに動けるようにと思うし、目標でもある。 

   

今は、草花や雲の動きなどや周りの状況を楽しみながらとは程遠い現状である。

むろん、車椅子生活になれば違った様相になると思うが、その時に考えればいいことだ。

 

今心に置いていることは、自分の心身状態を冷静に見つめ状況に対応する客観力が必要ではあるが、どこまでも可能性を探っていく。

 

出来なくなることに捉われず、どのような状況になろうと、今やれることに心をおいていく。 

その場合にあまり無理をしないで、面白く楽しみながらすることが大事な気がする。