日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎たまゆらの記⑰

〇車の処分

 車は8月いっぱいで処分することにした。

 わたしは5年前からから車の運転はやめていて、2021年7月の免許更新で市の免許更新センターで運転免許自主返納をし、運転経歴証明書の交付を受けた。

 

 車に関しては事故など他を巻き添えにする可能性はあり、高齢者の事故などニュースになる事もあり、わたしから見てまだまだ運転のしっかりしている74歳になる妻も運転を止める時期を考えていて、駐車場やお金のことなどを機会に今回決めた。

 

 7年前暮していた交通の便が悪いところでは考えにくいが、いま住んでいる神戸市は電車・バスなどしっかり利用できることや買い物する店も近くにあるので、妻にとっては適当な運動にもなるし、この方がすっきりしているという。

 

 また、車検、自働車保険関連、毎月のガソリン代、駐車場料金など結構な金額が流失していく。

 

 今は妻が元気なのである意味スッキリしている。これがいつまで続くかは分からないが、取り越し苦労をしてもつまらないので、その時に応じて対応していくしかないと思っている。

 

〇高齢者と運転免許自主返納

 66歳すぎてからモノがかすんで見えたり、二重に見えたりしていた。定期的に眼科で検査していて、そろそろ白内障の手術を考えてもいいいと言われていた。あるとき長時間の会議後、運転して帰るときに、中央の白線がダブって見えてかなり難儀し怖かったことがある。それ後しばらく慎重に運転はしていたが、やがてやめることにして、手術することにした。

 

 2017年5月、白内障手術をしてからは裸眼0.8で、こんなにハッキリ見えるのだなと少し驚く。1か月近く経過した後は裸眼0.4ぐらいで、日常生活やある程度本を読むには差し支えなくなり、それ以来日常生活は眼鏡なしでほぼいけている。

 

 運転も再開した。しばらくして、妻から足の反射神経が鈍っているのでやめた方がいいといわれ、不本意ながら運転は妻に任せることにした。

 

 しかしながら妻が出来ないとき、近場ではいけると思い何度か運転した。

 その後、高齢者運転で死傷者が出る事故が続き、自分では出来ると思っていても事故を起こす可能性があり、やはり運転を控えることにした。

 

 それでもいざとなったらできるという根拠のない過信はあったが、2年前ぐらいから衰えが進み、ようやく諦めがつき運転免許自主返納をした。

 

〈老い〉は意思、思い入れと身体の運動性との乖離が大きくなる特徴がある。感受性、思考力、想像力、欲望など衰えるわけではないので、身体運動性と「思い入れ」のバランスが肝要になる。

 

 ところがどうしても、やれる時の自分の思いを引きずるので、現状の自己の身体状態に甘くなるおそれがある。

 

 自動車の運転などは、ある意味手軽にできるので、その便利さに引きずられ、やめるのはかなり決心がいるのではないか。

 

 しかし、高齢者に限らず自動車は凶器でもあり、まったくやめるのは、本人の自覚や周りのアドバイスが必要だと思う。

 

 適性検査など仕組みももっと考える必要はあるかもしれないが、本人の自覚が基本となると考える。