日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎原爆の日に思うこと。(さだ・まさしと鶴見俊輔)

〇原爆体験の風化について。

 よく戦争体験や原爆体験の風化ということが問題になる。

「風化させてはならない」とどんなに努力しても、風化は避けられない。

 

 戦争の体験や原爆に冒された体験は、あくまでそれに出会った人個人の中に沈潜し、その人自身の心の宇宙に深く刻みつけられたものだからである。

 語られる言葉は理解できるとしても、体験しないものに体験したものと同じだけの深い心の傷跡を残すことはできない。

 

 だが、それは想像力の力によって自らの心のうちにそれを再創造することは可能であり、さまざまな角度から語り継ぐ意義はあると思う。

 

 

▼これについて、さだまさし作詞・作曲の「広島の空」を思う。さだは、様々な見過ごすことのできない社会事象を、一つの唄に託し、謳い続けてきた。

 

・「広島の空」さだまさし

その日の朝が来ると 僕はまずカーテンを開き

既に焼けつくような日射しを 部屋に迎える

港を行き交う船と 手前を横切る路面電車

稲佐山の向こうの入道雲と 抜けるような青空

 

In August nine 1945 この町が燃え尽きたあの日

叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた

気づいたとき炎の海に 独りさまよい乍ら

やはり振り返ったら 稲佐の山が見えた

 

もううらんでいないと彼女は言った

武器だけを憎んでも仕方がないと

むしろ悪魔を産み出す自分の

心をうらむべきだから どうか 

くり返さないで くり返さないで

広島の空に向かって 唄おうと

決めたのは その時だった

 

今年のその日の朝も 僕はまずカーテンを開き

コーヒーカップ片手に 晴れた空を見上げ乍ら

観光客に混じって 同じ傷口を見つめて

あの日のヒロシマの蒼い蒼い空を思い出していた

 

In August six 1945 あの町が燃え尽きたその日

彼は仲間たちと蝉を追いかけていた

ふいに裏山の向こうが 光ったかと思うと

すぐに生温かい風が 彼を追いかけてきた 

 

蝉は鳴き続けていたと彼は言った

あんな日に蝉はまだ鳴き続けていたと

短い命 惜しむように

惜しむように鳴き続けていたと どうか

くり返さないで くり返さないで

広島の空に向かって 唄ってる

広島の空も 晴れているだろうか

くり返さないで くり返さないで

広島の空に向かって 唄ってる

広島の空も 晴れているだろうか

 

 この曲は、さださんのお知り合いの方々の体験談を元に詩が書かれているそうだ。

 ワンコーラス目は、1945年8月9日の長崎。

 ツーコーラス目は、1945年8月6日の広島の少年。

 そして、「くり返さないで」という言葉が何回も現れる。

 YouTubeで聴くことが出来る。

 https://www.bing.com/videos/search?q=%E3%80%8C%E5%BA%83%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%A9%BA

 

 

▼生涯をかけて、太平洋戦争や原爆などに向き合った哲学者に鶴見俊輔さんがいる。

 その著書『敗北力−−Later Works』は、2015年7月、93歳で死去した鶴見さんの遺著ともいうべき本だ。

 

 題名の「敗北力」というエッセイは、2011年10月脳梗塞で倒れ、発信することに困難を伴うようになる直前に書かれた短文(『世界』2011年5月号)からのもの。

 

〈自分の力が衰えたのに気がついて、「もうろく帖」を書きはじめたのは七十歳のとき。その第十七巻に入り、八十八歳を越えた。自分のつくったその本を読んで、今年一月八日の分で出会ったのは、敗北力という考えである。敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受け止めるかの気構えから成る。〉

 

〈今回の原子炉事故に対して、日本人はどれほどの敗北力をもって対することができるか。これは日本文明の蹉跌だけではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつことができるか。原子炉をつくりはじめた初期のころ、武谷三男が、こんなに狭い、地震の多い島国に、いくつも原子炉をつくってどうなるのか、と言ったことを思い起こす。この人は、もういない。〉

 

 はじめに軍国主義に押し切られ自らまねいた大東亜戦争があった。その終わりに米国は、軍事上の必要もなく、すでに戦力を失った日本に原爆を二つ落とした。

 

 そして次のように述べる。

〈このことから出発しようと考える日本人はいたか。そのことに気がつく米国人はいたか。その二つの記憶が今回の惨害のすぐ前に置かれる。

 

 軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の「敗北力」が、六十五年の空白をおいて問われている。〉(「身ぶり手ぶりから始めよう」〔朝日新聞、2011.3.31〕から)

 

  この国の近代化について、自らが起こした戦争と敗戦について、広島と長崎に落とされた原爆について、東日本大震災と原発事故について、さまざまな主題を論じながら鶴見さんが繰り返し語っているのは「敗北」をどのように受けとめるかということだ。

 

 なぜ、どのように敗北したのかの認識と、敗北にどう対処するかの気構えがないとき、同じ失敗を人はくりかえす。 また、そうならないための「認識と気構え」について、その態度をさまざまな先人を取り上げながら語っている。

 

※この著の詳細は、ブログ〔◎もうろくの冬から(鶴見俊輔『敗北力』を読む)〕に掲載。

https://masahiko.hatenablog.com/entry/2021/01/14/230000