日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎前未来形で自分の過去を回想する(改訂再録)

〇みなで支え合いながら、よりよく生きていこうよ
​ 多くの人にとって、過去のつらい出来事や思い出話を語るとき、「過去におきた事実」をありのままに語ることはできないだろうと思っている。意識的か無意識的であるかは、人によって違いはあると思うが、現在の自分に納得できるように、あるいは、そのように思いたいように語っていることもあるだろう。

 相談など自発的に人に聴いてもらうとき、関係のあり方により多少の違いがあるにしても、その話の聴き手に「自分はどういう人間だと思ってほしいか」を願っている。話を聴き終わった時点で、聴き手からの人間的な理解や信頼や愛をめざして、人は自分の過去を語り出すことも多いのではないだろうか。私自身を振り返っても同じようなものだと思っている。

 

 精神分析家のJ・ラカンはこのような人間のあり方を「人間は前未来形で自分の過去を回想する」と説明している。

「前未来形」というのは、「明日の午前中に私はこの仕事を終えているだろう」「四月に私は介護職についているだろう」という文型に見られるような、未来のある時点において完了した動作や状態を指示する時制のことである。

「わたしを他者に認知してもらうためには、わたしは「かってあったこと」を「これから生起すること」をめざして語るほかないのである。

 わたしは言語活動を通じて自己同定を果たす。それと同時に、対象としては姿を消す。わたしの語る歴史=物語のなかでかたちをとっているのは、実際にあったことを語る単純過去ではない。そんなものはもうありはしない。

 いま現在のわたしのうちで起きたことを語る複合過去でさえない。歴史=物語のなかで実現されるのは、わたしがそれになりつつあるものを、未来のある時点においてすでになされたこととして語る前未来なのである。」
(J・ラカン「精神分析における言葉と言語活動の機能と領域」、『エクリ(Écrits)』。『コミュニケーションの磁場』内田樹訳より)

 

 だがこれについては、多かれ少なかれ誰にとっても抱えている限界でもあり、これを自覚していることが大切だと思う。
 語りに限らず自分のことを表現するのは、過去の体験や最近の出来事を振り返り、今の自分に引き付け他の助けを得ながら、結局は、何とか人に理解してほしいと願い、これからもっとより良く生きようとする希望があるからだろう。

・甚だしい瓦礫の中で、母と生き別れた遺族代表の方の話に次のような言葉がありました。
「あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。すべてが今もまだ夢のようです。

----震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることもないと思います。しかしながらこれから得ていくものは自分の行動や気持ち次第で、いくらにでも増やしていけるものだと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかりと前を向いて生きていきたいと思います。」

 

 過去に体験した決して消えることのない苦しみを抱えながらも、何とか今を生きようとする、また、自分たちと同じような苦しみを決してさせまいと人々に語りかける、その話は私に鮮明な印象を残した。

 その語り口の真摯な姿に、「並々ならぬ悲嘆」と「皆で支えながら、よりよく生きていこうよ」という強い意志の力を感じました。

 

【折々のことば】
 鶴見俊輔悼詞』編集グループSURE、2008。より(※鶴見さんが、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴ったもの)

 「あとがき」

 私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。
 しかし、この本を読みなおしてみると、私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない。こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。
(二〇〇八年八月一九日  鶴見俊輔)