日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎たまゆらの記⑭

〇身体の状態だけでなく、新型コロナの状況、この夏の暑さも相俟って行動範囲がとても狭くなっている。

 

 一方、身近なものにより感心が向くようになった。

 脊髄小脳変性症にかかって、それまでそれほど意識していなかった身体の動きに気を遣うようになったように。

 逆境をやり過ごそうとする気持ちが高まることもあるだろう。

 

 そして、身近なことにも、面白く生きてうえで大切なことが詰まっているのではと思っている。

 

 そのような折り、稲垣栄洋 著『身近な雑草の愉快な生きかた』を再度読んだ。

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〇稲垣栄洋 (著), 三上修 (絵)『身近な雑草の愉快な生きかた』(草思社)を読む。

 十把一からげに「雑草」とのみ理解していたその世界の扉を本書は一つ一つ開けてくれる。

 私たちが身近にみることができる雑草の中から個性豊かな50種を取り上げ、普段見過ごしているわたしたちの足元にこれだけ豊かな世界があることを伝えたいと、雑草たちの生き方と暮らしぶりを語る。

 

 雑草は比喩的にしたたかさの象徴として語られるときもあるが、本来弱い植物である。しかし弱いからこそ、さまざまな戦略と工夫で逆境を乗り越え、逆境をプラスに転換してきた。そして、どんな環境であっても、必ず花を咲かせて実を結び、種を残す。

 

「名もなき草」とひとくくりにされることの多い雑草だが、一つ一つの生き方は、実に個性的でユニークである。生命の躍動にあふれた雑草の生き方はどれもが輝きに満ちている。

 

 雑草を観察すればするほど、雑草のことを知れば知るほど、彼らの生活ぶりが人間くさく感じられると著者はいう。

 

 種類や環境が異なればその生活ぶりは全く違う雑草一つ一つの個性的でユニークな生き方を擬人化し軽妙な筆致で、精密で生き生きと描かれた絵を添えて、綴っている。

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〇本書から各雑草の特徴が現れているものを5つ簡潔に見ていく。

・【スミレ(菫)】:種子のまわりにエライオソームというアリの好きなゼリーが付いている。アリは種子を巣に持ち帰りゼリーを食べたあと巣の外に捨てる。これで種子は遠くまで運ばれる。蜜を吸いにやって来た昆虫にかならず花粉が付くように花の形を工夫しているうえ、昆虫が来なくなったら自家受粉する。

 

・【スズメノテッポウ(雀の鉄砲)】:スズメノテッポウには水田型と畑地型がある。環境の一定している水田型は大きな種子を自家受粉で少量残し、いつ耕されるかわからない畑地型は小さな種子を他家受粉でたくさん残す。大きな種子のほうが生存に有利。水田型は《その複雑な農事暦に適応し発達した。

 

・【スギナ(杉菜)】:はじめは、ふつうの植物の花に相当する胞子茎の「ツクシ」で親しまれている。成長してスギナとなる。スギナの仲間はおよそ三億年前の石炭紀に大繁栄した。当時はスギナに似た高さ数十メートルにもなる巨大な植物が、地上に密生して深い森を作っていた。この大森林を築いたスギナの祖先たちが長い年月を経て石炭となり、近代になって人間社会にエネルギー革命をもたらした。その後、僅かに生き残ったスギナは、身の丈は低く地下のシェルターに根茎をめぐらせ、いくら取られても芽を出してくる。広島の原爆の跡地でも真っ先に緑の芽を出した。

 

・【メヒシバ(女日芝):雑草の女王とも呼ばれる。人間の管理する畑は栄養も水もあるが、頻繁に刈られたり耕されたりする苛酷な環境である。しかしメヒシバはどのように傷みつけられてもひるまない。茎に節を持ったことで、横に伸びて節から根を張って陣地を拡大し、立上がって陣地を強化する。刈られても折られても節からまた生長してゆく。

 

・【ヨモギ(蓬)】:一般に植物は風で花粉を運ぶ風媒花から、虫に花粉を運ばせる虫媒花へ進化したといわれている。》ところがかつてヨモギの住んでいた場所は乾燥地帯で、風は吹いていても虫はいなかったので、また風媒花に進化しなおしたという。ヨモギの葉裏は白く見えるほど毛が密生している。それは気孔から水分が逃げていくのを防ぐためだ。草餅にヨモギを入れるのは、本来は香りや色づけをするためではなく、この毛が絡み合って餅に粘り気を出すからである。

 

 このように50種の雑草の特徴が紹介されていて、エピローグで著者の思いが語られる。

「エピローグ」:〈雑草の姿をよく見てみると、どれもがみんな太陽に向かって葉を広げ、天を仰いでいることに気がつくだろう。人間は横を向いて生きているが、雑草はつねに上を向いて生きている。うつむいている雑草などないのだ。雑草と同じように私も顔を上げ、空を見上げてみる。果てしなく広がる空と降り注ぐ太陽の光。これこそが、雑草がいつも見ている風景である。そして、力みなぎるこの感覚こそがおそらくは雑草の気持ちなのだ。

 雑草ばかりではない。動物も、鳥も、昆虫も、肉眼では見えない微生物も、すべての生命あるものは、より強く生きたいというエネルギーをもっている。そしてすべての生命が強く生き抜こうと力の限りのエネルギーを振り絞っている。向上心のない生命はないのだ。〉と著者は述べる。

 

※なお、次のサイト「身近な雑草の愉快な生き方」で詳細な写真を閲覧できる。

https://evolvingbook.com/wp-content/uploads/2018/03/weed.pdf

参照:稲垣栄洋 (著), 三上修 (絵)『身近な雑草の愉快な生きかた』(草思社、 2003)

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 アメリカの思想家のラルフ・ウォルドー・エマーソン(1803-82) は雑草について次のように語っている。

 

・雑草とは、その価値を見出されていない(美点がまだ発見されていない)植物のことである。

[英文]What is a weed? A plant whose virtues have no been discovered.

 

 著者の稲垣氏も「すべてのものに価値が有るはずなのに私たちはそれを見つけられずにいる」と述べている。

 

 わたしは雑草に限らず、生きとし生けるものすべてにその存在の価値があるのではと考えている。