日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。

〇緊急事態宣言が出て日々散歩している。私たちの散歩コースは海沿いや芦屋市の大きな公園、美術館沿いの幅広い遊歩道が広がっている。
 そこで子ども連れの家族、乳幼児を連れたお父さんお母さんとよく出会う。総じて和やかな雰囲気があり、子どもたちも楽しそうである。

 

 孫夫婦を見ていて、ある意味大変だろうが、子育てが楽しいのが伝わってくる。また、子どもの成長に伴って、人として何かしら成熟していくのを感じている。
 むろん、私たちも孫が出来て、気楽な立場もあると思うが、時折見ていくのは面白いし楽しみにしている、少々疲れるが。

 

 現社会を見渡せば家族にもさまざまな状況があるだろうが、ここで出会う限りでは、全体的にゆったりした落ち着きを感じる。

 そしてこのような気風が、家族単位を越えて社会に拡がれば、良質の人間関係をもたらすのではないかとも思う。

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〇家族形成が人類進化の大きな源流と言われている。一見そのように見える「種」はあるが、ある一定の期間だけで、生まれてから死ぬまで生涯にわたって家族であり続けるという形態は、人間の家族だけらしい。

 

 さらに人間の特徴は、単体ではなく複数の家族が集まって共同体を作る二重構造を持っていること。複数の家族を内包した共同体は人類だけの不思議な社会システムらしい。集団が巨大化し複雑化しても、家族という基本的な社会単位が崩れることなく存続し続けた事実があり、共同体を中心に、食物を共同で生産し、分け合って食べる。子育ても共同。家族単体ではできないから、共同で行なう。

 

 山極寿一は、人間の持っている普遍的な社会性について、「一方的な奉仕、互酬性、帰属意識」の三点をあげている。

 

(1)見返りのない奉仕をすること:人は自分を愛してくれる家族のもとで「見返りのない奉仕(献身的にしてあげる)」の精神を培い、その環境の中で「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが育っていく。その思いは家族の枠を超えて共同体にたいして、もっと広い社会に対しても広がっていく。

(2)互酬性(何かをしてもらったらお返ししたくなる):互酬性とは個人あるいは集団間で、贈与を受けた側が与えた側に何らかの返礼をすることによって、相互関係が更新・持続されること。人類学において,贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念。

(3)帰属意識:自分がどこに所属しているかという意識を、一生持ち続ける。その帰属意識がアイデンティティの基盤になり、そこにたって、自分自身の行動範囲や考え方を広げていけることになる。人は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合えるのはその基本に帰属意識があるという。

※参照:山極寿一『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル、2014)

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※鷲田清一・山極寿一 著、『都市と野生の思考』インターナショナル新書(集英社インターナショナル)より抜粋

〇人間がつくった最古のフィクション「家族」

山極 僕は、家族もフィクションだと思います。それこそ人間がつくった最古のフィクションではないでしょうか。雌雄関係は互いの欲求にもとづいたもので、そこにフィクションは入り込まない。けれども父親はフィクショナルな存在です。

鷲田 父子関係自体がフィクションとは。それは大胆な意見だな。

山極 母子は、出産という直接体験を通じてつながっています。ところが、父親は母親から「これはあなたの子どもです」と手渡されてはじめて、父親になる。一生を通じての保護者の役割を与えられる。

鷲田 父という役割が集団の中で誕生し、そのフィクション性が共同体を結ぶ力になったということですか。

山極 動物は授乳が終われば、母親と子どもの関係も切れる。けれども人では持続します。親と子どもという役割は一生続くでしょう。介護するのも人間だけだし。これはフィクションだからこそですよ。

鷲田 文化人類学にはルートメタファーと呼ぶ概念があります。根本的なメタファー(隠喩)として、いちばん象徴的なのが家族ですね。だから人が集団で行動するときには、必ずお父さん役とかお母さん役を設定する。これは男子校、女子校に限らず、任侠道の世界でも同じです。

山極 人間の子どもは幼いころからおままごと遊びをしますね。これは人間にしかできない遊びです。(中略)

鷲田 自分は両親の子どもだと思っているけれど、それには何の保証もない。たまたま辻褄が合っているから、そう思い込んでいるだけで、結局はどういう物語をつくるかに行き着く。「出自」の語りは個人のアイデンティティを形づくる不可欠の要素で、ここでひどいダメージを受ければ人格すら崩れかねない。