日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎コロナ禍を生きる“共感力”(山極壽一の発言から)

〇現在のコロナの状況から、さまざまな角度から提言を展開している人類学者の山極壽一氏の発言は共鳴することがあり、それを見ていく。

 

 氏の見解は、今回のコロナ禍の大きな問題は“人間らしさの危機”で、そのキーワードは“共感力”と述べる。

 

 人間に近いゴリラは家族的な小集団、チンパンジーは共同体のような集団しか作れないそれは、見返りを求めない家族と、見返りを求めあう共同体が、うまくかみ合わないことがあるからだ。人間がその二つを両立することができるのは、高い共感力で仲間の事情や気持ちを理解して問題を解決することができるから。

 

 その共感力こそ、人間の脳を大きくした源泉だと言われている。また、ここまで人類が発展してきた原動力でもある。

 

 生き物としての人間の特質は、さまざまな違いを前提にしながら、集まり、接触して、協働し、そのことによって生きる喜びや生きる意味を見つけ出していき、人間特有の社会を形成してきた。

 

 言葉以前に人間は、そういう共鳴社会をつくり上げてきた。

 だからこそ、人間は一つの集団を出て、他の集団にやすやすと入っていき、見知らぬ人たちとも、すぐに手を組める、共感することができる。そういう仕掛けを、人間は言葉以前からいろいろつくってきた。

 

 そして、朝日新聞「科学季評」で次のことを述べる。

《「人類は長い進化の過程で脳の大きさをゴリラの3倍にした」とした上で、「ゴリラなどの類人猿に比べ人間は圧倒的に自己を抑制して場の雰囲気に合わせる能力が高い。 類人猿はいったん自分の集団を離れるとなかなか戻れないし、1日のうちに複数の集団を渡り歩くことなどとてもできない」と言う。

 

 しかるに「私たちが日々様々な集団を遍歴し、コンサートやスポーツなどを見て見知らぬ人と一緒に心身をふるわせることが出るのは、人間だけが持つ不思議な同調能力のおかげだ」と指摘する。

 

 さらに、「昨年亡くなった劇作家で文明批評家の山崎正和さんが、私たちが文化的な生活を送る上で社交が欠かせないと強調した」と紹介する。

 そして「社交の場とは、くつろぎと儀式的な雰囲気を兼ね備えた音楽ホール、舞踏場、レストラン、酒場などが該当する」と言う。

 

「社交にはその場に応じた礼儀作法があり、参加者は自らの表情も発言も内面の感情も、その起伏に会わせ協力してリズムを盛り上げなければならない。典型的な例が祭りだ、スポーツもコンサートも現代の祭りと言っていい」。

 

「社交とは文化そのものだと山崎さんは言った。リズムが社交を作り、社交の積み重ねが文化として人が共感する社会の通低音になる。であれば、やはり人々は集まりリズムを共有する試みを怠ってはいけない」。

 

 そして次のことを述べる。

「オンラインは情報を共有するためには効率的で大変便利な手段だが、頼りすぎると、私たちが生きる力を得てきた文化の力が損なわれる。とりわけ、まだ文化的な付き合いに慣れていない若い世代から社交の機会が失われるのは大きな問題だ。社会的距離を適切に取りながらも、私たちは『集まる自由』を駆使して社交という行為を続けるべきだと思う」》(朝日新聞の「科学季評」2021年2月11日)

 

 

 そういうものが、今禁止され、奪われてしまう事態になりつつあります。だからそれをどうやったら、復活できるかということを考えなければいけないですね。そのためのアイデアが今必要な時代だと思います。

 

 “仮想空間やインターネットやロボットの力は人間の共感力を阻害するものである”と述べる山極は、フェイスブックに自分の画像を撮った画像をあげて、“俺こんなことをやったよ”と言い合うのは、要するにあいさつですよね。それは人間がもともと持っている社会的欲求として、いろいろな人たちとつながりたい欲求を満たすことができる。

 

 でもそれは信頼関係をつくることにはならない。信頼関係をつくるには、効率性を重んじない、ゆっくりとした時間の流れに身を任せながら、他者とじっくりと付き合うことが必要で、そういうことを経験しなければ、信頼関係は醸成されません。それが絶たれてしまったときに、少なくともSNSを利用して、そういう関係を維持するために利用するべきだと、私は考えている。

 

 

 現在の社会の状況を、『サル化する人間』という著書で危惧している一方で、ささやかながら希望も述べる。

(※『「サル化」する人間』:「上下関係」も「勝ち負け」もないゴリラ社会。厳格な序列社会を形成し、個人の利益と効率を優先するサル社会。個食や通信革命がもたらした極端な個人主義。そして、家族の崩壊。いま、人間社会は限りなくサル社会に近づいているのではないか。霊長類研究の世界的権威は、そう警鐘をならす。なぜ、家族は必要なのかを説く。)

  

 人との接触や会食を極度に制限する風潮や狭い範囲での自粛生活が続く中で、山極氏は、緊急事態宣言の間、家族と過ごしたステイホームの経験が、“コロナ後の世界を変える大きな力に”なると考えている。

 

《家族というのは、実は普段付き合っている仲間と違って、性も年齢も違います。身体的なつくりも違います。だからもともと違う性質を持った人間同士がいかに協力して、共感して生きるかってことを、一日中させられている。でもそれを、私が長いこと研究しているゴリラは、当り前のようにやっている。彼らに見習えばいいのですよ。

  そして次のことも述べる。

《私が人類進化をずっと研究対象にしてきて、人類というのはこれまでずっと弱みを強みに変える戦略で生き延びてきたと理解している。だから私は“弱みこそチャンス”と思う。これまで人間が弱みを見せた時に必ず乗り越える強みを発見してきたから、今回もそれが起こると信じている。それを期待するというのが、私の希望めいた言い方につながっている。》(NHKニュースウォッチ、2020年5月25日放送分)

          ☆

         

 私はこの度のコロナ現象に、渡辺京二『東日本大震災で考えたこと』「かよわき葦」の言葉を心に置いている。

 

《人間がこの地球上で生存するのは災害や疾病とつねに共存することを意味する。(中略)

 人間が安全・便利・快適な生活を求めるのは当然である。物質的幸福を求めずに精神的幸福を求めよなどとは、生活の何たるかを知らぬ者の言うことである。

----私たちに必要なのは、安全で心地よい生活など、自然の災害や人間自身が作り出す災禍によって、いつ失われてもこれもまた当然という常識なのだ。

----人工の災禍という点でも、人間の知恵でそれから完全に免れるという訳にはいかぬと私は思っている。人間はそれほどかしこい生きものではない。

 それでもつねに希望はあるのだと思っている。》

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「参照」

・山極壽一『「サル化」する人間社会』 (知のトレッキング叢書、2014)

・山極壽一「共感力を必要とする社会」(視点・論点)2019年11月05日

・【コロナ禍を生きる 京都大学学長・山極壽一に聞く】(ニュースウォッチ、2020年5月25日放送分)

・【「社交」は文化そのもの。だが、コロナで存亡の危機 ~山極寿一学術会議前会長の見事な解説~】(note:中庸時評2021/02/19)

・当ブログ「◎家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。」

 https://masahiko.hatenablog.com/entry/2020/05/14/000000