日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「関係のあり方・質」を問う(是枝裕和監督映画『万引き家族』より)

〇『万引き家族』は、樹木希林演じる初枝の年金をあてに集まり、万引きで足りない生活費を補いながら暮らす“家族”の絆を描く。

 

「血縁でつながっていない『共同体』というモチーフを、ここ10年追いかけてきた」という是枝氏の、「犯罪といわれるものでつながった、この家族が何でつながっているか?」を問いかける作品となっている。

 

 あるインタビューで次のように語っている。

〈「血縁が無い中で人って家族が作れるのだろうか?」という問いについて考えてみたいということでしょうか。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。〉

 

「家族を家族たらしめるもの」は、「血のつながりか、一緒に過ごした時間か、共に体験した喜怒哀楽か」という根源的な問いである。

 

「家族とは何だろうか」「血縁とは何だろうか」「絆とは何だろうか」、という問題提起をしながら、家族のみならず共同体、社会における人と人の「関係のあり方」「関係の質」を問いかけているように思った。

 

 その厳しい問題提起を、寒色で表現したじっくりした映像と各役者の息遣いが伝わってくる好演と編集の巧みさが溶け合って、素晴らしい作品となっている。

 

※物語は〈高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦らしき二人と、息子らしき祥太、祖母の血縁らしき若い亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの暮らしは、この家の持ち主である初枝の年金を軸に、足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。〉

 

〇「FASHION PRESS」に是枝裕和監督へのインタビュー記事が掲載されている。

「是枝裕和監督にインタビュー」記録から抜粋。

・新作『万引き家族』はどのようなきっかけで作られましたか。

直接的なきっかけは、既に死亡している親の年金を、家族が不正受給していた事件を知ったことです。「犯罪でしかつながれなかった」というキャッチコピーが最初に思い浮かびました。

 

・どのようなテーマで作ったのでしょうか?

「血縁が無い中で人って家族が作れるのだろうか?」という問いについて考えてみたいということでしょうか。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、“絆って何だろうな”、と改めて考えてみたいと思いました。

 家族とは何かと考える話でもあり、父親になろうとする男の話でもあり、少年の成長物語でもあります。

 

・今回の『万引き家族』は、社会に対する違和感や憤りのようなものが強く表れていたと思います。

 作っている時の感情の核にあるものが、今回は「喜怒哀楽」の内の「怒」だったんだと思います。怒りの感情で作られた作品は、やはり強い作品になりますよね。

 

 あとは、 安藤サクラさんの芝居が僕の考える以上に、良い方向でエモーショナルだったから切実に見えたのかもしれません。サクラさんに対して意識的に、感情が表れるようなシーンをいくつか作ったところはあります。

 

・具体的にはどのようなことでしょうか?

 普段はアドリブを要求するようなことはあまりないのですが、台本に何も指示を書かないまま撮影したシーンがあって、キャストには役としてその場で考えて答えてもらうようにしました。

 例えば、取り調べのシーン。刑事役の池脇千鶴さんや高良健吾君には、ホワイトボードを使って「こういうことを聞いてみて」とその場で伝え、それに対して受け答えるリリー・フランキーさんや安藤サクラさんは、次に何を聞かれるかわからない状態。刑事の質問に対して、役として考えて答えてもらいました。

 

・子役2人の自然でリアルな表情も印象的でした。どのように演出をされたのでしょうか。

 子供には台本を渡さずに、言葉のやり取りのみで演技をしてもらっています。子供に関しては、オーディションの時から台本を渡さない前提で選考を行っていて、台本が無い方が上手に演技できる子をキャスティングしました。ここ15年ほどはずっとそうしてきていますね。もちろん台本そのものは書いているのですが。 

https://www.fashion-press.net/news/36215

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参照:付随して山極寿一『「サル化」する人間社会』のことを思った。

 山極寿一は本書で次のように述べている。

〈(人間は〉どうしてそんなにお節介になるかというと、共感力を高めて作り出したシンパシー(同情)という心理状態がもとになっている。

 同情心とは、相手の気持ちになり痛みを分かち合う心です。この心がなければ、人間社会は作れません。共感以上の同情という感情を手に入れた人間は、次第に「向社会的行動」を起こすようになります。

 向社会的行動とは、「相手のために何かをしてあげたい」「他人のために役立つことをしたい」という思いに基づく行動です。人類が食べ物を運び、道具の作り方を仲間に伝えたのも、火をおこして調理を工夫したのも、子どもたちに教育を施し始めたのも、すべて向社会的行動だろうと私は思います。

 大昔から人類は家族のために無償で世話を焼き、共同体の中では互いに力を出し合い、助け合っていたのでしょう。認知能力が高まったから、このような思いやりのある社会が作られたというよりは、その逆で、向社会的行動が人類の認知能力を高めたのだと思います。(山極寿一『「サル化」する人間社会』p161~162)〉

 

 原初の人類の在りようから直ちに現社会や家族のあり方に結び付けることは留意する必要があるが、現在の家族を考えるうえで、その知見に学ぶことの多い山極寿一の見解だと思う。

 そして、人間の持っている普遍的な社会性について、次の三点をあげている。

(1)見返りのない奉仕をすること:人は自分を愛してくれる家族のもとで「見返りのない奉仕(献身的にしてあげる)」の精神を培い、その環境の中で「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが育っていく。その思いは家族の枠を超えて共同体にたいして、もっと広い社会に対しても広がっていく。

(2)互酬性(何かをしてもらったらお返ししたくなる):互酬性とは個人あるいは集団間で、贈与を受けた側が与えた側に何らかの返礼をすることによって、相互関係が更新・持続されること。人類学において,贈答・交換が成立する原則の一つとみなされる概念。

(3)帰属意識:自分がどこに所属しているかという意識を、一生持ち続ける。その帰属意識がアイデンティティの基盤になり、そこにたって、自分自身の行動範囲や考え方を広げていけることになる。人は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合えるのはその基本に帰属意識があるという。