日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「虚構」を軸に(ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』を読んで)

 国家、家族制度、法律、貨幣、宗教、〇〇主義など、すべて人間が作り出した虚構(フィクション・物語)、つまり存在しないものを信じる能力・想像力によって、他の生物種には見られないほど大規模な社会的協力が可能になり、一方、大がかりな紛争や戦争に発展する要因にもなった。これは、現代の研究者などの共通の見識になってきた。

 

 最近話題になったユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』はこの「虚構」を軸に、人間の歴史を総括した歴史物語である。

 わたしたち現生人類につながるホモ・サピエンスは、20万年前、東アフリカに出現した。その頃にはすでに他の人類種もいたのだが、なぜか私たちの祖先だけが生き延びて食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いた。

『サピエンス全史』は、歴史の道筋を決めた3つの重要な革命、7万年前の「認知革命」、1万年前の「農業革命」、500年前の「科学革命」を縦軸に語られる。

 

 生物学的知識が浅いなどの批判もあるが、人類史を大きなスパンでみた歴史書といえるのではないか。随所に「どうかな?」などと思いながら、さまざまことをかきたてられる内容に満ちていて、とても面白かった。

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〇この書や要約した記事から印象に残ったところをいくつか挙げてみる。

・「私たちには、天地創造の物語や、近代国家の民主主義のような、共通の神話を紡ぎだす力がある。この能力が、無数の赤の他人と柔軟なかたちで協力することを可能にさせた。

 事実、近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像に根ざしている。虚構を発明したことにより、私たちはたんに個人で物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになったのである。」

・「物語を語ることそれ自体はむずかしいことではない。しかし、あらゆる人に納得してもらうことは簡単ではない。それゆえに歴史の大半は、どうやって厖大な数の人々を納得させる物語をつくれるかを軸に展開してきたといっていい。

 とはいえ、いちど共通の物語さえ獲得してしまえば、ホモ・サピエンスは途方もない力を発揮する。誰もがその存在を信じている物語は、共有信念が崩れないかぎり、社会のなかで力を振るいつづけるからだ。たとえば、呪術師のほとんどは神や魔物の存在を本気で信じているし、人権擁護運動家の大多数も『人権』という存在を心から信じている。どれもこれも、本当は私たちの豊かな想像力の産物にすぎないというのに。」

・「詐欺というのは、真実ではないと知りながら人を騙すことで、『これは真実ですよ』ということです。虚構とはリアリティはありませんが、私たちが同意することができるもののことです。----サッカーのルール=法律は物理学の法則ではなく、私たちが作り出したものです。もし私たちがサッカーのルール=法に同意せず、受け入れなければ、サッカーをすることはできません。同様に経済においても、私たちはお金や会社といった虚構を発明するのです。そして、誰もがそれを受け入れるなら、それは機能して、その結果、洗練を極めた経済を手にすることができるようになるのです。」

 

・「私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか? 人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。」

・「私たちは以前より幸せになっただろうか? 過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか? 無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか? さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか? 無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか? もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?」

 

・「歴史書のほとんどは、偉大な思想家の考えや、戦士たちの勇敢さ、聖人たちの慈愛に満ちた行ない、芸術家の創造性に注目する。彼らには、社会構造の形成と解体、帝国の勃興と滅亡、テクノロジーの発見と伝播についても、語るべきことが多々ある。だが、彼らは、それらが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、何一つ言及していない。」

・「歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない……。歴史が歩を進めるにつれて、人類の境遇が必然的に改善されるという証拠はまったくない」

・「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」

・「私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」と最終章を結んでいる。〉

 

〇スペシャルインタビュー「ユヴァル・ノア・ハラリ ホモ・サピエンスと言葉」

〈大切なのは物語と現実を分けて考えることです。物語そのものが悪いわけではない。それがなければ社会は機能しないのですから。人々が金銭を信じなければ経済は崩壊するでしょう。大事なのは、物語を私たちの役に立たせること。私たちが物語の奴隷にされてはならないのです。信じる物語が違うからといって戦争で殺し合うようなことになってはいけない。私はイスラエルの出身ですが、パレスチナとイスラエルは何十年にもわたって争いを続けています。この紛争は領土をめぐるものでも、食糧をめぐるものでもなく、物語をめぐる争いです。イスラエルにはイスラエルの物語があり、パレスチナにはパレスチナの物語がある。合意できないから戦う。こうなってしまうと、物語は私たちの役に立ちません。

 大事なのは現実と物語を峻別すること。それには、様々な方法がありますが、私にとっていちばん良い試金石は「痛み」があるかどうか。何が「現実」で何が「物語」かを識別するためには、痛みを感じるかどうかを考えてみる。たとえば、金(カネ)は痛むか、国家は痛むか。敗戦によって国家は苦しむと思うかもしれないけれど、痛むのは国民であって国家ではない。日本が第二次世界大戦に負けたとき、苦しんだのは国家ではなくて日本の人々です。つまり、人や動物は痛むから現実だけれど、金や国は発明された物語でしかない。人間にとっての良い物語とは、世界の痛みを減らすものです。〉

(新潮社季刊誌『考える人』2017年冬号の特集「ことばの危機、ことばの未来」より)

 

「世界の痛みを減らす物語」こそが人類にとっての良い物語であるという言葉は、とても印象に残った

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〇私が思ったこといくつか

・どのような歴史書であろうと、著者の生い立ちや文化的背景、属性からは逃れられない。だからこそ、著者の視点を認識したうえで読む繊細さが欠かせないと思う。

 

 次の書籍も併せて読むと立体的に見ることができ面白いのではないかと思った。

・ジャレッド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』は、「歴史科学は、直接的な要因と究極の要因のあいだにある因果関係を研究対象とする学問である。」(エピローグP397)として、なぜ人類は五つの大陸で異なる発展をとげたのか。分子生物学から言語学に至るまでの最新の知見を編み上げて人類史の壮大な謎に臨み、直接の要因と究極の要因に分けている。

・吉本隆明の「共同幻想論」は、「国家とか政治とか法律といった問題(共同幻想)、それから社会生活における家族それ自体の問題(対幻想)、そして家族のなかの個人の問題(自己幻想)、これが全部からまりあっているのが家族問題の大きな特徴だ。」(吉本隆明『家族のゆくえ』p147)とする、日々の暮らしにおけるもののとらえ方に参考になると思う。

 

・この歴史書に限らず、他の資料、研究書などから、人間の歴史がどのように展開してきたのかはある程度推察できるが、「なぜ、そのようになったのか?」「なぜ、その物語が数多の人に共感を及ぼしたのか?」「さまざまな可能性から、なぜ、そのような選択をしたのか?」など、そこから深く問い続けていくことは、私の関心の向くところである。

 

・虚構をつくる認知革命が、たまたま遺伝子の突然変異で可能になったというのは、違和感を覚えた。人類史のそれ以前の長い時間をかけて斬新的に獲得されていったのではないだろうか。「『サピエンス全史』をどう読むか」で福岡伸一が詳しく論じている。

 

 わたしは20万年前に出現したといわれているホモ・サピエンスの歴史において、家族の形成が大きな出来事だと思っている。ヒトになるための大きな三つの条件、直立二足歩行・家族の成立・コミュニケーションとしての言葉がそれぞれそれ絡み合いながら進化していき、現在の人類につながっていったらしい。特に、家族形成が人類進化の源流であり、一見そのように見える「種」はあるが、ある一定の期間だけで、生まれてから死ぬまで生涯にわたって家族であり続けるという形態は、人間の家族だけだといわれている。

 家族とは人間社会だけの普遍的な現象らしい。さらに人間の特徴は、単体ではなく複数の家族が集まって共同体を作る二重構造を持っていること。複数の家族を内包した共同体は人類だけの不思議な社会システムらしい。集団が巨大化し複雑化しても、家族という基本的な社会単位が崩れることなく存続し続けた事実があり、共同体を中心に、食物を共同で生産し、分け合って食べる。子育ても共同。家族単体ではできないから、共同で行なう。

 

 ホモ・サピエンス誕生後の進化の過程があり、それが7万年前の認知革命につながっていったのではないだろうか。

 

 参照:・ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之翻訳『サピエンス全史』―「文明の構造と人類の幸福(上) (下)」(書房新社、2016)

・「『サピエンス全史』をどう読むか」(河出書房新社、2017)

・ジャレッド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳、草思社文庫上下巻、2012年)

・吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』 (角川ソフィア文庫、 1982)

・山極寿一『暴力はどこからきたか』―人間性の起源を探る(NHKブックス、2007)