日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(1歳3~4ヶ月)『適当』という人間のかしこさ」

〇孫は大部前からこちらが言うことはおおよそ分かるようになってきて、「オムツとって」「赤いあれを持って来て」「そこを閉めて」などというと応えるようになってきた。

  すこし前から、言葉らしきものを出すようになる。「ママ」「マンマ」「ババ」などを言っている。しきりに言い、こちらにもはっきり分かるのは「ワンワン」である。

  この辺りは犬を連れて散歩している人が多く、散歩に連れていくと、犬を見かけると指差しして「ワンワン」という。ところが猫を見ても「ワンワン」という。

 図書館に行くと、自分で探すが動物に関心が高く、指差して何か言っている。

 絵本に動物が出てくると、犬だろうが、猫、熊、ライオンだろうが、指差しして「ワンワン」という。

 

 むろん個別のことは認識している。絵本で「子猫ちゃんどこにいるかな」というと、きちんと指差しする。以前妻が絵本で「ライオンだガーオ」と読んだことが気に入って、ライオンのところに来ると「ガーオ」と声をあげる。

 おそらく「カテゴリー」としての動物全般を「ワンワン」と言っている。

 

 朝通路で管理人のおじさんと出会ったとき指差しして「ワンワン」という。おじさんも心得たもので「かのちゃん、ワンワン、おはよう」と笑顔で応じる。おじさんも動物であるけれど。

 今では一つ一つの言葉も少しずつ覚えて、出すようになってきた。だんだん増えていくのだろう。

 

 池谷裕二は、『パパは脳研究者』の「『適当』だからこそ柔軟な脳」の中で、チンパンジーとヒトの脳の使い方の例を挙げている。

  【要約すると、チンパンジーにフォークを見せた後、単語リストからフォークと書かれたカードを選ぶことを教える訓練すると、モノを見せただけで、正しいカードを選ぶことができるようになる。しかし逆(単語カードを見せた後、フォークを選んでもらう)はできない。

 ヒトはフォークという単語カードを見れば、実物のフォークを選ぶことができる。

 これがヒトとチンパンジーの脳の使い方の違いと述べる。

 数学的に言ったら、チンパンジーの方が正しかったりする。というのも、『AならばB』だからと言って『BならばA』とは限らない。『犬は動物』だけど『動物が犬』ではない。

 チンパンジーは「AならばB」と教えると、Aを見てBを選ぶようになるが、逆は学習できない。逆ができるヒトの脳の方が、非論理的で「ずさんな推測」をしている。】

 

 そして次のように言う。

〈言葉を獲得していくためには、曖昧さやいい加減さが重要。でないと「カテゴリー」という概念を理解することが出来ない。〉

 

 さらに脳育ちコラム「『適当』という人間のかしこさ」の中で次のことを述べる。

〈記憶は、正確すぎると実用性が低下します。いい加減で曖昧な記憶の方が役に立つのです。

 例えば、ある人物を覚えたいとき、「写真」のように記憶すると、ほかの角度から眺めたら別人となります。記憶には適度な「ゆるさ」がないと、他人すら認識できません。記憶は、単に正確なだけであっては役に立ちません。ゆっくりと曖昧に覚える必要があります。〉

〈記憶力と想像力反比例:一般に、記憶力のいい人ほど、想像力がない傾向があります。なぜなら、記憶力に優れた人は、隅々までをよく思い出せるため、覚えていない部分を想像で埋める必要がないから、普段から「よくわからない部分を空想で補填する」という訓練をしていないと、想像力が育たないのです。記憶力の曖昧さは想像力の源泉です。〉

〈ヒトの脳はサルとは違い、成長とともに「曖昧な記憶」をする部分が発達していきます。ひらがななどの文字の認識も、ゆるやかな記憶の賜物です。記憶が正確だと、お手本の「あ」と手書きの「あ」を、同じ「あ」として読むことができません。特定の1種類の「あ」しか読めなかったりしたら、困ります。そういう点からも、ヒトの適当な記憶力は私たちの認知の核となっている〉

 

 言葉はコミュニケーションの手段として大きな要素であり、幼児がどのようにして、身につけていくのか見ていくのは面白い。また、記憶力と想像力がどのように育っていくのか興味は尽きない。

 

 池谷裕二『パパは脳研究者』は、第一子である娘さんの誕生から4歳までの成長を脳研究者の立場から観察し、脳の発達と機能の原理から分析したことをまとめたもの。

 記述は1か月単位、近来の脳科学の知見と親バカ的なエピソードを交えながら娘の成長を記録している面白い著書である。本書も参考にしながら、私も孫の成長を記録している。