日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「食」のおいしさと「共感能力」

○NHKスペシャル:〈食の起源第5集「美食」・人類の果てなき欲望!?》をみる。

人間がおいしさを感じる仕組みの不思議を探る内容。この手の番組はある角度から構成しているので、「?」を入れて見ることが必要だが、面白かった。

 

 人類史にとって永い間、食の安定した獲得は最優先の課題であっただろう。私たちが何気なく美味しく食べているものも、数多の叡智の結晶であり、こんなものを食としておいしくいただいていることを不思議に感じることもある。

 

 番組は、人類が生き延びるために獲得した「おいしさを感じる3つの特殊能力」があることに焦点を当てていた。

1:「苦味」を「おいしさ」と結びつけて記憶する能力。それこそが、人類が手にした「美食につながる“第1の特殊能力”」。

2:人類は「味よりも食べているものの香り=“風味”をおいしさと強く結びつけて記憶する」ようになり、人間が感じる食のおいしさにとって、味覚よりも嗅覚の方がはるかに重要。

 シェファード博士によると、「脳は、大部分を嗅覚からの情報に頼って、おいしさを感じています。舌などの感覚も大事ですが、補助的なものと言っていいくらいです。」という。

 

3:3つ目は「仲間への共感」を生み出す脳の中枢(腹内側前頭前野)に焦点を当てる。

集団で協力し合って生き抜く道を選んだ私たち人類の祖先は、他人が感じる喜怒哀楽を、まるで自分の感情のように共感できる能力を高度に発達させてきた。この優れた「共感能力」が、祖先たちの食に劇的な変化をもたらしたと紹介している。

 それについて二人の研究者は次のように語る。

「人類の祖先は他の動物に比べると非常に弱い生き物で、自分と違う味覚を持った仲間と“同じ食べ物を共有していく”ことが重要だったと思われます。私たちにとって“おいしさ”とは、“自分だけが感じるおいしさ”ではなく、みんなで共有するものなのです。おいしさを共有する、あるいはそれを拡散していくということは、非常に重要な人類の特徴であると思われます。」(今井教授)

「私たちのおいしさの感じ方というのは、単に味の記憶や匂いの記憶だけで決まるのではない。その食べ物を誰と一緒に食べたか、どういう気持ちになったかという、“共感の記憶”も重要になってくるんです。人によってそれぞれおいしいと感じるものが違うのは、何を今まで食べてきて、誰と食べてきて、どういう気分を共有してきたかという経験がすべてそこに含まれていて、それが人によって大きく違うからなんです。」(坂井教授)

 

 近来の人類史研究成果では、二足歩行‐道具の発明‐脳の発達と身体の進化とともに、家族の形成‐仲間と協力する連帯感‐共感力‐想像力‐同情心‐好奇心などの心の進化が、過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方が有力となっている。

 

「共感能力」が人々の「食」に大きな比重を占めているのが伝わってくる内容だった。

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 次に、興味ある実験の内容も面白かった。同じメニューを、献立名を変えて二つのグループに分けて食べてもらった内容。

・Aグループに伝えた2品の料理名は、「低脂肪ごぼう健康スープ」「パスタ風ズッキーニと大根の炒め物」

・Bグループの料理名は「鳴門鯛のダシたっぷりポタージュ」、「モチシャキ2色麺の創作ペペロンチーノ」

 

・Aグループの感想。「うーん、味がない、薄い。」「一口、二口、薬的な感じでしかいただけなかったですね。」

・Bグループの感想。「食べたときに、シャキッとしてて、後味がよかった。」「すごくおいしくて、なんか優しい味だなって思って。もっとあったら飲みたい。」

 

〈伝えられた料理の名前が「おいしそう」な印象を与えるものになっただけで、食事に満足する人の割合が60%から87%に上昇するという、驚きの結果に。私たちには、「自分の舌や嗅覚で直接感じるおいしさ」よりも、「人から与えられる情報で感じるおいしさ」の方を強く感じるという、じつに不思議な能力が備わっているのだ〉と、番組では述べていた。

 

 このような実験結果も恣意的に構成するので、さまざまな意見があっただろうが、料理名やそれにまつわる情報によって、そのものの味わいが変ってくるのはよくある。

 

 心というのが、与えられる情報によって影響を受け、ものすごく揺れ動くのはよく見受けられる社会現象である。おいしさに限らず健康概念なども当てはまることだと思っている。 

参照:https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20200219/index.html