○人間の欲求について
何かをしたいと思って行動を起こすのは、そこに欲求があるから。欲求については様々な角度から考えられ、いろいろな研究者の論考があり、中でも「マズローの欲求5段階説」が著名である。
▼マズローの欲求5段階説
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。
心理学辞典(1999)によると、マズローの欲求5段階仮説(自己実理論)は以下のように定義されている。
【人間の動機ないし欲求に力点置いた人格理論であり、生理的欲求 ②安全欲求 ③所属と愛情欲求 ④自尊欲求 ⑤自己実現欲求という五つの欲求を階層的に捉えているが特徴である。自己実現欲求はその最高段階に位置づけられ、これは、より低次の欲求が満たされて初めてその人にもたらされるものと考えられている。】
- 生理的欲求:生命を維持するための本能的な欲求で、食事・睡眠・排泄など。
- 安全の記欲求:危険を回避し、安全・安心な暮らしを求める欲求
- 社会的欲求 / 所属と愛の欲求:グループに属し、仲間を求める、愛情を求める欲求
- 承認(尊重)の欲求:他者から認められたい、尊敬されたい、尊重されたいという欲求
- 自己実現欲求:自らの内にある可能性を実現する、人格内の一致・統合をめざす。
つまり、人間の欲求は5つのステップで構成されており、欲求が満たされると、より次の階層の欲求が表れるとされるという理論になる。自己実現欲求は人間だけの欲求。
1972年に、クレイトン・アルダファーは、マズロー理論を修正・整理して人間の欲求を3つに集約した「ERG理論」を提唱した。
▼アルダーファーのERG理論の三大欲求
生存欲求(E:existence):物質的・生理的な欲求をすべて含み、飢え、食べ物や住環境などや賃金、雇用条件や福利厚生、安全な職場環境など、人間として存在するための欲求。
関係欲求(R:relatedness):自分に重要な人々(家族・友人・上司・部下・敵など)との関係を良好に保ちたいという欲求。
成長欲求(G:growth):自分の環境に創造的・生産的な影響を与えようとする欲求で、これが充足されれば、人間としての充実感が得られるとされる。成長を続けたいという高次欲求。
マズローとの違いは欲求を求める順番になる。
マズローは低次元の欲求から満たされると、一つ上の段階の欲求が生まれるという説。ERG理論は低次欲求を満たしてなくても高次な欲求が活性化することがある。
基本的には、生存欲求→関係欲求→成長欲求の順になるが、満たされない場合は同次・低次の欲求をより満たそうとする。という理論になる。
アルダファのERG理論は、2つの仮説をマズローの欲求5段階説理論から受け継いでいる。
1.あるレベルの欲求の満足は、その欲求の強度ないし重要性を減少させるとともに、 それより上位の欲求の強度ないし重要度を増加させる。
2.最高次の欲求(マズローでは自己実現欲求、アルダファーでは成長欲求)だけは満足されても、その強度ないし重要度は減少せずに、逆にさらに増加する。
そして、この2つの仮説の上に、
1.各欲求は、必ずしも逐次的に発現するのではなく、同時に発現することもありうる。
2.上位階層の欲求の満足の欠如は、下位階層の欲求の強度ないし重要度を増加させる。
という2つの仮説を追加しており、マズローの欲求5段階説理論より複雑なものとなっている。
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○松本元の関係欲求についての論考
関係欲求について、松本元という脳研究者は人にとって、生存欲求と共にもっとも原初的な欲求ではないかと語っている。この人は著名な脳型コンピューターの先駆者でもある。
《人は集団として生きる動物であり、集団の中で生活し、行動する社会的な動物として進化してきた。いってみれば、われわれは他の人と関わることによってのみ生きることができるのである。そのためわれわれには、生まれつき人との関わりを求めようとする関係欲求が、遺伝的ともいえるようなものとして備わっているのではないかと考える。この関係欲求が充足されないと、たとえ生理的欲求がよく充足されていても脳活性は上がらない。
……脳にとっての最大の価値、そして活性化のもとは、関係欲求の充足であり、それは愛という概念で表現されるものなのである」(『愛は脳を活性化する』)と述べている。
脳研究の分野では、社会集団のなかでどのように社会性を身に着けていくのかという「社会脳」の研究が盛んになってきている、その先験的ともいえる着眼点だと思う。
お母さんが赤ちゃんにオッパイをあげるときに、赤ちゃんはオッパイを飲みながら、しきりにお母さんの顔を見ている。そしてお母さんは赤ちゃんの顔を見ている。母子相互間で、目を見詰め合ってお互いの存在を確認している。
子どもの頃、お母さんと手をつなぎ歩きながら話すときも、子どもはしきりに顔をみて話す。よそを向いて話していると、「ちゃんと聞いてよ」と子どもにぐずられるのも、関係欲求が満たされないからではないでしょうか。
男女間でも家族間でも、この関係欲求が満たされていないと精神的に崩壊をきたしやすいと思う。現代の虐待や虐めも関係欲求の不調和から起きているともいえないでしょうか。
赤ちゃんの例で面白い資料がある。
《赤ちゃんがお母さんのオッパイを一所懸命飲んでいる。そんな赤ちゃんを満ち足りた表情で眺めているお母さん。すると赤ちゃんはオッパイを飲むのを一休みする。……赤ちゃんがオッパイを飲むのを休むと、必ずと言っていいほどお母さんは赤ちゃんに声を掛ける。裏を返せば、赤ちゃんはお母さんからの語りかけを引き出そうとして、オッパイを飲むのを中断するのである。つまり赤ちゃんは赤ちゃんなりのやり方で、お母さんとのコミュニケーションを求めているのだ。人間の赤ちゃんは、生きるために欠かせないオッパイの摂取のさなか、母親とのコミュニケーションを求める。これはすなわち、赤ちゃんにとっては、オッパイを飲むことも母親とのコミュニケーションを図ることも、どちらも生きていくために欠かせないことだと言うことを意味する。(「生きること、伝え合うこと」『創文』)》
これについて、松本氏は次のように述べている。
《動物の赤ちゃんの中で、 人だけが生理欲求の充足のためのおっぱいを吸う行為の中で、 間欠的に母親とのコミュニケーションを求める関係欲求の充足のための行為を示すことが知られている。猿やチンパンジーの行動観察実験では、赤ちゃんはおっぱいを一気飲みであることが知られている。 人は人との絆が動物の中で特に強化された動物である。
……大脳古皮質の目標は、基本欲求の充足である。基本欲求の中で精神性と深く関連するのが、関係欲求である。人での関係欲求は、胎生期を通して、人は人との絆なしに生きられない存在であることとして表現される。
生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんとのコミュニケーションを赤ちゃんなりの非言語的手段で図ろうとするのは、この欲求充足に基づいている。
欲求が充足されると脳活性が高まり、平安な満足感が得られるのである。脳活性が上がると、脳は出力を出し易くなるので、出力依存性の学習によって、この時脳に入力している情報を処理するための仕組みをより効果的に創ることができる。
この時、 お母さんに抱かれおっぱいを飲み話しかけられているのであれば、これらの事柄を認識するなどの脳の仕組みがより効率良く形成される。一般的に脳への入力情報を脳の目標から価値ありと判断すると、「快」な感情となり脳活性が上がり、この入力情報を処理する脳の仕組みが、より効率良く形成される。“好きこそものの上手なれ"と言われる由縁である。」(講演『脳科学からの提言』)》
乳幼児期の母親はむろん、身近な人との関係による、信頼感、安心感の構築は、その後の人生の基盤になるのではないだろうか。