日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫に接して(池谷裕二『パパは脳研究者』を読む)

◎孫の成長と爺の老化の双曲線。(池谷裕二『パパは脳研究者』を読む)

 孫が生まれてから1年4か月になる。歩くことをはじめ、さまざまなことに能動的になってきた。図書館に行くと、歩きまわり、気に入った絵本を捜している。

 孫の成長を見ていると、ひとりの人が生きていくことに、いろいろな思いが湧いてくる。孫の成長とわたしの老化がまるで双曲線のように感じるのもある感慨を覚える。

 

 私は「子放し」を標榜する特殊な共同体にいたので、1980年そこで末娘は生まれたが、安直にそれ担当の人に任せきりで、子育てには全くといっていいほど関わっていない。

 孫の育ちを見ていると、出産後の赤ん坊を育てていくのは、想像を絶するほどの手間暇がかかる。

 したがって、「子育ては大変だけど楽しかった」という豊かな体験、味わいも全くしていない。だからこそその反面、喜びと幸せも伴うのだろうとも思う。

 

 わが家に来ると、妻が対応していることが多いが、少しは私も孫のお相手をする。

「じぃじ」という気楽な立場でもあり、いろいろな意味で疲れるが楽しい。

 

 併せて、育児関連の書籍から孫の成長に引きつけてみるのも面白い。

 その中で、池谷裕二『パパは脳研究者』は、よく参照する。

 

 本書は池谷裕二さんの娘の誕生から4歳までの成長記録を、脳研究者の立場から観察・分析したことをまとめたもの。

 本書の内容については、「はじめに」に要点が述べられていて、私の関心と重なることもあり、今回はそこから抜粋する。今後も随時参考にしていこうと思っている。

 

「はじめに――――私流の子育て」で次のように述べる。

〈脳科学の知識と、現実とは、もちろん合致しません。さらに、子どもは個性的です。一人一人が異なります。〉

〈毎日が驚きと感心の連続でした。赤ちゃんは生まれた瞬間から猛烈に発育し、一気に世界を駆け出します。すっかり成熟して時間の遅さに慣れきった大人の鈍脳は、まずもってその事実に面食らいます。〉

〈私が考える本来の育児の姿は、「親の希望通りの子に育てあげる」のでなく、むしろ「親なんていなくても立派にやっている子になる」ように導くことです。親に依存することなく、親を不要とする子に育てるのです。〉

〈育児とは何でしょうか。脳にとって「成長」とは何を意味しているのでしょうか。発達中の脳はどう作動しているのでしょうか。世界観はどう芽生え、どう変化し、どう多様化していくのでしょうか。個性とは何でしょうか。

こうした問いをとことん考えると、私たちの日常に、新しい立脚点が生まれ、世界の見え方が変わります。これこそが、育児と脳科学のコラボレーションの醍醐味。赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです。ご飯を食べる、トイレに行く、笑顔を作る、会話をする、嫉妬する――。普段、何気なくやっていることが、決して当たり前のことではなく、脳回路がもたらした奇跡なのだ、と――。そんな観点から本書を読んでいただけましたら幸いです。〉

 

 そして、2歳11ヶ月のところで。次のことを述べる。

〈もちろん、子育ては何が正しいかは実に難しい問題で、本当のところは、この教育方法で良いのかは、私自身にも確固たる保証があるわけではありません。ただ、私が25年間、脳研究を続けてきた経験から、娘にとってきっと良いだろうと信じる方法、つまり、強い干渉を避け、娘の思考力や論理力の発達をサポートするような方向で育てています。p214〉

 

「赤ちゃんの脳の成長を眺めることで、自分の脳の不思議さに気づくのです」とあるように、高次脳機能や心がどのように成長してくるのかを知ることによって、自分の考え方や行動を新たな視点から捉えることもできると思っている。

 

 参照:池谷裕二『パパは脳研究者』(クレヨンハウス、2017)