日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「老い」のイメージ(向老の記)

〇〈老い〉や〈高齢社会〉について現時点(今年70歳になり向老期として見ている)で思うことを綴っていこうと考えている。

 現在は見方が少し変わってきているが。以前、高齢者の介護活動や義父母をみとるなかで、「老いる」とは、どういうことなのかについて、「次の春が訪れない冬」のイメージがついて回っていた。そして、できるだけ最後まで健やかに生きていけたらいいなと思っていた。

 ひとは、遺伝子の振る舞いから見たら、母親の胎内で受精した瞬間から死に向かって歩み始めるらしい。しかも一瞬先のことは誰にもわからない。

 しかし、生まれてからかなりの年齢に達するまでは、意識としては、いつでも明日に向かって道が開かれていると思い込んでいる。その道には幾多の分かれ道があり、ある時は迷いながらも、前に向かって道が伸びていることに疑いを抱くことは少ない。幼年期・少年期から青年期にかけては、その道が大きく広がっていて、働き盛りといわれる壮年期にも衰えることはない。

 ところが、ある段階に来ると道がかなたに伸びているとはとても思えなくなってくる時期が来る。人生という道がやがて終わるとの意識が段々強くなっていく。平凡な多くの人の老年期の特徴の一つと言えるのではないだろうか。

 わたしたちの一般的な季節感では、春は生命の息吹が芽生え、夏は生命が躍動し、秋は生命の豊かな実りを迎え、そして冬は来るべき春に備えて生命のエネルギーを蓄える時というイメージがある。しかし、人生の季節では、向老期、老年期は秋から冬になる時期だが、巡ってくるべく春が描けないのである。しかもそれが何時まで続くのかわからない。

 なぜ「老い」について、このようなイメージが湧いてくるのかというのが、わたしの課題となった。

 もちろん人生の段階の分け方には、いろいろあるし,年齢を加えていくほど個人差が大きくなると思われる。一人一人の人生観も大いに異なっているので、その向老期、老年期と言われているものをはっきり区分けするのは大変難しいし、そのイメージにもさまざまあるだろうとは思う。

 老齢や死は人としての自然現象であるにも拘わらず、現代社会ではマイナスの感情が強い。若さや生産性に価値があり、老齢や死に価値がないとするならば、人の一生とは日々価値を失っていく貧しい人生となる。

 どうも大きな捉え違いをしているのではないのか?
「いまここに、そのままの、あるがままに存在している」ことよりも、「明日に向かって夢を託す」ことに日々の活力の多くを費やしているのではないか?

 老齢化よって身体が衰えていくというのは自分で作り上げた一番良い状態の基準から見た思い込みであり、「身体」は生まれてから何れの時でも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしていて、まさにそれが生命活動である。身体的には困難を抱えていても、人間の生きる力は計り知れないことを介護活動で何度か感じさせてもらった。

 本質的に、人間は良く生きたいという本能を強くもっていると思われる。どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、「良く生きたい」という気持ちは簡単にはなくならないはずである。
それに応えてくれるものが、ささやかながらも日常の暮らしにあるのではないだろうか。
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ブログに上記のようなことを度々発信してきた。友人対象のFacebookに投稿したところ、いろいろな方からの返信、コメントがあり、現社会の大きな課題だと思い、同年齢の方も多く、様々な面から発信しながら、高齢社会を描いていきたいと考えている。

 

・いくつか印象に残ったものを挙げてみる。
D・Yさん:〈人間というより生物として、生きようとするものが、深い所では死ねまでこんこんとわいてることですね。親父をみとって、思いました。死に対する見方も、いろんなものが入り込み見えなくなってますね。誰でもその人らしく生きてますね、いろんな人の話を聞くと皆、素敵ですよね。〉
〈明日は70才になります。随分と前に70にならんとわからん事があるよと言われたのを思い出します。ガンになって、まわりの人に、思わず心から有難うといいました。今までが何だったろうと思います。死とか感謝とか言葉で言いますが深みはいろんなことを経験して見えてくるものがありそうです。いろんな出会い、出来事がその人を味のある素敵なものをにじみだす、そんな私の勝手な人間観です。〉

私から:〈ある知人から次のようの年賀状をもらいました。「ガンとともに過ごしたこの一年は心の宇宙への旅の一年でもありました。」随時メールで近況を知らせてきますが、どんどん深みをましているように感じています。いろんな人との出会い、大きな手術や出来事の経験が、その人を味のある素敵なものをにじみだす、本当にそうだと思います。〉

F・Nさん:〈私もかねてより、全ての人に必ず訪れる「死」と「老い」について、マイナスイメージとか不吉でタブーとの感覚が強く、じっくり時間をかけて自身の死や老いについて話し合いや自問をする機会が少なすぎると思っています。自身のことをしっかり事前からイメージすることで、どちらの側に立つ場合でも、身近に感じられる中年期頃からは、特に大切なことじゃないかと思っています。老老介護ができる長屋を気の合ったみんなで住むというのはどうでしょう・・・など楽しく考えていきたいです。〉

私から:〈「老い」に対してのイメージも、今までの社会を推進してきた「進歩するのが良い」「役に立つのが良い」「できるのが良い」などの意識からくるものがあると思います。
F・Nさんが「じっくり時間をかけて自身の死や老いについて話し合いや自問をする機会が少なすぎる」と言うように、高齢者、これから高齢者を迎える人たちが、どのような高齢社会を描いて、そのためにどうあったらよいかなど考える中から、時間をかけて社会気風を作っていったらよいのではないかと思っています。〉

K・Wさん:〈我ながら驚きです。この先の事は分かりませんが、思いっきり楽しく健康に気を付けて日々楽しんで暮らせたらと思っていますが老いはもう来ています。後何年生きられるかは分かりませんが、健康な食事を美味しく作ろうって作ったり畑をしたり唄ったり、長寿会のに出たり周りの人達と楽しくやれて、でも本当に寝込んしまう事は今は考えれないです。不安に思う事は辞めます。私の身体がどんなになるかは分かりませんが、自分の中が、全ての人達全てのもの、に、感謝の出来る生き方がしたいなぁーって思っています。〉

私から:〈社会では将来に備えて目標を設定し、「お金を貯めなくては」「いい会社、仕事先を見つけなければ」など、未来のために前のめりに生きるようなケースもよくあります。もちろん、現在は過去とも未来ともつながっていますから、ある程度描くことも大事ですが、それは現在を思いっきり生きていくためのものだと思っています。〉