日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉5歳、弟3歳2ヵ月。妹1歳4ヵ月) 

〇お姉ちゃんが五歳の誕生日を迎えた。

E・H・エリクソンの漸成的発達理論によると学童期に入る。

およそ弟と二年違い、妹と四年違いでそれぞれの育ちを複合的に見ることが

できて面白い。

妹は乳児期から幼児前期へ、弟は幼児後期から学童期に入るのだろう。

お姉ちゃんは四歳を越えたあたりから幼さを感じるときもあるが、一人の人格者と見ている。

 

脳の神経細胞の数は生まれた瞬間が一番多く、あとは減っていく。

そして、3歳になるまでに約70%の神経細胞が排除される。生き残る神経細胞は30%ほどで、3歳までに残った神経細胞を一生使うことになる。健全ならば老いても変わらないらしい。

その子によって違いはあるだろうが、三歳までとその後、特に四歳過ぎになると「ひと」としてだいぶ違ってくるような感じがある。

 

柳美里が脚本した「常磐線舞台芸術祭2023」の劇は震災が起きた当時高校生だった地元出身の若者のほか、現在、地元の高校に通う生徒も出演し、震災が起きる前の穏やかな日常と、12年前の3月11日に震災と原発事故が起きたあと、何も知らされないまま避難せざるをえなかった当時の子どもたちの不安や悲しみなどを演じていた。

その中で現在高校一年生は当時三歳で、大震災のことは全く覚えてなくて、現在高校二年生は当時四歳でよく覚えているというのが印象に残った。

 

私も妻も三歳までのことは全く覚えていないが四歳以後のことは大部記憶に残っている。お姉ちゃんをみていても三歳までと四歳以上になるとだいぶ違ってくるように思う。

○「日々の記録」

10/1:お姉ちゃんが地区の運動会で10時頃から弟と妹を預かる。妹はよく預かるが弟と一緒にみることはあまりない。

二人の孫の娘が作った弁当を食べるのを見て、3歳を過ぎた弟はスプーンを上手に使って食べるが、1歳過ぎの妹は手づかみでこぼしながら食べる。

弟も1歳過ぎの頃は同じように食べていた。その他、大小便の妻への知らせ、遊び方や妹を上手に扱っているのを見ると、この2年の弟の育ちを思った。

 

10/10:妹は言葉らしきものを喋っている。妻にはある程度察するようだが私にはよく分からないことが多い。「ばぁば」「じぃじ」なども言っている。妻の言うことは大体分かるようだ。

幼児期のことばの獲得は、「理解」→「模倣」→「発語」とすすむが、妹はまだ「理解の段階」(自分では発語できないが他人の言葉の意味はわかり、動作や行動を示す)から模倣の段階を経て生産の段階に入っているようだ。自己主張も強くなり、大きな声でうなっているような時もある。

 

10/18:妹は時折自分の思い通りにならないときは激しく泣く。

今までは快・不快による泣くことが多かったが、ここにきて意思表示としての泣くことが増えてきた。

ことばらしきものもしきりに出すし、表現手段として一種の抗議のようなものだろう。

 

10/25:夕方自転車で遊んでいる孫たちと出会い、その流れで、定期的にわが家と娘宅の分の卵をもらいに近所にいく妻にお姉ちゃんと弟がついてくる。

帰りに弟が娘宅の卵を持ちたいというので妻が「落とすとお母さんが泣くよ」というとお姉ちゃんが「お母さんは泣かないで怒るだけよ」という。

 

10/28:朝からお姉ちゃんと弟が着物姿で参上。

ここ数年この時期になると孫のお宮参りや七五三で神社に行くことが続いている。今年孫は七五三の対象年齢ではないがお姉ちゃんが着物を着てお宮に行きたいという。

娘も着物を着ることは楽しみにしていてY子さんが来ることもあり、弟にも作って私たちに見せに来た。なかなか立派なもので写真を撮る。