○放課後等デイサービスでは、発達障がいや発達特性のある子どもの療育機能・居場所を備えた福祉サービスで、生まれつき脳の発達がアンバランスであり、そのバランスの悪さが生きづらさの原因となる。
発達障がいは凸凹の現れ方によって、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)と大きく3つに分けられる。
これは大まかな分け方で、実際には一人ひとりの症状は多様であり、診断名による分類は大事だが、その一方で「そもそもこの子はどういう特性があって、何に困って、どう感じているのか」をしっかり見つめていく目線が重要である。
その中で、自閉スペクトラム症をみていく。
自閉スペクトラム症は、他人の表情を読んだり感情を共有したりすること苦手とし、コミュニケーションがうまくいかず、対人関係でトラブルをおこしやすい。また、興味の対象が極端に偏っていたり限定的だったりして、こだわりが強い。好きなものには並外れた集中力を発揮したり、行動がパターン化したりする。毎日のルーチンや決まりごとに変更があったとき、それに対応することに困難を感じる。
※「自閉スペクトラム症」という捉え方:以前は、自閉症の特性をもつ障害は、典型的な自閉症に加え、特性の目立ち方や言葉の遅れの有無などによって「アスペルガー症候群」「特定不能の広汎性発達障害」などに分けられていました。典型的な「自閉症」は、言葉の発達が遅れ、相互的なコミュニケーションをとるのが難しく、「アスペルガー症候群」では言葉の遅れがなく、比較的コミュニケーションが取りやすいという特徴があります。一方で、これらの障害では対人関係の難しさやこだわりの強さなど、共通した特性が認められます。そのため、別々の障害として考えるのではなく、虹のようにさまざまな色が含まれる一つの集合体として捉えようとするのが「自閉スペクトラム症(自閉症スペクトラム障害)」という考え方です。治療の基本的な考え方は共通ですが、一人ひとりの特性を理解したサポートの重要性が着目されるようになってきています。(すまいるナビゲーターより)
なお、高名な小澤 勲『自閉症とは何か』(洋泉社,2007)に、「自閉は人と人とのかかわりのなかで生起する事態とみるべきであり、症状としてとらえるべきではない------自閉症範疇化の中核症状は自閉である、というのが筆者の結論である」とあるように、生物学的、医学的あるいは心理学的概念であるよりは社会的範疇として把握されるべきであるとの論もある。
自閉症といっても個々の状況は様々であり、ここでは、13歳の時執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』で注目された東田直樹さんの17歳の時書いたエッセイを紹介する。
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東田直樹 「オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由」から
○「原始時代からタイムスリップ。批判、駆け引き、競争が苦手」
「あの人変だよね」
この言葉を聞くたび、私は泣きたい気持ちになるのです。他の人からの刺すような視線に耐えられず、その場から逃げ出したいと、いつも思っています。
街中で、わけのわからないひとり言をつぶやく、おかしな動きを繰り返す、ピョンピョン跳びはねる、そんな人を見かけたことはありませんか?
見かけても、かかわりたくないと避けたり、顔をしかめたりされた方もいることでしょう。
身体のどこも悪そうに見えないのに、言葉が通じない。意味のない行動ばかりやりたがる。普通の人から見れば自閉症は、わからないことだらけの障害だと思います。
話せないから、心がないのでしょうか。
みんなと違うから、異星人なのでしょうか。
私は、自閉症とは、自分で自分のことをうまくコントロールできない障害だと考えています。
なぜなら、自分はまるで、壊れたロボットの中にいるようだと感じているからです。
たとえば、先生から指示が出されたとします。みんなはすぐにその指示に従うことができますが、私は話の内容は理解しているのに、どうすればみんなのように、言われた通りに行動できるのかが、わかりません。
みんなと同じことができない。
自分勝手に動き回り、先生やみんなに迷惑をかけ、怒られてばかりの私は、人の役に立ついい子になりたいと、心から願いました。しかし、話そうとしても頭の中が真っ白になるので、弁解どころか、人に謝ることさえできません。こんな毎日が、つらくてつらくて仕方ありませんでした。
「何のために生まれてきたのだろう」
動物のように奇声を上げ、人の言うことを聞かず、自分のペースで生きようとする。自閉症の私が、この社会で存在する意味を知りたいと思うようになりました。
本当の私は、誰からも制約を受けることなく、時間の枠を超え、ただひたすら声の限りに叫び、大地をかけていたいのです。あるいは、音も言葉もない静寂な水の中で、じっと息を殺し、永遠に続く宇宙の鼓動を感じ続けていたいのです。
それこそが、私の憧れる世界であり、生命の輝きを感じる瞬間です。
けれども、この社会では、そんな自由は許されません。生きるためにやらなければいけないことが、たくさんあるからです。自立のために、私も少しずつですが、自分でできることを増やしています。
お日様を見れば、光の分子に心を奪われ、砂をさわればその感触に全神経を集中させてしまう私たちですが、決して人が嫌いなわけではありません。声をかけられても知らん顔をするのは、近くにいても気づかなかったり、どう答えていいのかわからなかったりするためです。
人は誰でも、ひとりで生きられないことを知っていると思います。自閉症者は、普通の人が考えている以上に、自分のことをわかっています。
常に成長しなければならない現在の社会では、自閉症者は、じゃま者でしょうか。
自閉症者の中には、こだわりなどの特徴を生かして、社会で立派に働いている人もいますが、目立たないように、ひっそり暮らしている人も多く存在しています。
自閉症は、近年増えてきているそうです。
その理由を、世の中の人にも、考えてほしいと思っています。
まるで、原始時代からタイムスリップしてきたような自閉症者たち。人を批判することも、駆け引きをすることも、競争することも苦手な人間。
私たちを見て、あなたは、何を感じますか?
(2009年11月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 130号より、東田直樹さんのエッセイを転載)
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参照:東田 直樹:1992年千葉県生まれ。会話が難しい重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングにより、コミュニケーションが可能。13歳の時に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫)で理解されにくかった自閉症の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。 同作は翻訳され、2013年に「The Reason I Jump」が刊行。現在30カ国以上で翻訳、世界的ベストセラーに。著者に『自閉症の僕が跳びはねる理由2』『ありがとうは僕の耳にこだまする』『あるがままに自閉症です』『跳びはねる思考』『自閉症の僕の七転び八起き』『自閉症のうた』など著書多数。
(東田直樹オフィシャルサイトhttps://naoki-higashida.jp/より)
放課後等デイサービス「アイリス」ホームページ