日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎残されたものを最大限に生かす(たまゆらの記52)

○先日、グラグラしている奥歯を抜歯。

はじめに歯茎に麻酔をして歯をぬいた。歯はかなり割れていた。麻酔はとても痛く鼻呼吸をしながら耐えていたが、抜歯の担当者も慣れたもので、短時間で済んだ。

抜歯後食事のとき殆ど気にならなくなり、歯の状態が食生活の豊かさと関係が深いと改めて思う。

 

私の中では歯は比較的丈夫だったが、近年徐々に不具合が出てきている。

目も耳も悪く、テレビでも何を言っているのかよく分からなく、字幕付きで見ている。

脊髄小脳変性の症状もますますひどくなっている。

それと重なるように「老化現象」も進んでいるようだ。

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その時に、心に置いていることばがある。

「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」

 

パラリンピックの創始者とされる医師のルードヴィヒ・グットマン博士による、パラリンピックの精神を端的に表わす言葉とされている。

実際は、グットマンの言葉かどうかは分からないらしい。

 

博士は、第二次世界大戦の傷痍軍人の治療にスポーツを取り入れ成果をあげた。

そして、入院患者を対象とした競技大会を開催し、後に国際大会として行われた車椅子競技大会(1961年)が、パラリンピックの第1回大会「ローマパラリンピック」となされるまでに至った。

グットマンの言行記録には見当たらないが、上記のことから博士の言葉ではないかとされたらしい。

 

わたしが重度心身障害者など福祉活動をしていたときに意識していたことばで、今は自分に向けて心に置くようになった。

それは、いろいろなことができなくなる「老化現象」にも通じることばだとも思う。

今まで当たり前のように出来ていたことが、身体の不具合により出来なくなることが増えていく。

 

出来なくなったことを嘆くよりも、まだまだやれることがあり、残されたものは身体部位だけでなく、心のもちようも含まれる。

「できなくなる」、「失っていく」、「衰えていく」ことで、別の機能が活性化する、感度が鋭くなっていく、これまでの見方が変容するなど、自分のことも含めて多くの人にも感じてきた。

 

心を含めて身体は、老化・疾病・障害などによって大いに影響を受けるが、それによって〈身体〉が衰えていく、ダメージを受けるというのは自分で作り上げた良い状態、あるいはその時代の一般的な基準を前提にしての思い込みであり、〈身体〉は生まれてから何れの時でも、刻々と変わりながら、自分の状態とまわりの状況との平衡状態を保とうとする働きをしていて、まさにそれが生命活動である。

 

人は精神的に明るい積極的な状態であれば、どんな時でも病気や衰えを生きているわけではなく、たった一度のその人「今」の人生を生きている。

ともすれば、不安になることもあるわたしで、病状もますます進んでくると思うが、出来ることに焦点をあてて、生きようと考えている。