日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎子どもが育つ環境について思うこと。(二人目の孫が生まれて)②

〇子どもが育つ人的環境について

 子どもが育つ環境については、物的環境、人的環境、空間的環境、時間的環境とそれぞれあるでしょうが、僕が最も大事にしていきたいのは、人の和ではないかと考えている。

 

 子どもが健やかに成長していくためには、できるだけ多くの人が関わっていくことが必要ではないでしょうか。

 

 子どもを母親だけに任せるのではなく、複数の人々の手と心で育てることの重要性で、「子育ての社会化」、「子どもの生活と体験を豊かにする社会的な仕組み」を作っていくことが何よりも大きいのではないかと思う。

 

 現代の子育てに関わる様々な問題が、「家庭」に原因があるという論が根強くある。この場合「家庭」とは、ほとんどの場合「母親」になる。現代の日本社会では、子育ての責任の多くが「親」に負わされている。どんなに意欲的な親であろうと、人には限界があり、まして現在の日本社会のように核家族化している状況では、あまりにも酷な見方だ。

 

 だれか一人の人の世話を特定の人がそっくり見ることは、無理ではないでしょうか。

 

 少しぐらい怪我をしてもいい、子どもたちはもっと自然にふれ友だちと取っ組み合いをし、家庭や学校といった閉鎖空間の中でではなく、地域社会の中でのびのびと育ってゆくべきだと思っていても、「安全」という名目で、子どもの自由をどんどん制限していくようになるのは、母親などの特定の人に責任を負わせがちになっているからだと思う。 

 

 複数の親たち、複数の兄弟姉妹の中で、ある特定の人に負担がいかないような、小さくてもいいので、その他の人同士が織りなす家族のような輪が広がったらいいと考えている。

 

 それもべったり密着した関係ではなく、ほどよい距離があり、一人ひとりの時間や差異を尊重し、ときには批判したりされたり、それでもくずれないというような関係だ。

 

 そのような輪の中で、子どもを操作対象にしないこと。「しつけられる対象」、親や教師から、「指導や教育を受ける対象」ではなく、子ども自ら考える存在であるということ。

 

 生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、ただ受け身的に外界に接しているのではなく、見たいものを見る、複雑なものや新規なものをしきりに見たがるといった好奇心にあふれている。 成長するにしたがって、ますます意欲的になっていく。子どもは、「自ら学び、自ら育つ力を持っている」、本来的に「自律的」な存在だといえる。