〇孫の成長記録(1歳6ヶ月)じっくり待って。
孫は「ワンワン」からはじまって、徐々にことばの数も増えてきた。こちらが孫に向かって投げかけることばには、概ね応えようとするし、そうするだけの技量もだんだんついてきた。外出や何かあるときなど、手をゴシゴシ洗うことも身についてきた。
また、「いやだ」という拒否反応もしっかり言うようになった。それが通らないと泣き出したりぐずったりするが、適当に対応していると、切り替えが早いのか、すぐに次の動きになる。
褒められたとき、「よくできたねー」と拍手されたことがあるのだろう。本を読んでもらうときや何かできたときなど、期待するものがあると、手をたたくようになる。
温かくなり動きが激しくなってきて、首のまわりに汗疹が出来て、首のあたりを摩るような動きもするようになってきた。
私らは汗疹だとわかるが、何だかよくわからないのだろう。転んだりぶつかったりして、そこが痛いのは分かりやすいが、何でもぞもぞするのかは、わからない。
かゆいことは感じて、手をしきりに首のあたりに持っていって、直接そこの辺りに触れたり触れなかったりして、手をふらふらさせる。可笑しな動きにも見えるが微笑ましい。
薬を塗ってあげると気持ちいいのか、「塗ってあげるから薬とってきて」というと、すぐにとってくる。
このようにして徐々に知識がともなって、いろいろ憶えていくのだろう。
妻はある程度時間をかけながら対応しているが、娘と孫のやり取りを見ていると、妻以上に出来ることを増やしつつ手をかけながら、気長にじっくり待っているのを感じる。
同じぐらいの幼児を育てているお母さんとも交流していて、その中でいいものは取り入れて、試行錯誤をしながら身についたのか、子を育てていくことで、共に成長をしていっているのを感じる。
一歳半なので、私たちに見てもらうことはあっても、ささやかな家族関係のもとでは、ある意味四六時中気をおいていくのだろう。特に今の時世では、子育てというのは、そこに気をおいている限り、たいしたものだとも思う。
時代と環境が違うとはいえ、自分もこのように育ててもらってきただろうことに感慨がある。
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参照:認知心理学者の下條信輔は「乳児は、私が語りかけ、また私に語りかけてくれる者として相手を扱うことの結果として、乳児の「心」は生まれてくる。だから「心」は脳における神経生理的な過程として分析されるよりも先に、交わりという場面で問われねばならない」という。
また、赤ちゃんを「好奇心のかたまり」「冒険家」「発見をする機械」「応答する機械」として見ることを勧める。そしてさらに、赤ちゃんを精神的にひとりの人格として認めて付き合おうと言う。なぜなら、赤ちゃんは「『心をもつ者』として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長する」。赤ちゃんを人間にするのは、半分周囲の人たちなのだ。
(『まなざしの誕生 赤ちゃん学革命 新装版(新曜社、2006)より)