○今後のことを考えて様々なことをかなり整理している。
振り返って自分の身の周りを見ると、使わないでそのままになっているもの、気付かずにほってあるものが多い。
目立たないように整理、整頓をしているつもりだが、はたして今後使うことがあるのか心もとないもの、使わないだろうものが実に多い。
大事なのは、心の状態そのものが、身軽になることではないかと思っている。
8年程前に引っ越しをした。妻の両親が残したものはもちろん、自分たちの抱えているものも、大部分整理したつもりである。
ところがいろいろなものが増えてきて雑然としてきている。
ものが増えないように整理、整頓をしているつもりだが、はたして今後使うことがあるのか心もとないもの、使わないだろうものが実に多い。
また、整理整頓というか、いつどんなことになってもいいように始末をはじめている。
だが、モノのこともあるが、頭の中の記憶、パソコン上のデーター、書籍や資料類、記録文書になると、手つかずの状態である。
鷲田清一が提唱している「価値の遠近法」の考え方に照らせば「1、絶対必要なもの。2、どちらかといえば必要なもの。3、端的に必要ないもの。4、全く必要ないもの。」に分けることができるだろう。
私にとって身軽になるとは、適度の伐採で、光や風が行き渡ることで樹木がほどよく育っていくように、できるだけ1と2に焦点を合わせた生き方をしていきたいと考え、老い先も見えていることもあり、ゆったりと整理している。
○次につなげる
整理といっても、どう考えてもいらないものは処分するだけだと思っている。
だが、今の私(たち)の使わないものでも、ある人たちには役に立つ場合もある。
出雲の家を整理するとき友人、知人、福祉施設などに声かけて、必要なものを持っていってもらったし、調べていくと活用する仕組みもあった。
いまの自分の身体状況を鑑みて 、いつの日か活かしていこうと思って大事に保管していた資料・書籍は誰かに繋げたいと思っていて、一部T君が引き受けてくれて、嬉しいというか、ほっとした。
また、ブログなどに書いたもので、次に繋げたいものは、順次書籍化などしている。
例えば、孫の相手は殆ど妻がしていて、それでも自分のやれることとして成長記録を作って書籍化もしていて、宛先は孫たちで、やがて読むことになるだろうし、同時に人が生きていくことを「老い」の立場から考えるのも面白い。
ささやかなものでいいので、次に繋がるものを遺していきたいと考えている。