日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎前傾姿勢の社会から離れて

〇振り返ってみることを大事に(※改訂再録)

​ 福祉の現場で様々な高齢者に接し、父母や義父母を見送り、今や自分も難病を抱え高齢化社会の渦中に入っている。


 以前、母についての随筆「今ここにある幸せ」に次のことを書いた。

【老齢や死は人としての自然現象であるにも拘わらず、現代社会ではマイナスの感情が強い。若さや生産性に価値があり、老齢や死に価値がないとするならば、人の一生とは日々価値を失っていく貧しい人生となる。
 どうも大きな捉え違いをしているのではないのか?

「進歩するのが良い」「役に立つのが良い」「できるのが良い」と。「いまここに、そのままの、あるがままに存在している」ことよりも、「明日に向かって夢を託す」ことに日々の活力の多くを費やしているのではないか?

「お金を貯めなくては」「いい学校・会社に入らなければ」「生きがいのあることを見つけなくては」と。

 本質的に、人間は良く生きたいという本能を強くもっていると思われる。どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、「良く生きたい」という気持ちは簡単にはなくならないはずである。

 それに応えてくれるものが、今ここに、日常の暮らしに満ち溢れているのではないだろうか。次に進むことにあくせくして、今ここに在るものに、どれだけ心を向けているのか。

 季節としての巡りくる春だけではなく、今ここに在ると思われる「春」をどれだけ観ようとしているのだろうか。】

 

 これは、随筆「今ここにある幸せを」の一説であるが、どうも社会全体の傾向ではないだろうか。

「明日に向かって」、前のめりに予測を立て、計画を立て、見込みをはかりつつ、次々に手を打っていく。例えば、子どもの将来のためとして、いい会社、いい学校、そのために、小さい頃からの塾などにせっせと通わせる。など。

 日常的に、「計画を実現するため」「利益を上げるため」「作物を沢山収穫するため」「目的地に早く着くため」「国や、会社、共同体のため」等々。

 まず目標を設定して、そこに至る最短・最適のルートを想定する、できる限り効率的に、楽に、短期的に実現するためにエネルギーを使う。

 

 この辺りのことを、臨床哲学者・鷲田清一は,
「現代に働く多くの人々が日々使っている言葉を列挙してみる。プロジェクト(project)、利益(profit)、見込み(prospect)、計画(program)、進捗(progress)、生産(produce)、昇進(promotion)。これらのビジネス用語の接頭辞になっている“pro”というのは、ギリシャ語で「前に」という意味を表す。つまり全て前傾姿勢なのである。」
(『「待つ」ということ 』角川選書、 2006年より)として、この前傾姿勢が、社会にはびこっているのではないかとしている。

「待つ、立ち止まる、振り返る」そして、考えたり、見直したりすることよりも、前に動いている方が、何かをしている、積極的に生きていると思いがちである。また、方向がはっきりすればするほどエネルギーも湧いてくる。

 飛躍するようだが、最近の新型コロナウイルス問題やきな臭い世界での出来事など、 今後の社会の発展を決定的に阻害する可能性のある様々な問題が、山積み状態に存在していて、それぞれが相互に関連しあって顕在化しているのではないだろうか。

 前傾姿勢で遮二無二に進んできたこと、また、自分にも身についているだろう時代によって形成された価値観によって、過去からの様々な「人類の放漫経営のつけ」が重くのしかかってきている気がする。

 だからといって私のやれることは、身近に起こることに誠実であろうとするだけだ。どこまでやれるか心もとないが、そして、遠ざかっていく過去の中に、私たちの課題を見直していく多くのことがあるのではないかと思い始めている。悲惨な目に会いながら、時代の波にもまれながら、貴重な問題提示をしている先人がいて、その先人たちの貴重な提言を援用しながら、そのことをどれだけ自己に返すかという意識を維持しながら、振り返っていくことを大事にしておきたい。