〇友人に紹介されて倉本聰『昭和からの遺言』1・2(足裏の記憶)を読んだ。
倉本聰が昭和の時代を、自らの体験と独特の切り口でふりかえる。NPO法人富良野自然塾の機関紙『季刊・カムイミンタラ』連載をもとに書籍化したもの。
1冊目、2冊目をとおして、「戦後僅かに70年の間に体を使うこと俺たちは忘れた」との趣意で、便利、文明のもとに、必要以上の物にあふれ、時間に追われていく今の時代、人として生きていくのに、本当に必要なものは何なのか問いかけていく。
1冊目の「あとがきに変えてー深さの記億」は、〈全てがずっと深かった〉との言葉から始まり、中ほどに〈手間をかけることがもしかしたら/深さの正体だったかも知れない/俺たちは生きることに/本当に手間をかけた/一生懸命必死に手間をかけた〉とあり、最後の言葉につながる。
〈天を深く見る/雲を深く見る/水を深く見る/風を深く見る/すると緑が深くなる/稲穂の黄色が深くなる/川の流れが深くなる/空の蒼さが深くなる/人との交わりも深くなる
そして倖せが深く見える/昨日まで不満たらたらだったあらゆるものが/突然深い倖せ色に輝いて見える/それが元々昭和という時代の/俺たち原人の生き方だったのさ〉
1935年生まれの倉本氏とは一回り若い私(1947年生)にも、思い当たることが多々ある内容だ。
手間をかけたから、いいものが出来るとは必ずしも言えないが、感じる・考える・生きる密度が濃いものになるような気がする。
「一生懸命必死に手間をかけた」はどのような時代、状況にかかわらず大切にしたいと思う。
ただ、時代というのは刻々と変化していくもので、その時代時代に失われたもの、新たに生まれたものが存在する。あの頃はよかったというふうにはしたくないし、大仰な言いまわしに少し気になるところもあるが、生きていくのに根源的なことが書かれていると思う。
2冊目「足裏の記憶」あとがきの「ないことあること」に次の言葉がある。
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己の体内にあるエネルギーを使うこと/それが生物としての
ヒトの根本の生き方だと/永いこと漠然と考えて来たのに
脳ミソの力が筋力を凌ぎ
汗を出来るだけかかないこと/自分の体内のエネルギーを
出来るだけ使わないで生きていくこと/即ち、サボルということを
そっちの方向を/人々が目指し
それを「便利」と称し始めたとき/昭和。
いやそれ以前の大正明治江戸時代からの日本人の生き方は
根本から大きく様変わりした
無かったものが/どんどん生まれた
便利なものが/どんどん誕生した
代わりに/これまで大事にされてきた
日本の遺産が/どんどん消滅した.
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これは本書の底流にある考え方の一節だと思う。
日本の遺産云々はともかく、私には前半の部分に思い当たることがあった。
大きな病気を抱え、老齢化すると、いままで何気なく出来ていたことが出来なくなり、失しなわれることも増えてくる。
本文のなかでも〈ないということはそれほど怖くない/だが、あったのにそれがなくなったということ/それは結構ヒトには厳しい〉とある。
だが、一人ひとりの生命のエネルギーは柔なものではなく、そんなことで消えるものではない。
構音障害のリハビリの目的で始めた、誰でもが具えている口を楽器にする口笛が、楽しく奥深いものであることを日々実感している。気が付いていないが、他にも沢山あるだろう。
そして、難病を抱えていようが、それぞれは病気を生きているわけではなく、その人ならではの、たった一度きりの人生を生きている。
※『昭和からの遺言』(足裏の記憶)の「あとがき」より
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ないということはそれほど怖くない
だが、あったのにそれがなくなったということ
それは結構ヒトには厳しい
電気がなかったら/今や厳しい
ガスがなかったら/ボクらは困る
石油がなかったら/都市はお手あげだ
水がなかったら/酸素がなくなったら/食い物がなかったら/それこそ大事件だが
水や酸素や食料と同レベルで/ボクらはいつのまにか
車を/ケイタイを/テレビを/パソコンを/必需品として見るようになった
スマホがなかったら生きて行けない/ITがなかったら生きて行けない
コンビニがなかったら生きて行けない/電源がなかったら生きて行けない
情報がなかったら生きて行けない
ボクらはどんどん頼るものを増やし/自縄自縛におちいっていった
そういう社会を便利というのか
それが果たして文明社会なのか
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参照・倉本聰『昭和からの遺言』1・2(足裏の記憶)(双葉社、2015・2019)