〇今後のことを考えて様々なことをかなり整理している。
生活用品や服などものの類、記録類、手続関連と大きく3通りに分けられると思っている。
ものについては、8年前一緒に暮していた出雲の義父母が亡くなり、まったくと言っていいほど使わないものが数多あり、関わっていた施設や知人たちに声かけて必要なものを持っていってもらい、あとはほとんど処分し家も売って、神戸に引っ越ししたのが7年前。
その時に、あまりものを持たない暮らしをしようと妻と話していたが、現状はいろいろなものも増えてきている。
記録類は、折に触れて書いているパソコン上のデータ・ブログ、手紙・賀状など、各種写真、趣味的な書籍など。
頭の中の記憶も雑然としていて、自分にとっては大きな項目である。
手続き関連というのは、各種会費、カード類などをさすが、年会費を払うものがあり、バカにならないので、残すものは必要最小限にしている。
カードの類はほとんど解約している。
先日、日本社会福祉士会の退会手続きをした。50歳過ぎの福祉関連の仕事から必要と思い資格を取るとき結構勉強したが、今は全く役にたっていない。関連の精神保健福祉士も同様。そのことに限らないが、関連の書籍も含めて処分した。
他に年間会員になっているものもあり、ほとんど関わっていないものは整理している。
身軽になる目的は、余計なものをそぎ落とし、風通しを良くし、自分にとって大事なことを際立たせることである。現在は様々なことが雑然としていると感じている。
整理するに際して鷲田清一が提唱している「価値の遠近法」が参考になる。
その考え方に照らせば、次のように分けることができる。
1、絶対必要なもの。
2、どちらかといえば必要なもの。
3、端的に必要ないもの。
4、全く必要ないもの。
必要であるかないかは一人ひとり違い、私の身近な記録類では2にあたるものが多いが、妻から見てはほとんど3にあたるらしい。
生活関連のものに関しては、相談の上、妻主導で取り揃えていて、あまりものを買わないようにしているし、2にあたるものが多い気がしている。
どちらにしても楽しみながら整理していくことが大事で、そうすることで身軽で豊かな暮らしをしていきたいと考えている。
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鷲田清一は『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』の中で、次のことを語っている。
〈わたしは「教養」や「民度」ということについて、次のように考えています。なにかに直面したとき、それを以下の四つのカテゴリーのいずれかに適切に配置できる能力を備えているということです。
まず、絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの。
二番目に、あったらいい、あるいはあってもいいけど、なくてもいいもの。
三番目に、端的になくていいもの。なくていいのに、商売になるからあふれているもの。
そして最後に、絶対にあってはならないこと。〉
と“価値の遠近法”として提案している。
自分の身の回りを見ていくと、二番目以下が随分多いなと思う。
杓子定規になることはないが、「絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの」は、そのまま残し、できれば後続世代に繋げていき、四番目の「絶対にあってはならないこと」をなくしていきたいと願っている。
どの段階にあるのか判断することは難しいことだと思うが、そのことを心においておくことはしていきたい。
※鷲田清一『語りきれないこと 危機と傷みの哲学 』(角川oneテーマ21)、角川学芸出版、2012)より