○東日本大震災から12年になる。
私が思う大きな課題として次のことを思う。
①一人ひとり違いがあるとしても、少なからずの被災者当事者にとって、どこまでも付きまとうからだの奥で疹いたままの苦痛の経験であろう。
②人間にはどうしようもない未曾有ともいえる大きな災害はいつでも起きる可能性を秘めている。
➂今では私たちの暮しに身近なものとなっている原子力にまつわる機能が大いなる負の側面を抱えているもの。
他にもいろいろあるだろうが、いつまでも語り継ぐことが大切な文明災であると考える。
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東日本大震災12年目の印象に残った記録から
○NHKスペシャル「海辺にあった、町の病院 〜震災12年 石巻市雄勝町〜」
※ドキュメンタリー作品は制作者たちの意図があり、そのことに留意する必要もあるが、この作品に制作者たちの是非記録にしておきたい熱意を覚え、いろいろ考えさせられるものになっている印象をもった。
病室から穏やかな海が見えた雄勝病院は1954年に開設され、町唯一の病院として地域医療を支えた。
2000年代には高齢化に伴い療養型病床を設置し終末期の患者を受け入れ、寝たきりの患者には全身をふき取る「清拭」が行われた。
その病院は、東日本大震災で屋上まで津波にのまれ、患者と職員の9割が犠牲になった。
医師や看護師たちは、自力で逃げられない患者を置いていけないと残り、また、病院のことが気になり病棟に向かった非番の職員もいた。
地域医療の拠り所だった町の病院。“あの日”までここにはどんな日常があったのか。残された遺族や同僚は、“その後”をどう生きてきたのか。震災12年、初めて語られる心の内に耳を傾ける趣旨で放送されていた。
自分に引きつけて、身に迫るものを感じながら見ていた。
私は10数年福祉・介護関連の活動をしていて、今は日常の動きもままならない身体の状態で福祉関連のお世話になっている。つまり両方の体験がある。
その場に立ってみないと分からないし何処までも推測であるが、東日本大震災のような大災害に出会ったとき、おそらく「わたし(たち)に構わず逃げて下さい」というだろう。
だが、病院従事者の立場だとしたら患者を置いて逃げれるだろうかと躊躇すると思うし、少なくても非番の時に駆けつけることはしないだろう。
特に、非番にもかかわらず病院に駆けつけてお亡くなりになり、その後二児の母親となった娘さんの発言ひとつひとつに心を動かされるものがあった。
いろいろな観点からどう考えたらよいのか考察するべき論点はいくつかあるだろうが、「正解はわからないですが」というような発言が何度かあり、そうとしか言えないだろうと思った。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023031115774