〇妻と随時連絡を取り合っている旧友Y・Oさんは、詩人・茨木のり子さんの生前したためたお別れの言葉『 死亡通知』に感銘して、Y子さんも造っているそうだ。
死後について、死後の処理や連絡、お葬式、お墓のことなど、ときおり妻と話題になる事もあるが、それほど突き詰めて考えていない。
こればかりは何とも言えないが、真剣に考える時が訪れたらと思っている。
Y子さんは80歳代で大きな病気を抱えていることもあり書いているそうだ。現在は20通ほどになり高齢の一人暮らしが多いという。
このようなことがあり、このところ茨木のり子さんの詩集や関連書籍を読んでいる。
〇茨木のり子『死亡通知』について
『死亡通知』は、茨木のり子さんの生前したためたもので、生前親しく関わった人たちに「ありがとうございました」と深い感謝を捧げたもので、のり子さんらしい爽やかな手紙である。
彼女の死後、とても親しくしていた甥御さんが、空欄にしてあった日付と病名を書いて、のり子さんとつながりの深い人たちに発送されたそうです。
通知は次のことなどが書かれている。
《私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。------------「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか…》
のり子さん自身が設計し、生前のまま残る自邸のインテリアや庭、蔵書、食器、自筆原稿、日記などをカラーで撮影した『茨木のり子の家』(平凡社)に生前したためた『死亡通知』と彼女の死後、甥御さんが空欄にしてあった日付と病名を書いておくった『死亡通知』が掲載されている。
また、詩人・茨木のり子の本格評伝で著名な、後藤正治『清冽―詩人茨木のり子の肖像』(中公文庫)の【第1章 椅りかからず】にその経緯が静かに述べられている。
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〇『死亡通知』
このたび私 2006年2月17日クモ膜下出血にて
この世におさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は
お花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出して下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かに
して下さいましたことか…。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に
代えさせて頂きます。
ありがとうございました。
二〇〇六年三月吉日
※茨木のり子(著),小畑 雄嗣(写真)『茨木のり子の家』(平凡社、2010)
後藤正治『清冽―詩人茨木のり子の肖像』(中公文庫、2014)