日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎『みんなの介護』の「内田樹『賢人論・第90回』」

※インタネットでよく参照するサイトに『最新の社会保障・介護関連のニュースを配信している「みんなの介護』がある。

 その中の「賢人論」も時折読んで、いろいろ参考にしている。

 案内によると《「賢人論」は、「みんなの介護」がお送りする特別インタビュー企画です。様々な業界の第一線で活躍する“賢人”の皆さんに、介護業界の現場を取り巻く問題、将来の展望について、また自身の介護経験についてなど、介護にまつわるあれこれについて、自身の思いを忌憚なく語ってもらいます。》とあり、すでに11月の段階で126回になる。

 

 ここでは印象に残っている内田樹『賢人論・第90回』からその一部を見ていく。

▼〈みんなの介護:ご両親やお兄さんが亡くなってもなお、親子関係や兄弟関係が続いているんですね。

 

内田:そうです。父も母も兄も、死んでいるけれど、生きているのと変わらない。人間が死ぬのを怖がるのは、自分が死ぬと、世界から消滅して、まるではじめから存在していなかったかのように、家族や友人知人からもすっかり忘れ去られてしまうことが耐えられないからでしょう。

 

 でも、身近な人を失ってわかったのは、「たとえ死んでも、死者たちはすぐに消えるわけではない」ということです。むしろ、死んだ後の方が、その人たちのことを思い出し、その人たちのことに言及する機会が増えた。

 

 死者は簡単には死なない。僕が生物学的な死を迎えても、妻や、娘や、門人たちや、友人知人たちは、今しばらくの間、僕を生きている者として扱ってくれるはずです。「先生だったら、きっとこう言うよ」とか、「内田さんだったら、こうするはずだ」というようにして、身近な人たちにとっての判断や行動の基準として繰り返し言及されるのだとしたら、死んだ後も、生きていたときとそんなに変わらないですよね。

 

みんなの介護:そうだとすれば、死もそれほど怖いことではない気がします。

 

内田:ええ、そうです。老人になって、自分の死がリアルになってくるにつれて、「生」と「死」の境界線が曖昧になってきた感じがします。若いときは、「0/1」で生と死はデジタルに、明確に分かれていると思っていましたけれど、どうやらそういうものではない。生死の区別はけっこう曖昧で、生物学的に死んだ後も、死者はその場にとどまっていて、少しずつアナログ的に影が薄くなっていって、最終的には、十三回忌あたりでフェイドアウトする…、そういうイメージです(笑)。〉

 

 

 ・「死者生者まざりあって心をゆききしている」

 最近親しい友人をなくし、その奥さんと交信を重ねた。また身近な友人を見送ることが多く、昨年は長年交流していた同年代の友人がたて続けに亡くなり、自分も「死」を思うこともある。

 

 考え方としては、高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり、自然は水際立ってゐる」という言葉がいいなと思っていた。「人は死ねば死にきりで個としては存在しなくなるが、大自然に包まれ、その自然はあざやかにきわだっている。」という意だと思っている。

 

 だが、自分の心構えとしてはそれでいいだろうが、「死」については見送った人たち、残された人たちにとってはさまざまな思いが出てくる。

 

 また、わたしの意とはかかわりなく、死後の措置など、少なからぬ他の人たちをいやでも引きずり込む。

 

 生前いかに取るに足りない存在であったとしても、わたしの死はたぶん、たとえごくわずかであったとしても、わたし以外のだれかにとって、やはりなにがしかの意味は持つだろう。

 

 死については、1人称(自分)、2人称(関係の濃い人)、3人称(関係の薄いひと)という分け方で語られたりするが、3人称の死についてはどこまでも観念的になりがちが、2人称の親しい人の場合は、その人に応じた独特の感情がわきあがってくるようだ。

 

 実際のところ、私の中にはいろいろな方から授かったもの、すでに亡くなった人からも多大な影響を受けている。その意味では、死者生者まざりあって心をゆききしている。

 

 

▼〈成熟した人には、自分の中にさまざまな年齢の多様な人格がいる。だから、さまざまな人の思いや痛みがわかる

内田:生まれてから今日までの間に経験してきた、さまざまな感覚や記憶が、自分の内面で熟成し、多様な人格が渾然一体となっている。成熟というのは、そういうことなのではないかと思います。自分の中にさまざまな年齢の、別の人格が共生している。だから、さまざまな年齢の、さまざまな立場の人が何を考えているのか、何を感じているのか、それを自分自身に訊ねてみれば、なんとなくわかるんですね。

 

 もうひとつは、老人の目で世界を見ることは、「死者の目で世界を見る」ことの予備訓練だということです。死者は「死んだ後」から自分の生前を回想している。今、自分がしていることを「死んだ後から思い出している」というふうに仮定して、それが「死んだ自分」にはどんなふうに見えるのか、どんなふうな言葉づかいで記述されるのか…。それを考えることは、いまここで適切に判断し、行動するときに、とてもたいせつなシミュレーションだと思います。

 死者の目の方が「長いタイムスパン」でものを見ていますから、それだけ、ものごとの本質を見抜いている可能性が高い。

 

 若い人にとって現実は「今ここにある現実」という一種類しかありません。でも、老人や死者の目から見ると、現実にも濃淡がある。「生まれる前からずっとあり、死んだ後もまだある現実」と「生きている間に出現した現実」では、同じ現実でも強度が違います。薄っぺらな現実は、それが出現したときと同じようにあっけなく消え去る可能性がある。一方、厚みのある現実は、たぶんこれから後も存続するでしょう。

 

 若者が老人になったつもりでものごとを見るというのは、言い換えると、自分を取り囲む現実のうち「強い現実」と「弱い現実」を見分けるということです。「存在して当然のもの」と「偶然によって存在したもの」の現実性の厚みを測るということです。みんながありがたがっているものを「そんなのハリボテだよ」と言い切り、みんなが軽んじているものを「これは大切にしないといけない」と忠告することができるということです。〉

 

 

・「自分の主観で客観的に自分を見る」

 能の世阿弥の言葉に、自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならないという意の「離見の見」がある。自分の演じている姿を見る者たちのうちにおいて、よくよく見てみなければいけないという。実際には、眼は自分の眼をみることができないように、演じている自分の姿を自分で見ることはできない。

 

 ではどうやって、自分を客観的に第三者的に見ればいいのか。世阿弥は、「目前心後」ということばを用いている。「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に、外から見る心配りが大事だといっている。

 

 さらに、歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、前を見ることが要求され、自分の後姿を見ることを忘れてしまいがちになるという。

「後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず」(後姿を見ていないと、その見えない後姿に卑しさがでていることに気付かない)。(『花鏡』)

 

 これは、単に演劇の世界に限ったことではなく、何事にも通じることではないだろうか。自分の主観で客観的に自分を見るのだから大層難しいと思うが。

 

 死者の眼、老人の眼、病人の眼、子どもの眼など、さまざまな立場の眼になって見ていくことは、難しいと思うが、大事なことだし面白そうだ。

         

参照 :内田樹『賢人論・第90回』 取材・文/盛田栄一(2019/05/13)

 https://www.minnanokaigo.com/news/special/tatsuruuchida3/

「賢人論」サイト:https://www.minnanokaigo.com/news/special/