日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎〈対話〉の可能性(鷲田清一「ひとを理解すること」から)

〇先日掲載した、平田オリザ『対話のレッスン』の「二一世紀、対話の時代に向けて」で次のように述べる。

〈二一世紀のコミュニケーション(伝達)は、「伝わらない」ということから始まる。……対話の出発点は、ここにしかない。

 

・私とあなたは違うということ。

・私とあなたは違う言葉を話しているということ。

・私は、あなたがわからないということ。

・私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないということ。

・それでも私たちは、理解しあえる部分を少しずつ増やし、社会のなかで生きていかなければならないということ。

・さらに、そのことは決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ。(中略)

・そして、自分と他者との差異を見つけよう。差異の発見のなかにのみ、二一世紀の対話が開けていく。差異から来る豊かさの発見のなかにのみ、二一世紀の対話が開けていく。〉

 

 ひとりでは生きていけない人間は、さまざまな人間とコミュニケートしながら社会をつくる。

 その他者は、自分とはまったく異質の存在ともいえるし、相手から見た「自分」の姿でもある。

        ☆

 

 上記に関連して、鷲田清一の「ひとを理解すること」について見ていく。

 これは、〈ひとは他者とのインターディペンデンス(相互依存)でなりたっている。「わたし」の生も死も、在ることの理由も、他者とのつながりのなかにある。日常の隙間からの「問い」と向き合う〉との著『大事なものは見えにくい』の中のエッセイ。

 

「わたしに他人の痛みというのがどうしても分からないんです------」。

  こういう素直な発言がわたしは好きだ。との書き出しから始まる。

 

〈「理解」ということが、他人と同じ気持ちになること、より具体的には他人と同じように感じたり、同じように考えたりすることだとしたら、そんなことは人間にはおそらく不可能であろう。また感情伝染のばあいのように、不意にまるで天啓のように同一の感情にとらえられるということもないではないであろうが、それは感情の共振ということであっても「他者の」理解ではない。なぜならそこには、「他者の理解」というものがなりたつ前提である、他者とのあいだの隔たりというものが消去されているからだ。〉

 

 よく介護の現場で、身体の状況だけでみるのではなく、その人の人生観や生活を含め「全人的」に見ることが大事とよくいわれる。言わんとすることは、一面そうだと思うが、他者を「全人的」に理解することは不可能である。

 

 なぜなら、ひとは一つの完結した全体として捉えられるものではなく、過去の経験や無意識な欲望など、じぶんでも気づかないまま、そのひとの生をかたちづくった性向というものがあるからだ。自己をみても。

 

 自己のことであれ他者のことであれ、分からないこと、理解不能な部分がはるかに多いのでなないか。

 そして、次のように述べる。

 

〈まず、分かる、理解するというのは、感情の一致、意見の一致をみるというのではないということ。むしろ同じことに直面しても、ああこのひとはこんなふうに感じるのかというように、自他のあいだの差異を深く、そして微細に思い知らされることだということ。いいかえると、他人の想いにふれて、それを自分の理解の枠におさめようとしないということ、そのことでひとは「他者」としての他者の存在に接することができる。

 ということは、他者の理解においては、同じ想いになることではなく、自分にはとても了解しがたいその想いを、否定するのではなくそれでも了解しようと想うこと、つまり分かろうとする姿勢が大事だということである。〉

 

 他者のことを分かるということは、同じ意見や感情を持つということではなく、同じ状況に直面した時も、あなたはこう感じるのね、と自他との間の差異を深く思い知らされることなのだろう。

 

 他者を理解するには、同じ思いになることでもなく、自分と違う意見を否定するのでもなく、分かろうとする姿勢が大事だと思う。

 

 理解するとは、合意や合一といった結果ではなく、分からないままに身をさらしあうプロセスなのではないか。

 

「わたしに他人の痛みというのがどうしても分からないんです------」は、鷲田氏知人のある大学教授の言葉だ。

 

 海外にいたとき、彼の妻が交通事故にあい、そのことから神経に失調をきたし、はげしい閉所恐怖症による不可解な行動がつづき、彼女の恐怖がどういうものかよく分からないという。

 それでも、彼女の傍らを去らずに、ずっと一緒に移動している----。

 

〈そのことが、彼のばあい、彼女へのたしかな「理解」になっていたのではないか〉と、鷲田氏はおもう。

         ☆ 

 参照:※せんだいメディアテーク建物の正面には、哲学者で館長 鷲田清一さんの言葉が壁一面に掲げてあるそうだ。

 

〈『対話の可能性』(鷲田清一)

 人と人のあいだには、性と性のあいだには、人と人以外の生きもののあいだには、どれほど声を、身ぶりを尽くしても、伝わらないことがある。思いとは違うことが伝わってしまうこともある。<対話>は、そのように共通の足場を持たない者のあいだで、たがいに分かりあおうとして試みられる。そのとき、理解しあえるはずだという前提に立てば、理解しえずに終わったとき、「ともにいられる」場所は閉じられる。けれども、理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。

 対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人と自分との違いがより繊細に分かるようになること、それが対話だ。「分かりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことなのだ。

「何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものなのです」(バーナード・ショー)。何かを失ったような気になるのは、対話の功績である。他者をまなざすコンテクストが対話のなかで広がったからだ。対話は、他者へのわたしのまなざし、ひいてはわたしのわたし自身へのまなざしを開いてくれる。

 対話は、生きた人や生きもののあいだで試みられるだけではない。あの大震災の後、わたしたちが対話をもっとも強く願ったのは、震災で亡くした家族や友や動物たち、さらには、ついに“損なわれた自然”をわたしたちが手放すほかなくなってしまった未来の世代であろう。そういう他者たちもまた、不在の、しかし確かな、対話の相手方としてある。

(せんだいメディアテーク館長 鷲田清一)>