〇おぐらやま農場から、桃・「あかつき」が届く。
「あかつき」は桃の中でもとっても美味しくて人気が高く、親しくしている人に贈答用に使い、喜びの電話連絡があった。
年間会員用の添え書きによると、「あかつき」は、冬の剪定から始まり、花芽落とし、摘果を約3週間おきに3回、草刈り、袋掛け、病虫害防除、支柱で枝支え、収穫作業となると述べている。
桃・「あかつき」に限らないが、いろいろな過程・世話があり、素晴らしい農産物ができるのだろう。
「ひとのいのちに責任の持てる食べ物をつくりたい」と独自の農法を展開しているおぐらやま農場は、農薬使用量を極度に抑えた低農薬栽培に取り組んでいて、その農法・考え方により年々美味しくていいものが出来ている気がしている。
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○じっくり育てることの大切さ
私は、北海道での酪農から始まり精肉など牛関係の仕事に20年ほど携わってきた。
その体験からすると、店で見ることができる「牛肉」「加工品」に、どれだけ数多のエネルギーが籠められているのかは、携わったことのない人には、よく分からないのではと思う。
また、自家用の農作物を作る過程で、面白さを覚えるとともに、自然環境にかなり左右されることもあり、その難しさも分かって、これを職業とするのは大変だなと思っている。
現代社会の特徴的な考え方として、自動販売機的な発想法がある。
その発想法は、簡単なボタン操作で手軽に扱える様々なものを産み出し、確かに便利な感じもあり、結構私も利用している。
それでもボタン操作一つで大量にものが操作されていて、大した手間をかけずに、自らの希望のものが手に入るという発想である。
この発想法は、確かに便利な面もあるが、ものごとに対する配慮の念、心の粗末な味気ない暮らしになっている面もあるだろう。
ウィキペディアによると、そのような装置は紀元前のエジプトにもあったらしい。
19世紀後半になると硬貨によるものが初めて出て、日本社会に広く普及したのは1960年代以後と言われている。
自動販売機などの機器においてはあまり問題にもならないが、大した手間をかけずにすぐに結果を求める発想には危惧を覚える。その風潮が社会に蔓延っているのではと感じる。
ここで取り上げたいのは、この発想法は自然環境の維持や農業、教育にはなじまない、通用しないということ。
ここにきて関心をいだいている孫の育ちを見ていると、日々いろいろな不具合なことが起こってくるが、それに対処しつつ、ゆったりと「待つ」「見守る」ことも大事だなと思う。
このことは乳幼児期に限らないし、子どもの育ち、教育にはもっとも大切の心構えである。
これらは、長年かけてそこに住む人、携わる人々の試行錯誤によってじっくり育むもので、すぐに結論が出るものではない。
自動販売機的発想法の便利さを否定するのではなが、じっくり育てていくことの必要性、こちらの方が比較にならないほど人と社会にとって大切なものであると思う。