日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(1歳10ヶ月)自律性を大事に。

〇孫の成長記録(1歳10ヶ月)自律性を大事に。

 孫はいろいろなこと分かるようになり、大体こちらの伝えたいことも分かってきて、素直に応じるときもあれば、イヤイヤをすることもあり、また要求も強くなってきた。

 

 イヤイヤは子どもの要求とこちらの事情がぶつからで、その要求がどこまで通用するのか、試しているようなときもあり、大体は収まるが、徐々に長くなってきた。

 

 幼児が2~3歳頃になると、自己主張が強くなり、親の言うことを聞かないことが多くなり、この時期を、第一次反抗期(イヤイヤ期)というらしいが、まだまだそれほどではない。

 

 分かろうとする探求意欲もましてきて、いろいろなことに手を出して調べようする。しばらくいじりながら不思議そうな顔をしたり、笑ったり、一人遊びをしているように見える時間も長くなってきた。

 

 何かといろいろなことをやって見たがる。すぐにできない、あるいはたどたどしいこともあるが、何度も自律的に挑戦することも多くなった。

 

「自律」は、自分で考え、自分で目標を定め、自分で行動を選択すること。それに対して、「自立」は他に依存しないで、自分でやっていく、経済的、精神的に一人で立つこと。

 

「自分で決めたい」という感覚は生まれながらに誰もが持っているだろうし、乳幼児に限らず子育ての要点はその子の「自律性」を支援することと思う。

 

 娘夫婦とともに、特にこの時期は孫の自律性を温かく見ていきたいと思っている。

 

 孫はわが家に来ると、「リンゴ」といいながら冷蔵庫の前に行く。かなり早い時期からおぐらやま農場のリンゴのドライフルーツがお気に入りで、まずそれを要求する。

 トマトジュースも好きで、「ジュース」はいち早く覚えたことばでもある。

 

 7月からはブルーベリー、桃と続き、しきりに催促する。桃はお昼ご飯の後、デザートとしてジジババと、一つを分けて食べる。

 

 妻が冷蔵庫から桃を出すと、表情全体が桃の実になったようで、うれしくてたまらないようである。一口で食べられるように、切り分けたものを一心不乱に食べる。

 

 その後、ジジババのお皿にあるものをしきりに指さしをする。

 種の塊が残り、「固いから食べられないよ」といっても、フォークで刺したり、手でつかんだりして、納得して一段落。

               ☆

〇二人目の孫の誕生。

 8月27日の夜遅くから娘の陣痛が始まり、病院と連絡とって、「しばらく様子を見ていて、もう少し頻繁になった連絡ください」とのことで、しばし様子を見ていが、頻繁になってきたので、旦那が夜中3時頃連れて行ったところ、車の中で破水が始まりそこで生まれた。

 その後、病院でいろいろな処置をして、母子とも無事であったそうである。

 

 上の孫は、27日の夜から居宅で過ごす。何となく母がお産で病院に行ったことは分かるらしいが、屈託のない様子でぐっすり眠る。

 

 翌朝、彼が来て、その一部始終を話してくれる。またスマホで、その時の写真を孫に見せ、興味深そうに見ていた。

「これ弟で今日からお姉さんだよ」と声をかける。どの程度理解したのか分からないが、何か嬉しそうだった。

 

 31日夕方に退院してきて母子とも元気そうだ。 

 孫はわが家で夕食を終えたところに赤ちゅんと初対面。

 周りから聞いていたこともあり、弟が出来たことはうれしくてたまらないらしく、しきりに赤ん坊の頭を撫でまわし、はしゃぎ回る。

 

 孫は1歳10ヶ月過ぎだが、大方は理解しているようで、たいしたものだと思った。

  私はこの先どれぐらい生きるのか分からないが、二人の孫を見守っていくのを、楽しみにしている。

 

(追記)

 三〇歳代後半に第一子を設けた娘とその夫は、子育ての手間の大変さを思いつつも、それ以上になんともいえない楽しさを味わい、夫婦とも早くから兄弟として、次の子の誕生を描いていました。

 むろん、経済的な物的な環境、一夫婦だけに負担がいかない人的環境などが欠かせませんが、子ども同士で育ち合うことを思い、次の子を産むことはゆるがなかったです。

 爺として気楽な立場の私から見ても、子どもを育てることで夫婦ともそれに応じて成長をしているなと感じています。

 少子高齢化でいろいろ言われていますが、いくつかの課題があるにしても、まず、当事者が、子育ての楽しさを覚えることが肝要だと思っています。