日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎支え合いで成り立つ社会へ。

〇わたしが60歳の時、妻の90歳を越える両親の生活状況が厳しくなっていて、義父母の一緒に暮らしたいとの要望もあり、2007年12月に三重県鈴鹿市から島根県出雲市に移住した。四人合わせて300歳を超えていた。

 

 出雲に移住してから、両親が手掛けていた自家用の野菜づくりを引き継ぎ、子どもや知人に随時いろいろなものを贈っていた。だんだん自分たち家族だけではなく、そのことも含めて作業計画を立て、だんだん面白さ、張合いのようなものが出てきて、能力いっぱいに作っていた。

 

 両親が亡くなり、家の整理をして2015年8月に神戸市に引っ越しした。

 子どもたちは、畑がなくなることで、私たちの楽しみがなくなるのではないかと心配していた。ある時まで、娘は、身近に畑ができるような物件も探していた。

 

 相応しい市民農園などがあれば無理のないところで関わろうと考えていたが、ことさら高齢化した私たちが手掛けることもないとも思っていた。今ではとてもそれだけの気力はないが。

 むしろ、いろいろ取り組んでいる人たちと繋がっていくことが大事だと思っている。

 

 神戸に来てから、義兄が大手術をしたとの連絡を受けた。近年このような連絡が度々あり、お互いに何が起こってもおかしくない年齢ではあるが、いろいろ思うこともあり、随分と心配した。その後の状態は良好だということで先ずはホットしている。

 

 様々なことで、出雲での私たちのことを支えてくれた夫婦で、回復祝いということで、妻と相談して、おぐらやま農場から「シナノ3兄弟」というリンゴのセットを贈った。

 義姉から、丁寧な包装形態やそのリンゴのおいしさの、大層喜んでいる様子が伝わってくる電話を受け、私たちもうれしくなった。

 

 私たち夫婦が知人たちに会いに安曇野に行ったとき、おぐらやま農場を初めて訪れた。そこで農に一生をかけている姿に触れて、逞しさを感じ、その考え方に共鳴し、ささやかながら応援をしたくなり、早速年間コース会員に登録してから定期的に送られてきて、子ども達共々美味しくいただいている。

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○朝日新聞に、稲垣えみ子「(ザ・コラム)選挙の後に 毎日が投票日かもしれない」に、近所のおしゃれな雑貨店の張り紙の言葉として、「お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ」が紹介されていた。

 

▼〈少数意見の尊重は民主主義の大切な理念ですが、何をもって「尊重」とするかは定かではありません。一方で、新聞は日ごろ「公正な選挙は民主主義の根幹」と訴えているのです。なのに、選挙の勝者が強いリーダーシップを発揮すると文句を言う。権力監視がマスコミの役割とはいえ、我ながらどうもスッキリしない。

 

 選挙とは、政治とは何だろう。考えるほどに、だんだん選挙がキライになってきました。「選挙=民主主義」だとすれば、我々が力を行使できるのはせいぜい数年に一度です。主権者とおだてられながら、なんと空しい存在でしょう。

 

 そんなある日、近所のおしゃれな雑貨店でこんな貼り紙を見たのです。

「お買い物とは、どんな社会に一票を投じるかということ。」

 ハッとしました。買い物=欲を満たす行為。ずっとそう思っていた。でも、確かにそれだけではありません。お金という対価を通じて、それを売る人、作る人を支持し、応援する行為でもある。ささやかな投票です。

 

 選挙は大事です。でも選挙以外のこと、すなわち、一人一人が何を買い、日々をどう暮らし、何を食べ、どんな仕事をし、だれに感謝を伝え……ということは、もっともっと大事ではないか。逆に言えば、そうしたベースを大切にし尽くして初めて、意味のある選挙が行われるのではないか。投票しさえすれば、誰かがよい社会、よい暮らしを実現してくれるわけじゃない。

 

 当たり前のことですが、どうもそこを忘れていたことに気づいたのです。

 以来、「お金=投票券」というつもりでお金を使っています。

 

 例えば、私の愛する日本酒。私の好きな酒を造る人、そんな造り手の思いを消費者に届けようと奮闘する酒屋を支持する気合を込めてお金を払います。「がんばって」「応援してるよ」と心の中でつぶやいてみる。そうつぶやけない酒は(できるだけ)飲まない。この行動を、すべての買い物で実現しようとしています。

 

 そう思うと、買い物って実に爽やかで豊かな行為です。買ったモノを楽しんで使うだけでなく、買うことが自分にとって心地よい世の中を作ることにつながっていく。お金の持つ可能性が何倍にも広がり、生きることが楽しくなりました。自分を支えてくれる人が幸せになって初めて、自分も幸せになれることにも気づかされました。私はひとりではなかったのです。

 

 今や消費者というより、好きな働き手を支える投資家の気分です。日々闘いです。

 先日、優しい老夫婦が切り盛りする、昔ながらの近所の手作り豆腐屋が店を閉めました。悔しいです。後継ぎがおらず、私が数百円払ってせっせと豆腐を買うだけでは力不足でした。ネットで全国の豆腐屋をもり立てる活動を起こすとか、もっとできることがあったのではと悩んでいます。そして、こんな豆腐屋さんが生き残っていけるような政治をのぞみたいのです。

 

 私にできること。政治にできること。まずはそこからしっかり考える。そう決意を新たにする年の初めを過ごしています。〉

(「ザ・コラム 選挙の後に 毎日が投票日かもしれない」 稲垣みえ子 朝日新聞デジタル 2015年1月3日より一部抜粋)〉

          ☆

 

 私たちは、長い間ものを買うときに、品質とともに値段を気にし、少しでも「特」になる安くていいものを得られるようなところを狙って、いろいろ調べて買っていた。そのほうが、特定な関係による変なしがらみがまとわりつくことなく、自由な感じがしていた。

 

 だが、出雲に移住してから、様々な人と交流を重ねるうちに、徐々になじみの人とそのお店や会社が増えていき、次第に値段というよりも、総合的な信頼感のようなものでつながりができてきて、そこで必要なことを誂えるようになっていった。

 

 そうなると、買い手と売り手との関係でなくなり、業務以外のいろいろな日常的な相談事も交わし合うようになっていく人も増えていく。神戸市への引っ越しに際して、そのような方たちにもお世話になった。神戸にきてからもいろいろな方に支えられている。

 

 緩やかではあるが、このような交流が地域社会づくりにつながっていくように思っている。

 日々、当たり前のようにしている行動に、大事なことがあるのではと考えている。