日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎友人T・Yさんの「命の終い方」について思うこと。

〇T・Yさんのかなり厳しくなってからのFacebookの記事や交信からは、「奥さんをはじめみんなに支えられて生かされている」という心がしみじみ伝わってきていました。

 

 次の記録も印象に残っています。

〈2020.7.31:いろいろ心配してくれてありがとう。まず前提にそれぞれその人のいきかたがある、死に方もあると思います。私が共同体と言われる村を出る時はっきり決めたこと、それは世間の普通の人と一緒に暮らすことでした。近所の人、いろんな宗教の若い人(近くにいろんな宗教がある)としゃべったり。農業をやる人、後継ぎでやってる人としゃべったり。

 だから今の保険での標準治療をやって、どんな気持ちになり、医療従事者の姿に接していろいろ考えさせられました。私のおやじは普通の親父でしたが、にてきましたね。尊敬してますよ。それぞれの生き方死に方を出来ることなら否定しないで見守ってくれると嬉しいですね。〉

 

 奥さんから次のファクスがありました。

 10月19日からT・Yさんがお亡くなりになる11月8日まで、在宅療養支援診療所のTホームケアクリニックのT医師に家での暮らしサポートをしていただいたそうです。

 

 そのT医師のブログに、ちゃんと自分自身で身近な人たちと人生会議を見事にしていたT・Yさんのことが紹介されていました。

 

 内容は、やがて死にゆく彼の意思として、奥さん、娘さん、田中医師に明確に伝え、それをやりきってすこやかに旅立されたことなどが書かれています。

 

 その内容から、彼らしい潔さを、私は感じました。

 

 病状が大層厳しい状態になるとある程度予想がつき、そのときに切実に思ことは、大きく二つあるのではと思います。

 

 一つは、自身が心穏やかに旅立こと。もう一つは、奥さんをはじめ身近な人たちが悲しみの中でも、「Tさんよくやったよ、ありがとう」と旅立の見送りができること。

 

 何せ、大層痛々しい人をケアする親身あふれる伴走者にとって、当事者と同じぐらい心が痛々しくなります。

 

 そのことを含め、身体の状態がどうあろうとも意識が明確ならば、もう一段階高い客観的な眼で、自分のことと残された家族など身近な人のことも同時に、今何をしたらベストなのか、考えるようになる方もいるのではないでしょうか。といっても難しいことですが。

 

 T・Yさんはそのことを十二分に自覚していたと思います。

 

 Tさんは、このような仕事をしている医師として、いろいろなケースに触れていると思います。

 その中で、T医師のブログから、そのことを充分にやり遂げて旅立れた彼の生きざまに強い印象を受けたことが伝わってきました。

 

 また、このような状況のとき、心の広い専門職(医師、介護士など)に出会うのも大きなことです。

 T医師のような人に付き添ってもらって、よかったなと思いました。

          ☆

 

 親しい人の死去に触れるたびに、思い起こす文章がある。

 鶴見俊輔さんが、交わりのあった百数十人の故人について悼む心を綴った『悼詞』の「あとがき」である。

 

▼〈「あとがき」

 私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。そのおおかたはなくなった。

 

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。死者生者まざりあって心をゆききしている。

 

 しかし、この本を読みなおしてみると、私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない。こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。

(二〇〇八年八月一九日  鶴見俊輔)〉

 

※「鶴見俊輔『悼詞』(編集グループSURE、2008)