日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎孫の成長記録(姉・2歳1ヶ月、弟・3ヶ月)身体で世界とつながる.

〇全身を使って

 弟が出来たことで、2年ほどの違いがあるお姉ちゃんの育ちを振り返ることもあり、乳児の育ちを複合的に見ることができ、面白い。

 

 弟は3ヶ月を過ぎ、目元もしっかりしてきて、目の前のものをじっくり見つめる時間も長くなり、追視できる範囲も徐々に広がっている。

 また、眼の輝きからすると、娘宅とわが家の違いやいろいろなことが何だかわからないにしても違いが分かるのではと思う。

 

 お姉ちゃんは話す言葉も増え、わが家にくると「これはナニ?」と問いかけることも増えてきた。

  妻の投げかけに対して、オウム返しに言ったりして、自己主張もあり、コミュニケーションになっている。

 

 手先も器用になり、ものを食べるとき、少し前まではすぐに手掴みになっていたが、スプーンやフォークを上手に使って食べている。

 

 最近のお気に入りは、ボールペンやマジックペンで何か描くことで、まだまだぐるぐると円らしきものを描くことや線をぐしゃぐしゃと描ける程度。さらに、ボールペンを分解したりして、興味深そうに遊んでいる。 

 

 二人に共通していることは、全身を使って表現すること。

 

 弟は、泣くとき手足をバタバタさせ体を揺らして泣く。全身を使って表現している。

 お姉ちゃんは、大層嬉しいとき全身を使ってジャンプしたり、手をあげたりして喜ぶ。

 

 私の場合は、喜びにしても控えめにしているような部分があり、乳幼児の生命力の素直なエネルギーを感じる。

 

 乳幼児がどうやって世界を知るのかといえば、ほとんどの情報は「からだ」を通じて脳に入ってくるのではないか。

 手で触ってみる、耳で聞く、目で見る、舌で味わうなど、身体は外界と脳とをつなぐ接触面の働きがある。手足、皮膚、目、耳、鼻、口などなど。

 

 からだを取り巻く感覚やお母さんなどの密着した人をも含めた「身体性」こそが、子どもが世界とつながる基盤であると思う。

 

〇二人目の孫のお宮参り。

 二歳過ぎのお姉ちゃんと新生児の弟を伴って娘夫婦と私たち夫婦でA神社へお宮参りをした。

 

 お宮参りとは、子どもが生まれたことをその土地の守り神がいらっしゃる神社へ、子どもの健やかな成長を祈って参拝する儀式のことを表す。文化的な生活が営まれるほどの昔から、日本人は新たな生命の誕生を祝う行事を行ってきたといわれている。

 

 お宮参りは地域の違いはあるとしても、生後一ヵ月ほどの時期に行うことが一般的らしいが、赤ちゃんの状態や母親の産後の回復の様子などをみながら、上の孫と同じように、ほぼ三か月後に企画した。

 

 三か月も経つと、新生児もある程度しっかりしてきて、よくは分からないとしても、家族と馴染んでくる。そして、母をはじめ、身近な人たちに、ここまで育ったなと思わせる月日でもある。

 

 はじめて、お姉ちゃんのお宮参りの話を娘夫婦から聞いたとき、関心はそれほどなかった。だが、生まれたばかりの赤ちゃんを育てていくことは大層なことなので、大事な節目になるかもしれない。

 

 また、二年前のお姉ちゃんのときも思い出していた。そのお姉ちゃんは、よくわからないにしても、時々弟にちょっかいを出しながら、楽しそうにはしゃぎまわっていた。

 

 形式は自分たちのやれる範囲でお祝いすることで、このような通過儀礼は、娘夫婦をはじめ関係者にとって喜ばしいことだなと改めて感慨を懐いた。