〇Mさんが亡くなられて1年がたちました。
最近、宮地さんのブログ「かたつむりつれづれ」、手紙などを読み返しています。
私にとってMさんとは40年以上の交流があり、以前の職場の同僚で切磋琢磨していた間柄でもあり、さまざまな感慨があります。
2018年の年賀状は “宇宙に、ありがとう” という語句から始まり、「世界中のみんなで幸せになろう!」とあり、近来の心境そのものだと思います。
幸福な社会をめざすことに裏づけられた、とても面倒見の良い、心の底から明るい人でした。
2017年5月に、吉田光男さんの『わくらばの記』を送った後、その読後感を含めて手紙をいただきました。また、ブログから作成した小冊子『人として生きるー認知症との出合いの記録』を送ってくれました。これは宮地さんと若年認知症の方との交流記録で、宮地さんらしさが滲み出ていて、その手紙とともに読み返ししました。
その手紙の最後は次のようになっています
《吉田さんのような最期の迎え方が心に刻まれたように思います。
どんな死に方になるか、今では描けません。心室の不整脈がなくなったわけでもないので、再発して動けなるとか、突然死もありそうです。
今は養生暮らしですが,一挙手一投足に、「これは何のために?」という問いが、どうも最近知らずにでてきているように感じます。「何のため」がたよりない感じです。
(中略)
ここまで書いてきて、吉田さんは吉田さんらしく、最期まで生き切ったんだなと感じます。ぼくらは、さてどんな最期になるかなあ》で結ばれています。
最期の「ぼくは」とか「ぼくとあなたは」と書くところを、“ぼくらは”と書いたところに目が留まりました。今まで気がつかなかったですが。
近来の年賀状で何回か、「世界中のみんなで幸せになろう!」の文言が添えられていました。
穿った見方になるかも知れませんが、“ぼくらは”は「世界中のみんなは」につながっているような気がしました。
また、ブログ「かたつむりつれづれ」に、いろいろ刺激を受け親しんできました。 その中の「覚悟(友人への返信)19/2/21」の文章も読むたびに心に残ります。
《『理想の暮らしを語る会』を数年前に立ち上げました。
真っ先にぼくが死にいたる病が進行して、いまは介護を受ける身です。
要介護2となり、週に4回看護婦さんに来ていただき、腹膜透析の介助を
してもらっています。これ(腹膜透析)が、生きていく最後の治療です。
制限はかなりきびしいですが、いまの状態はまず安定しています。
仙台のM美さんから、手紙と仙台で有名なスープを送って
くれました。好きなので、とてもありがたく思っています。
人は何歳になっても、どんな人生を全うしたいのか自問するものですね。
来し方をふりかえると、どれだけ有意義な時間を過ごしたのかと考えさせられます。
今、鈴鹿では、じぶんの幸不幸や豊かさについて、どう捉えて
生きてきたかについて、自分の心の中を包み隠さずにみんなで
出し合うことをしています。
ぼくは、そういう場には出れないですが、ブログや録音で、何が
次の人生とか社会なのかすこしずつ、考えています。
手紙で数十年前からつきあってきた仲間の近況も知れて、なつかしいです。
かたいこと書いてしまった。おゆるしを。
家族とは、ぼくが死んだときにどうするか、みたいな話を
ときどきふつうの会話でしています。
ぼくの病気の半数は突然死らしい。今こんな元気なのに。
いつ、どうなるかわからないなあ、と思いながら、暮らしています。
もう、これ以上書くのは限界です。》
「人は何歳になっても、どんな人生を全うしたいのか自問するものですね。
来し方をふりかえると、どれだけ有意義な時間を過ごしたのかと考えさせられます。」
これは今の自分にも当てはまる問いかけだと思っています。
人は何歳になっても、安易に答えを見つけたり、解明したりするのではなく、問い続けることが大切なような気がしています。
※吉田光男『わくらばの記』はブログ「広場・ヤマギシズム」の連載『わくらばの記』に掲載しています。