日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎友人・M・Mさんの一周忌に思うこと。

〇Mさんが亡くなられて1年がたちました。

 最近、宮地さんのブログ「かたつむりつれづれ」、手紙などを読み返しています。

 

 私にとってMさんとは40年以上の交流があり、以前の職場の同僚で切磋琢磨していた間柄でもあり、さまざまな感慨があります。

 

 2018年の年賀状は “宇宙に、ありがとう” という語句から始まり、「世界中のみんなで幸せになろう!」とあり、近来の心境そのものだと思います。

 幸福な社会をめざすことに裏づけられた、とても面倒見の良い、心の底から明るい人でした。

 

 2017年5月に、吉田光男さんの『わくらばの記』を送った後、その読後感を含めて手紙をいただきました。また、ブログから作成した小冊子『人として生きるー認知症との出合いの記録』を送ってくれました。これは宮地さんと若年認知症の方との交流記録で、宮地さんらしさが滲み出ていて、その手紙とともに読み返ししました。

 

 その手紙の最後は次のようになっています

《吉田さんのような最期の迎え方が心に刻まれたように思います。

 どんな死に方になるか、今では描けません。心室の不整脈がなくなったわけでもないので、再発して動けなるとか、突然死もありそうです。

 今は養生暮らしですが,一挙手一投足に、「これは何のために?」という問いが、どうも最近知らずにでてきているように感じます。「何のため」がたよりない感じです。

(中略)

 ここまで書いてきて、吉田さんは吉田さんらしく、最期まで生き切ったんだなと感じます。ぼくらは、さてどんな最期になるかなあ》で結ばれています。

 

 最期の「ぼくは」とか「ぼくとあなたは」と書くところを、“ぼくらは”と書いたところに目が留まりました。今まで気がつかなかったですが。

 

 近来の年賀状で何回か、「世界中のみんなで幸せになろう!」の文言が添えられていました。

 穿った見方になるかも知れませんが、“ぼくらは”は「世界中のみんなは」につながっているような気がしました。

 

 また、ブログ「かたつむりつれづれ」に、いろいろ刺激を受け親しんできました。 その中の「覚悟(友人への返信)19/2/21」の文章も読むたびに心に残ります。

 

《『理想の暮らしを語る会』を数年前に立ち上げました。

真っ先にぼくが死にいたる病が進行して、いまは介護を受ける身です。

要介護2となり、週に4回看護婦さんに来ていただき、腹膜透析の介助を

してもらっています。これ(腹膜透析)が、生きていく最後の治療です。

制限はかなりきびしいですが、いまの状態はまず安定しています。

仙台のM美さんから、手紙と仙台で有名なスープを送って

くれました。好きなので、とてもありがたく思っています。

人は何歳になっても、どんな人生を全うしたいのか自問するものですね。

来し方をふりかえると、どれだけ有意義な時間を過ごしたのかと考えさせられます。

今、鈴鹿では、じぶんの幸不幸や豊かさについて、どう捉えて

生きてきたかについて、自分の心の中を包み隠さずにみんなで

出し合うことをしています。

ぼくは、そういう場には出れないですが、ブログや録音で、何が

次の人生とか社会なのかすこしずつ、考えています。

手紙で数十年前からつきあってきた仲間の近況も知れて、なつかしいです。

かたいこと書いてしまった。おゆるしを。

家族とは、ぼくが死んだときにどうするか、みたいな話を

ときどきふつうの会話でしています。

ぼくの病気の半数は突然死らしい。今こんな元気なのに。

いつ、どうなるかわからないなあ、と思いながら、暮らしています。

 

もう、これ以上書くのは限界です。》

 

「人は何歳になっても、どんな人生を全うしたいのか自問するものですね。

来し方をふりかえると、どれだけ有意義な時間を過ごしたのかと考えさせられます。」

 

 これは今の自分にも当てはまる問いかけだと思っています。

 人は何歳になっても、安易に答えを見つけたり、解明したりするのではなく、問い続けることが大切なような気がしています。

 

※吉田光男『わくらばの記』はブログ「広場・ヤマギシズム」の連載『わくらばの記』に掲載しています。