日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎阪神淡路大震災から25年がたち、思うこと。

〇先日阪神芦屋駅の踏切で高齢と見える男の人が転んだ。丁度信号が鳴り出し、遮断機が下りるところだった。すぐに線路の外に這い出してきたが倒れたままだった。丁度眼の前でみたので、ハットしたが、自分の体は動かなかったというか動こうとしなかった。

 その人はなかなか起き上がれなかったが、幸い別の人が抱き起した。足をひきずりながら帰っていったところを見ると、体の不自由なお年寄りのようであった。

 阪神淡路大震災に限らず、近来の豪雨や台風などの災害が起こったとき、高齢者、重病者、障碍者など弱者はより一層の困難を抱えることになるおそれがある。

 私の場合も、自分が逃げる、避けるなどに精一杯で、他を助ける、救うことに体が動かないような気がする。むろん、妻へどの程度気をかけるのかを含め、そのときにならなければわからないことだが。

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 阪神淡路大震災から25年がたち、震災を知らない世代が増え風化が進む中、記憶・教訓を継承する取り組みの重要性を考える報道が多かった。

 今年は「震災障害者」との言葉が特に気をひいた。「震災障害者」とは、震災によって障害を負い体が不自由になった人たちのことだ。

 6434人が亡くなった阪神淡路大震災では、一万人以上の人が重傷を負ったといわれている。

 

 2007年、発災当時から阪神淡路大震災の被災者を支援し続けてきたN神戸市のPO法人「よろず相談室」は次のように述べている。

〈◇なぜ震災障害者か

1.震災によって障害者になること

 震災障害者の特異性(平常時に障害を負う場合との違い)は、障害を負った人を支える環境が震災によって壊れてしまうという点にあります。つまり、本人の障害の問題だけでなく、家族や住まい、地域の繋がり、いちどに何もかもが奪われるのです。重いクラッシュ症候群になったAさんの一家は、自宅が全焼、3人の子どものうち2人が亡くなり、夫は職を失いました。片足を切断したBさんの一家は、自宅が全壊、2人の子どものうち1人が亡くなりました。既存の障害者施策では到底救われない苦境に陥るのです。

 このような状況に直面し、復興していく社会から置き去りにされたと感じた人も多かったと聞きます。前向きに生きる気力を失った人もいました。毎日新聞の調査によると、震災障害者とその家族の4割が自殺を考えたと回答しています。

2.震災後の社会の眼差し

 ところが、このような震災障害者の苦しみは、なかなか理解されませんでした。震災が起き、多くの人が犠牲になる状況では、「障害が残っても、生きているだけましなのでは」という見方をされがちです。けれども、「いのちの次に大切なのは身体のはず。なのに、震災で障害を負った人を誰も見ようとしなかった」(ある震災障害者の家族のことば)のです。

 また、行政の方針も、「震災障害者を特別に扱う必要はなく、既存の障害者施策で充分」というもので、長いあいだ、震災障害者の実態調査すら行われず、相談窓口もありませんでした。

3.ようやくできた集いの場

 そんななか、よろず相談室は、後遺症を抱える男性のひと言をきっかけに、「震災障害者と家族の集い」を始めました。〉

 ※npo-yorozu.com/?page_id=725

 

〇一人ひとりに寄り添って

 17日、NHKスペシャル『阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年大震災の子どもたち』を見る。

 番組案内は次のようになっている。

〈阪神・淡路大震災から四半世紀、25年の歳月が過ぎた。この節目の年に私たちは、社会心理の専門家とタッグを組み、これまで前例のない大規模調査を行った。

 対象は震災当時、小・中学生(6~15歳)だった子ども、いわゆる“震災の子”だ。現在31~40歳となった5000人に、震災が「その後の生き方」や「進路」などにどのような影響を与えたか聞いた。集計・分析が進む中で、専門家も驚く結果が明らかに。「家族を亡くした」「自宅が全壊」など、被災程度が高い人の6割近くが「今では震災体験を前向きに捉えている」と答える一方で、「今も思い出したくない」「触れて欲しくない」と答える人が2割近くに上った。いわゆる「二極化」が起きていたのだ。さらに、被災程度が高い人ほど「町への愛着を感じる」傾向があることも分かった。こうした結果はなぜ生まれたのか。「二極化」の分岐点はどこにあったのか。分析・取材を進めると「先生」や「近所の大人」など家族以外の「周囲の大人」の存在がカギとして浮かび上がってきた。

 25年が経った今、初めて明らかになる“震災の子”の真実。神戸から全国の被災地へ新たな教訓を伝える。〉

 

 この番組に、具体的な3人の方の経緯を追いながら、全体像とグラフを混ぜながら交差させていたのが印象に残った。

 大きな災害が起こると、往々にして、当事者の声以上に災害の内容や背景についての論説が多くなる。一人ひとり状況は大きく違うだろうし、25年の歳月は、なおさらと思う。

 

 V・フランクルに次の言葉がある。〈「医者が見ているのは、いつだって人間ではなく、「ケース」なのです。「この人」ではなく、「これは」なのです。」〉

 

 これは少なからずの医者に限らず、専門家などといわれる人の、おちいりやすい面でもある。

 なにごとも、一人ひとりに寄り添って、その上で全体の状況、背景、傾向などに目配りをしていくことが大事ではないだろうか。